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わたしが理想とする優しさの止め時

レジに並ぶと
後ろに作業着でペットボトルを持った人が来た
「お先にどうぞ」順番を譲る

それは
喉が渇いているんだろうという、優しさより先に
作業員が熱中症で倒れたら困るという動機

16年前、ゴミステーションに捨てられた仔猫
仔猫の命より、念願の猫が手に入り嬉しかった
わたしはそそくさと部屋へ連れて帰った

なんだろう
第三者が見る光景では、優しい行いは
言葉で補足すると偽善でしかなく
結果的に、わたしは自分のことしか考えてない

だとしても
他人がわたしと同じ所以であったにせよ
優しさを推測し、精査する必要はなく
自分以外の心は覗けないのに
何が知りたいんだろう

優しさから発生する弊害を考慮すると尚
溺れている人が、助けて欲しい人を選ばせるのが
良いのではないかと感じたりする

それくらい、人は優しさを
「本物」と「偽物」とをジャッジし
見返りを求められないのに
助かった事実より、誰が助けたにこだわるのは
なぜなんだ

こう考えた瞬間
わたしが理想とする優しさの止め時だと思った