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風がすーっと吹き、詩の葉がわたしのもとへやってきた。―映画「タゴール・ソングス

わたしが生まれ育った新潟は、とにかく風が強かった。
冬の日本海は荒れ狂い、信濃川にかかる橋を歩くのも一苦労だった。
向かい風では息ができず、追い風では足がとられる。
風が強過ぎて、電線が絡まりあい、大停電なんてこともあった。

高校生の頃は、制服のスカートをわざわざウエストでたくしあげてミニスカートにしていた。よく、あんな強風の中を、足を真っ赤に染めながらガシガシ歩いたものだなあと、当時の自分に感心する。そう、ガシガシ歩かないと、新潟の強風の中では生きられない。曇りと雨が新潟のデフォルトの「今日のお天気」なんじゃないか…と思うほどで、少しでも晴れると本当にうれしかった。

風もそこまで強くない天気が穏やかな日に、近所の信濃川の河川敷、通称「やすらぎ堤」でぼーっと川を眺めるのが好きだった。こう書くとなんだかロマンチックな感じさえしてしまうけれど、学校をさぼっていく先もやはりだいたいここだった。いけないことだったとは思うけど、学校が嫌い、行きたくないという気持ちは、信濃川を眺めていると不思議と落ち着いたものだ。

弟や母ともよく散歩したし、自転車の練習もした。春には桜が、初夏には柳がしなやかに風になびき、盛夏には新潟祭の花火大会の会場になって賑わい、冬は雪に覆われ一面真っ白になる。「昔はね、冬になると、信濃川が凍って、こっちからあっちまで凍った川の上を歩いて渡ったんだよ」と祖母は語った。本当かどうかはわからないけど、「なんだか楽しそうだなあ」と、その様子を頭の中で思い描いて遊んだ。荒れ狂う天気、吹きすさぶ風に、時にめげそうになったけど、それもふくめて、美しい感触と時間だったと想起する。新潟の人の我慢強さとたくましさは、もしかしたら雪国ということに加え、この風のせいなのかもしれないなと思った。

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もうひとつ、わたしにとって大切な川がある。インドの北部に位置するバラナシを流れる「ガンジス川」。

君に、ガンジス川を見せたいんだ。
何度も何度もそれを夢に見るんだ。
あなたは常にそう言っていた。
インドに行こう、バラナシに行こう、そしてガンジス川を一緒に見よう。
その日がついにやってきた。
一週間インドに旅することになった。
日本は春が芽生えはじめる時期だった。
これは、その時の日記。
あなたが見せてくれたガンジス川のはなし。

(『あなたが見せてくれたガンジス川―インド旅日記』なかむらしょうこ、2020年)

これは、わたしのインド日記をまとめた本の「前書き」の部分。そうなの、夫 teshが、ずっとずっとわたしにガンジス川を見せたいと言ってくれていた。だけど、わたしは、インドに行くことそのものに怖気づいてしまって、なかなか「YES」と言えなかった。だけど、不思議ね、時はやってくるのね。ネパールを旅したことも相まってか、だんだんガンジス川に行きたくなってきて、いや、ガンジス川に行かなくちゃという気持ちになってきた。そして1週間、バラナシに滞在し、毎日毎日、ガンジス川を眺め、散歩した。そこにも風が吹いていた。乾いて、あたたかい風だった。風とともに祈る声、生活の音や匂いがやってきた。風を感じながら、ぼーっとしていると、1時間、2時間、気づくと夕方。あっという間とはこのことで、時計に頼らずに、時の流れを感じることができたのははじめてだった。数字におきかえられない「時」。

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(2016年に行ったガンジス川の風景)



ところで・・。みなさんは、映画を通じて、風を感じたことはありますか。
映画「タゴール・ソングス」の試写を拝見したのですが、すーーーっと風が、わたしを通り抜けたのです。


ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)
インドを代表する詩人で、非ヨーロッパ語圏ではじめてノーベル文学賞を受賞した人。詩人だけど、小説や劇、音楽、そして絵と、表現の幅は多岐にわたり、今もなお、彼の言葉や想いは詩や歌を通じて受け継がれている。

