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『太陽の子』~祖父と大叔父に想いを馳せる


もともと私は戦争ものが苦手だ。

幼少期から自分でいうのもなんだが感受性が強かった私は、学校などで戦争もの映画やドキュメンタリーなどを見せられた後は、その当事者たちの気持ちを想像して胸が張り裂けそうになり、辛さから数日間抜け出せなかったものだ。今にも戦争が起こるのではないかと不安になり、夜布団の中で泣いたこともあった。
なので、ある程度大人になって自分で見る物を選ぶようになってからは、極力戦争ものは避けて通ってきた。戦争ものではなくても、あまりにも暗く重いテーマは、数日間辛くなって私生活に支障を来してしまうので、これも極力避けてきた。
でも、去年の夏春馬くんが去ってからは、春馬くんの作品はどんなものでも見ようと決心したので、NHKで放送された本映画のパイロット版のドラマもちゃんとテレビの前に座って見た。ただただ辛く泣きながら見たのでストーリーの記憶があまりないのであるが。

その後、映画『永遠のゼロ』も見たし、戦争ものではないが『わたしを離さないで』や舞台『罪と罰』のような重いテーマを扱ったものも見てきたので、少しずつではあるが私の中に辛さ、重さに対する耐性ができてきたのは実感していて、今回の映画はちゃんと見られるような気がした。

8月6日映画『太陽の子』の公開日、仕事終わりに映画館へ駆けつけた。

2つの視点から描き出される戦争というもの


この映画は戦争ものといっても、ところどころに実際の空襲のシーンや焼け野原の映像などが映し出されはするものの、戦場でのダイナミックな戦闘シーンなどは描かれていない。そのあたりも多くの戦争映画とは一線を画している。
この映画は、ふたつの視点から描かれている。ひとつは、新型爆弾の開発に携わる柳楽優弥くん演じる石村修ら若き科学者たちの視点。
そしてもう一つは、春馬くんたち石村家の人々と幼馴染の世津が織りなすごく普通のひとたちのさりげない日常からの視点。
去年の夏のパイロット版のドラマは、メインとして後者の視点で描かれていたように思う。
今回の映画は、若き科学者たちの視点をより膨らませた感じかな。
もう一度、パイロット版のドラマを見返したいが、あいにく録画は残っていない。再放送はないものかな。

科学者の視点


科学者の知的好奇心というのは到底私のような凡人の域ではなく、常に新しい可能性を探る日々の研究はまさに「未来をつくっている」という感覚なのだろう。これまで人類が成し得なかった核分裂によるエネルギー爆発を誰よりも最初に実現させたい、誰よりも先に見てみたいという科学者の飽くなき探求心は、「それにより戦争を終わらせられる」という妄想にすり替えられ正当化されていく。

実験を狂心的に邁進していく修の姿、時折「これは正しいことなのだろうか」という疑問が頭をもたげるが、知的好奇心の方が勝ってしまう科学者の性を見事に演じる柳楽くんはさすがだった。そして、そんな修の姿と実際の原子力爆弾で荒廃した広島の映像を見て、私の頭には「科学の進歩はなんのためなんだろ」というあまりにも基本的な疑問が浮かんだ。そんな思いにふけったのも、折しも私はこの映画を見る直前に『わたしを離さないで』原作(日本語訳)を読みドラマや映画を見返したばかりだったからだ。
あちらの物語は、科学の進歩により人間の生命維持のための臓器提供用に創り出されたクローン人間の物語なのだが、分野は違うけれどもどちらも科学の進歩がもたらした悲劇がある。
もちろん、科学の進歩そのものが悪いわけではないことはわかっている。科学の進歩は、確実に私達の生活を豊かにしてくれているだけでなくいろいろな夢を実現してくれた。また、病気の治療などのたくさんの問題を解決してくれているのだ。でも、科学の進歩と文化の発展により、どうしても人間の欲求もどんどん高くなっていく。そこを、どうやってバランスを取っていくか。ただひとつ、使い方を誤ってはいけない。その使い方は幸福につながるのか、犠牲になっているものはないか、神の領域を犯していないか。常にそこを問いながら人類の、地球の、宇宙の幸福を追求する、それこそが真の科学なのではないかと思った。

