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ロイック・プリジェント監督『カール・ラガーフェルド スケッチで語る人生』

 カール・ラガーフェルドについて紹介する場合、彼があまりにも世界的に有名であるが故に、どのメディアも、彼の有名なデザインの数々や、大御所デザイナーとしての彼を持ち上げまくってしまい、では彼自身はどんな人物で何を考えているのか? はよく分からないままのことが多い印象です。

 しかし、このドキュメンタリー映画は、敢えて彼の作品の写真や映像を扱いません。

 彼自身がカメラの前で即興でスケッチを描きながら、彼の生い立ちやファッションへの情熱について語ります。

 2011年に、彼はスケッチを描くのを誰かにやらせてサインだけ書くようなデザイナーについて苦言を呈したことがありますが、このドキュメンタリー映画を見ていると、その理由に納得します。

 彼は何時間でもスケッチを描けそうだから。

 これまでの人生で出会った人たちの顔の特徴、体型、髪型、その人や自分自身が当時着ていた服の細部までスケッチ出来るのが凄い!

 描けるということは相手や自分のことをよく観察し、しかも記憶しているということ

 父親、母親の姿を描きながら家族との思い出話を話す彼の目は、いつもと同じくサングラスの向こうに隠されているけれど、かすかに見える目は優しい。

 それでも家族については辛い思い出もあるようで、「母の言葉はきつかった。あなたの容姿はわたし以下ねと言われ続けた」のだそうで、わたしもその言葉に共感しました。

 わたしも家族に容姿のことで散々馬鹿にされてきたから。

 カール・ラガーフェルドは雲の上の存在なので、まさか凡人であるわたしが彼に共感できる点があるとは夢にも思いませんでしたが…。

 愛猫・シュペットにメロメロになっていてシュペットへの愛を語る姿を観ていると、ひとりの人間、ひとりの愛猫家としての彼にも興味を惹かれます。

 また、自分の姿がデザインされたスマホケースをつけていたり、スケッチをしながら大好きなコカコーラを飲んでいるのも、なんだか親しみを持てます。

 「わたしは昔も今も皆と違っていたい。“普通”は必要ない。自分の基準だけでいい」

 という名言を生み出したり、

 スケッチを描き終える度に、

 「“作る”のは楽しいが“作った”は退屈だ」

 と言って、描き終えたものをビリビリッと破ってポイッと捨てるところなどは、やっぱり異次元の天才!という感じで凄いのだけれど、

 インタビュアーに「(自分が入るなら)どんなお墓がいい?」と自分の死後についての考えを聞かれて(なんて無神経な質問!)、彼が敢えてお墓のスケッチを描かず、

 「ゾッとするよ、遺体の始末で人に迷惑をかけるなんて。絶対に嫌だね。潔く退場すべきだ。追悼もされず消えるのが一番さ。森の動物は死ぬと姿を消すだろ? 自分の死んだ姿を見られたくない」

 と返事をしたのも印象的です。

 この答えにもわたしは共感しました。

 生身の人間である以上はいつか必ず死んでしまうわけですが、彼ほどの有名人ともなれば、死後、「追悼」と称して彼の死を飯のタネにしようとする人たちが出てきたでしょうし(残念ながら既にお亡くなりになりました)。

 純粋なファンは彼の死を悼んでお墓参りに行きたいと願うでしょうから、パッと消えるのは難しそうですが、出来る限り彼の望み通りになりますように…。

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