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故人になった「チクりん」の存在を思い出しながら、私は自分の文章を書く意味について深く考え始めました。

彼女のように、自作自演で「いいね」を集めることは本当に価値があるのかしら?
それとも、人を観察するのが真の目的かしら?

私は届くべき人に届いたな、ということが実感出来ればよく、それ以上のことは望んでおりません。

ですが、チクりん事件を思い返すと現在の私へモヤモヤするのです。


街を歩いていると、目に留まった小さなカフェの窓際に座っている老夫婦を見かけました。

老夫婦は互いが微笑みながらお茶を飲み、楽しそうに会話を交わしています。
私に見える光景は、時間が止まったかのように感じられました。

「こういう関係っていいな」

あっ!
瞬間的に、自分が書くことを見つけた気がし、
「私が求めているのは、こういう心の交流なんだ」

老夫婦みたいに言葉を交わし、共感し合うこと。
私が文章を書く理由なのだと。

私はカフェに入り、スマホを取り出すと、
いやらしいかと思いつつも老夫婦の姿を描写し始めました。

老夫婦の笑顔や双方の優しい眼差し。
何気ない会話の中にある深い愛情。
描写をしながら、この姿を私は求めていた
「いいね」なのだと実感しました。

「チクりん」のような虚構ではなく、人々との繋がりを描こう。
私の文章を通じて、誰かの心に触れられるような。そんな作品を作りたいと心底思う。


ブログの最後にこう締めくくりました。

「今日から私が書くのは自分自身のためだけではなく、読んでくれたあなたのためでもあります。
あなたの心に届くことを願い、これからも書き続けます」


一度に大勢の命が消えていきました。

チクりんや運営会社の社員、その家族が亡くなり、命の大切さや助け合いを語る一方で、
実際の行動がそれに反していると感じるのも本音です。

人間関係やコミュニティにおいて、言葉と行動の一致は必須になってきます。

仮に私がいくら正しいことを言っていても、その裏にある態度や行動がネガティブであれば、信頼を得るのは難しいでしょう。

昼間の老夫婦を見て感じた想いは多くの人が共感できると思います。
同時に拙筆の私がどのように思いやりを持って行動するかが重視されます。

自己啓発のブログを閲覧すると、
『メサイアコンプレックス』という言葉が出てきました。

他者を救いたいという強い欲望が時に自己中心的な行動につながるのを指すそうです。

しかし誰かに寄り添いたい気持ち自体は、とても大切で尊いです。

助け合いの精神が批難されると、社会は冷たく、殺伐としたものになる可能性があります。

「あなた」と私は書いても家族や友人など、身近な人々へ手を差し伸べるしかできないとして、それでもコミュニティを支える要素な気がしてなりません。

誰かを助けたいという感情。
愛情や思いやりから生まれるもの。
これがあるからこそ人間関係は深まります。

ですが、その気持ちを持つことと、実際はどのように行動するかは別の問題でバランスが要になってきます。

私は書くことで「あなた」に寄り添いたい、
しかし自己犠牲には限界がある……。


チクりん事件を見て、
多くの人々が誹謗中傷によって心に傷を負い、
ブログを辞めざるを得ない状況に追い込まれているのを目の当たりにしました。

チクりんや信者の言葉は、ただの文字ではなく、
見境ない処刑や集団リンチでした。

これらを陰から見ながら、
私は言葉の力を再認識し、誰かを助けるためには、まず自分の言葉に責任を持つことが肝心だと感じました。

特に、ブログ管理人のお母様が亡くなった出来事が
キーボードへ乗せた指を止めました。

管理人さんを支えようとする声はありましたが、
誹謗中傷は更に大きな声でした。

人を煽動し、殺してまで欲しい「いいね」
「いいね」は人を人と思わない魔物です。

管理人さんがお母様を失った悲しみの中、
嘲笑われたことがどれほど辛いかを想像すると、
当時、私も何かできないか考えました。

事件を通じて「助けたい」という気持ちが実際にどのように行動へ移せるのか、常に自問自答していました。

医師や看護師のように、専門的な知識や技術を持っている人が他人を助けるのは職業の本質で、誰かを助けたいという気持ちを具体的な行動に移した形。

でも助けたいという気持ちは職業に限らず、
日常生活の中でも表れます。

友人や家族を支えること、地域のボランティア活動に参加するなど様々な形で他者を助けることができます。

大切なのはなにでしょうか。

助けたいという思いをどのように実現し、
そして行動が本当に「あなた」のためになるのかを考えなければいけません。

「あなたを助けたいという気持ち」

これが自己満足に終わってしまうと、結果は人を利用したになりかねないのです。
人を慮る気持ちがなければ、行動は表面的なものになってしまいます。

あなた、そして誰かを助ける際には、
個人の要望や状況を理解し、相手にとって価値のあるサポートを提供し、
助け合いは相互関係で成り立ち、相手の気持ちや立場を尊重していかなければなりません。

私は自己満足を超えて、真実の意味で人を支えるよう努めたいです。

殺戮を目撃していた私は、
今の信念がより良い人間関係やコミュニティを築く基盤になると信じています。

傲慢だと揶揄する人がいるかもしれません。

チクりん事件を教訓にしながら、
昼間の老夫婦から感じ得た決意を書いておきたかったのです。


「闇の中に浮かび上がる」のご感想を、
虹倉きりさんが詳細に書いてくださいました
虹倉さんにご感想を書いていただけたことに深く感謝しております

誠にありがとうございます💐

この小説は、山根あきらさんとの共作になります
連載物ですが、1話ごとに単独の短編小説として読むこともできます

作中の「私」は
山根さんやももまろの人格ではありません

フィクションです

「浮雲」は、こちらのマガジンに収録していきます