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「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」〜春日太一の労作は“面白本“である

春日太一が上梓した「鬼の筆〜戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」(文藝春秋)を楽しむべく、その準備として何本かの映画を観てきた。

私が紹介した作品「切腹」「霧の旗」「私は貝になりたい」において、橋本忍は<自分自身ではどうにもならない災厄により悲劇的な状況に陥る人間たちを描いてきた>(「鬼の筆」より、以下同)。本書は<なぜ、そして、どのようにして、橋本はそのような「鬼」ばかりを描いてきたのかー。本書は、その全貌を解き明かそうとした一冊である>。

著者は2012年から2014年まで橋本忍にインタビュー取材を行う。2018年に橋本が百歳で他界した後は、残された資料などを解析していった。結果10年以上もの年月をかけた後に発表された労作・大作、準備せずに取り組むことはできないと考えた。

しかし、そんな必要はなかった。「鬼の筆」は素晴らしい“面白本“である!

映画脚本家というと、どのようなイメージを抱くだろうか。映画制作者としてのこだわり、文学者的な側面、アーチスト。橋本忍にもそうした一面はあるが、同時に彼はビジネスマンであり、ギャンブラーであり、徹底したエンターテイナーでもある。

もちろん、橋本作品を観ていた方がより楽しめるだろう。しかし、各作品の分析・本人による解説は抑え気味であり、むしろ映画に関わった一人の男の評伝として秀逸な作品になっているのだ。

1938年、陸軍に召集された橋本忍だが、「肺結核」と診断され療養所に入る。そこで、出会った映画のシナリオというものに惹かれ、自分で書こうと思い立つ。そして、その作品を当時もっとも有名な伊丹万作(伊丹十三の父親)に見てもらおうと考え、習作を送りつける。「私は貝になりたい」の原型となった「三郎床」はその一つである。

こうして始まった、橋本忍の人生を、春日太一の筆が表していくのだが、“面白本“と表現した通り、その物語は読み始めたら止まらなくなる。

印象に残る箇所は多くあったが、一つだけ紹介したい。「七人の侍」、「生きる」といった黒澤明組から独り立ちした後の「真昼の暗黒」、「砂の器」などの松本清張作品を眺めると、シナリオ・映画を通じて橋本忍がなにかを訴えようとしたように見える。

「真昼の暗黒」について、野村芳太郎監督は<社会派作家としての彼の名を映画人全体に大きくクローズアップした>と評した。

この“社会派“としてのスタンスについて、春日は橋本本人に問うた。橋本は<すぐさま次のように答えた>。

「作る基本姿勢として、そういう難しい理屈は考えないようにしてるんだ」(太字は原文ママ)>

「真昼の暗黒」は、国の裁判制度に対する問題提起とも見える映画で、橋本も記者などから訊かれた時には、そうした観点を話しているが、それは<そう言った方が通りがいいから言うの>。

<「でも、本当は『四倍泣けます、母もの映画』で作っていたんだ」>

橋本の基本スタンスは、どうすれば“受けるか“、だから多くの彼の作品が“面白い“のだ。

この橋本忍のスタンスが、春日太一に乗り移ったようにも思える。10年以上の取材の上での著書である、書きたいことは山ほどあっただろう。しかし、本書はそれを削りに削っている。大吟醸酒のように、核の部分のみを使った、それによって本書は“面白本“になっているのだ。

橋本忍自身が監督した作品において、思い入れが強すぎで作品の刈り込みができなかったというエピソードが書かれているが、それも反面教師になったのだろうか。

春日太一の“面白本“、是非にお勧めする。あえて言えば、「砂の器」(1974年松竹)だけは観ておいた方が良いかもしれない。ちなみに、私は読了後「砂の器」を久方ぶりに観直した。

春日太一にお願いしたいこと。是非、「メイキング〜鬼の筆」を出して、刈り込んだ部分、“あとがき“で言及されている<「羅生門」的などんでん返し>を読ませて欲しい!


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