さりげない日常からの視点

やはり私が心を寄せてしまうのは、もうひとつのストーリーである石村家の人々と幼馴染の世津が織りなす日常物語の方だ。こんな混迷する戦時下にあっても、ひとびとのささやかな日常は営まれていて、若者は恋をしたり母は息子のためにいそいそと料理したりする。どんな状況下でも、ひとびとは小さな思いやりの積み重ねて過ごしている。この先に、再びの裕之の出征というXデーが来ることは皆わかっていながら、笑顔で過ごそうとする家族。これは特別な家族の物語ではない。当時、日本中の至る所に存在した、たくさんの家族の物語なのだ、と思った。

どうしても春馬くんのことを想う

冒頭で触れたように、前の私ならこのような戦争にまつわる映画を見るために映画館を訪れたりしなかっただろう。
やはり、ただただ、春馬くんに会いたくて見に行った映画だということは否めない。
映画始まって10分は経過しただろうか、鮮やかな樹木の中から颯爽と現れる軍服姿の春馬くん、だんだん近づき大きくなってきて立ち止まり敬礼する。もう、その姿を見ただけで涙が出てきた。
なんて凛々しくなんて美しく、なんて尊い姿。
その後実家へ戻り玄関先で「ただいま」声をかけると、よろけながら飛び出してきた母に向ける深く優しい視線。帽子を取り、「ただいま戻ってまいりました」と神妙な面持ちで母に挨拶。「痩せたなあ」という母に「大丈夫や」と満面の笑みで返す。ああ、春馬くんだ。春馬くんが帰ってきた、そう思った。この瞬間、劇場の方々からすすり泣きが聞こえたので、そう思ったのは私だけではなかったようだ。
なんといっても、裕之が夜、海に入水するシーンは辛くてしょうがなかった。「怖いよ…怖いよぉ」常に死の恐怖を抱えながら笑っていたんだ。あの太陽のような笑顔の裏に漆黒の闇を抱えていた裕之が春馬くん本人とどうしても重なってしまう。この作品には、みずから海に入って助け出してくれる兄修がいた。「戦争なんか、はよ終わればええ。勝っても負けてもかまわん!」と本音を代弁してくれる世津がいた。あの日の春馬くんには・・・。だめだだめだ、打ち消してもどうしても考えてしまう。

裕之出征の前日の夜の縁側のシーンは、いろんな所で出演者や監督がその想いを語ってくださっているが、この時の春馬くんの「いっぱい未来の話をしよう」と言った笑顔が忘れられない。この夜が最後になるかもしれないとわかっていながら、見せる笑顔は愛するひとのため。
春馬くん張本人も、最後まで笑顔を見せて去って行った。きっと、愛する周りの人、ファン、そしてお母さんのため。そう思いたい。

祖父と大叔父の物語

この映画を見て、私は2年前に父から受け取った手紙を思い出していた。

それは、祖父とその弟大叔父との間でやりとりされた手紙について書かれていたものだった。父が祖父の遺品整理の際に見つけたものらしい。おそらく父も何かに残しておかねばと思ったのだろう。

東北の田舎町にある実家の仏壇には、映画『永遠のゼロ』のポスターで岡田准一さんが被っていた飛行帽と同じものを被った若者の写真が飾られていた。祖父の弟である大叔父19歳の時の写真だ。
祖父は小さな私にいつも大叔父の武勇伝を語って聞かせてくれた。祖父と6歳離れた大叔父は、小さな頃からその界隈で有名なやんちゃ坊主で陸上の名選手だった、とか。小学生の時は学校舎の二階から飛び降りてもケガ一つなく平気な顔で帰ってきた、とか。戦時中の話はあまり詳しくは聞いたことがなかったが、自ら特攻隊に志願して亡くなった、と聞いていた。父が見つけたのは、その当時祖父と大叔父の兄弟間でやりとりしていた手紙らしい。

