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正義について考えたけど、分かる?

改めて、自分を棚上げして正義を考えると
正義とは、自分もまた正義という名前で
他者を抑圧する立ち位置にあり
独りよがりを正当化している言葉だと思う

だからかな?
裁判では「勝訴」「敗訴」という
正義と悪ではなくて

もし、わたしの奈々(猫)が虐待されたとき
わたしが奈々を守ろうとするのが、正義

自分が何かを守ろうとするのを
『正義』というのかもしれない

多数の「自分」多数の「何か」
実際のところ、正義は無数に存在していると思う

親が殺されそうな場面で
親を庇い相手の命を奪った
庇った人は、親の命を守るための正義を行使した
でも同時に相手を犠牲にした

自分が何かを守ったとき
自分の行使は、必ず誰かを犠牲にする

例えば、日頃から
屠殺した動物や生のある植物をお腹に入れるのは
正義を正当化するに過ぎない
ただ、当たり前の行為だから正義と言わないだけ

地球上には、正義が無数であり対立が起こる
これは、今に始まった話ではない

キリスト教の正義で、異教徒を討伐した十字軍も
日本の歴史に残る、戦も同じ

最後に
正義の認識は、そのプロセスにおいて
自分とは異なるものへの寛容と尊重を認めること

相対的に測ることではなく
歴史を通し手順を追って、少しずつ目標を広げて
摩擦を減らしていくものかもしれない