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3つの「私は貝になりたい」〜橋本忍“オリジナル“脚本とフランキー堺

脚本家・橋本忍の評伝、春日太一著「鬼の筆」(文藝春秋)を読了した。その感想は、また今度書くとして、今日は本書を読み始める直前に観た、2つの「私は貝になりたい」である。

「私は貝になりたい」に関して、私の持っていた予備知識は、太平洋戦争を背景とし、フランキー堺演じる無実の兵隊が、戦争裁判にかけられるという程度であり、深くは知らなかった。ドラマとして大いに話題になり、日本放送史に残る作品ということは認識していたが、観ようとはしなかった。

「鬼の筆」をきっかけに、橋本忍についてもっと知りたいと思うようになり、「私は貝になりたい」も彼の作品と知った。ドラマは芸術祭芸術賞を受賞し、映画版も作られた。(双方ともU-NEXTで配信あり)

私が最初に観たのは1959年の東宝映画版「私は貝になりたい」、監督・脚本とも橋本忍である。

ここからはネタバレとなる。

土佐高知で理髪店を営む清水豊松(フランキー堺)、赤紙が届き召集される。散髪の腕はあるが、戦闘能力など皆目ない彼に上官が命令する。撃墜されたBー29の搭乗員が捕虜となっており、彼らに対して“処分“を行えというものである。木に縛られた捕虜に向かって、銃剣を持った清水が突進する。

戦争は終わり、理髪店の仕事に戻った清水、平穏の日々を送っていたのだが、捕虜殺害容疑で逮捕される。アメリカ主導の軍事裁判にかけられた清水、「上官の命令は天皇の命令、断れるはずがない」「二等兵は、牛や馬と同じ。人間扱いはされない」と主張、自己の責任を否定するが、絞首刑が宣告される。

刑務所内で、他の受刑者等と交流しながら、再審を請求する清水。日米の講和条約締結を目前に控え、減刑への期待が所内でも広がり、清水の帰りを待つ妻らも楽観的なムードに包まれていく。しかし、清水には刑執行の宣告が告げられる。

そして清水が残したのが、「私は貝になりたい」。清水は、生まれ変わるなら人間はいやだ、牛や馬も人間にひどい目にあわされる。むしろ、戦争のない深い海の底にいる貝になりたいと残す。

救いのないドラマである。絶望→希望→ハッピーエンドではなく、絶望→希望→もっと深い絶望である。それが、戦争というものがもたらした現実とも言える。

この後に、1958年のTBSドラマ版を観た。映画が113分、ドラマが90分強で、映画版の方がドラマの厚みを感じる。一方で、ドラマ版はテンポが良く、CMの切れ目に向けた盛り上げ方が素晴らしく、TVの前にいた人々が引き込まれていったことが想像できる。なお、Wikipediaによると、CM自体は入らず提供社のクレジットが映されたのみだったようだ。

放送・上映当時は、戦争によってもたらされた悲劇がまだ現実のものとして、多くの人の心の中に残っていた。それを、「私は貝になりたい」は否応にも思い出させたことだろう。

今見ると、ここまで悲劇的にする必要があるのかとも思ってしまう。最後は助けても良いのではと。ただ救いはフランキー堺というキャラクター、彼には悲劇を中和する効果があると思う。

両版とも熱演だが、TV版は前半が当時は珍しいVTR収録、後半が生放送。VTRといっても、編集はできないので、休憩が挟まる生放送と同じようなものである。すごい!

フランキーと言えば「幕末太陽傳」(1957年大映)だが、やはりこの作品も彼の代表作である。

さて、“3つ目“の「私は貝になりたい」。このドラマは所ジョージ主演でドラマ、中居正広主演で映画がリメイクされているが、それらではなく、余談である。

「鬼の筆」を読んで知った、もう一つの「私は貝になりたい」である。

橋本忍は、処刑された戦犯の遺書が週刊朝日に掲載され、そこにあった「私は貝になりたい」という言葉と、かつて習作として書き、伊丹万作に褒められた「三郎床」というシナリオを基にしてこのドラマを作った。しかし、週刊朝日に掲載された文章は、加藤哲太郎という人物がその著書の中で創作として書いたものであった。加藤は戦犯として絞首刑の判決を受け、後に禁錮三十年に減刑された、もと捕虜収容所長である。

ドラマ放送後の加藤の訴えにより、3つ目の「私は貝になりたい」が発見され、橋本には盗作疑惑の汚名を受ける。現在配信されているドラマには加藤の名前がクレジットされている。この事件を受け、橋本は著作権について勉強し、その分野のエキスパートとなる。ご興味のある方は、「鬼の筆」をお読みいただければと思う。

本書については、また明日

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