祖父は10代後半に家族の生活のため一時関東の会社で働いていたらしい。まずは、そこから祖父(10代後半)が小学生の大叔父に送った手紙。

拝啓、早速お手紙拝見いたしました。弟にはマラソン一等、南京城一番乗り、二百米は三等可成り成績は僕の予想外だ。此れからも其の意気、その力で行け。兄も元気で働いているから安心致して呉れ。
(中略)
其の中夏服も送りましたから先頃送ったズボンのポケットに金50銭入っているからお前が一等取ったお祝いだ好きなもの買って遊べ  兄より

この頃の金50銭とは、今の貨幣価値でいうと二千円弱とのことである。東北の何もない田舎に住む小学生にしては心躍る金額だったのだろう。「お祝いだ好きなもの買って遊べ」という「遊べ」がなんだかいいな、祖父も弟である大叔父が可愛かったんだなあ、とほのぼのとした気持ちになった。

時は進み、昭和18年予科練にいた大叔父に、実家にいる祖父がなんらかの事情で一時帰省するように促したようで、その返信として送られてきた大叔父からの手紙。

(前略)
(帰省のこと)昼行くと夜になってだめです、やっぱり夜です汽車の時間は後で知らせます。
それから採用知通ですが先頃の公休日7日区役所に行って聞きました處が僕も少年飛行兵に採用になって居るとのことです。飛行兵になるものとは思わなかった、いや僕ばかりではない誰でもそうであった本当に夢のようです。
それでは15日の晩 上野を発ちます。先ずはお知らせまで。
弟より 3月10日

大叔父は、負けず嫌いで血気盛んな若者だったようなので、「本当に夢のようです」というのは、お国のための戦力になれる喜びからの言葉だったのか。

この後、父の記述で
「たくさんの郵便物をチェックしたが、若干日時の前後はあるが、この手紙が3月21日に死の旅に旅立つ前の最後の帰省を知らせる手紙だったと思われる。郷に帰って兄の自転車を綺麗に掃除し旅立ったという」と続いていた。

それこそ「自分ももしかしたら散る運命にあるのかもしれない」という覚悟を持って、大好きな兄の自転車をピカピカに磨いて戦地へ向かった大叔父、その後最愛の弟の訃報を聞き祖父は残されたピカピカの自転車を見て何を思っただろう。その二人の姿が修と裕之に重なって、昨日の夜風呂に入りながら私は少し泣いた。

祖父が亡くなる数年前、父が大叔父が散った岩国の海まで祖父を連れて行った。祖父が大叔父の最期の海をどうしても一目見たいと言ったらしい。その海で祖父は最愛の弟に会えたのだろうか。

きっと、日本中には戦争によって奪われた幾千万もの修と裕之のような物語がある。ささやかな日常を無情にも奪う戦争というもの。送る人送られる人、そこにはたくさんの愛と悲しみと悔しさがあったのだろう。

そうか、こういうことなんだね、春馬くん。『自分たちの仕事・役目は、想像力を届けることだ』と言っていた春馬くん。その言葉が、今すとんと腹に落ちた。

こうやって春馬くんが届けてくれた想像力のおかげで、私は戦争で散った命に想いを馳せる。そのむごさを思い知る。戦争は、二度と起こしてはいけない、と心に誓う。

これが映画『太陽の子』初見の私の感想。初見では、春馬くんのことばかり考えてしまって作品そのものを鑑賞する力は私にはまだない。

2回目、3回目はまた違うことを考えるだろう。でも、まずは祖父と大叔父のことを何かに書き残しておきたかったというのが本音だ。

昨日は、終戦記念日。
私も、会ったことのない大叔父と裕之さんと、そして大勢の戦没者の冥福を祈り一分間の黙とうを捧げた。



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