そんな多岐にわたる表現の中の軸となるひとつが「タゴール・ソング」と称されている歌たち。タゴールは、生涯にわたり2000曲以上もの歌を作ったそうなの。「タゴール・ソングス」は、このタゴールが作った歌に焦点をあてたドキュメンタリー映画。


わたしは、この映画の公開をきっかけにタゴールを知った。
それまで、全く知らなかった。
何で、知りもしなかった詩人の映画が気になったんだろう。


たまたま、わたしのツイッターのタイムラインに「タゴール・ソングス」の情報が流れてきたの。
「インド」「詩」「歌」「ベンガル文学」・・・気になるワードとともに、SNS上だけでも伝わりすぎるほど伝わってくる佐々木監督の熱意。それらが重なって、わたしのハートに突き刺さってきた、きっと、そうだ。

翌日には、ベンガルとは何かを知りたくて、まずは胃袋から攻めようということで、町屋にあるベンガル料理屋「puja」さんを訪ねた。タゴールの詩集を手に取る前に、食文化から理解をしようとするあたりが、「わたし」である。結果、おいしすぎて、しかも、バナナ好きにはたまらん、バナナ料理がたくさんで幸せだった。店内にはタゴールの肖像写真が飾られていた。お店のママにタゴールのことをたずねると、「今はみんな、スマホをいじってばっかり。タゴールを通じて、文学や本の楽しさを知ってほしいわ。きっとタゴールの言葉はささるはず」とお話をしてくれた。

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(pujaのランチプレートとバナナの蕾コロッケ)



話を戻すね。
この映画は、現代を生きる人の中に宿っているタゴール、現代の人々の中で生きているタゴールの物語だと感じた。タゴールの人生や業績を解説しているわけではないの。
最初から最後まで、誰かにとってのタゴール・ソングにあふれている。
あの人にも、この人にもタゴール・ソングがしみ込んでいて、彼も彼女もタゴールの詩の葉をポケットに1枚は忍び込ませている・・・。タゴール・ソングはベンガルのみんなの人生に寄り添っている。

それがね、驚いたことに、わたしの人生にも寄り添ってきたの。
映画の中の人々が、タゴール・ソングを歌うとね、不思議と風が吹いて、わたしの体と心を通り抜けて、風が通り過ぎていった感触と詩が肌に残った。

わたしが、故郷 新潟のやすらぎ堤で、信濃川を眺めながら風を感じていたあの頃、ガンジス川でそよぐ風の中、時の流れに身を委ねていた、あの日・・・がふと蘇る。

「ひとりで進め」
「あなたの風が帆になびいた」
「時々 あなたに会えるけど」

フリーランスとして歩みはじめよう!と決意したてのわたしに響く「ひとりで進め」、いつもわたしのことを支えて、メンターかっ!というくらいに助言をくれる夫teshのことを思わずにはいられない「あなたの風に帆がなびく」、そして遠距離恋愛をしていた高校~大学時代の甘酸っぱさと、寂しさと、だからこそ募る恋しさがよみがえってきた「時々 あなたに会えるけど」。はじめて知ったタゴールなのに、はじめて彼の言葉に触れたのに、なんでこんなにわたしの中にすっとはいりこんでくるの。なんで、わたしの人生に寄り添ってきちゃうの。それも、今のわたしに必要な言葉ばかり。


風にのって彼の言葉がわたしのもとにやってきた。
彼の詩の葉がわたしの心にピタッと貼りついた。



タゴールは、こう記す。

いまから百年後に
わたしの詩の葉を 心をこめて読んでくれる人
君はだれか― 
 
(タゴール『百年後』より)



はじめ人間の言葉を借りれば、「なんにもない大地にただ風が吹いていた」頃がある。タゴールの時代にも風が吹き、今こうして、わたしたちが生きる時代にも風は吹いていて、詩の葉がやってきた。だから、きっと100年後にも風は吹いて、あなたの言葉を届けるでしょう。
その風をまとった人が、自然とあなたの歌を口ずさみ、あなたの詩集を手に取り、その詩の葉をまた風にゆらすのでしょう。



「タゴール・ソングス」
風とともに詩がやってくる。
歌声とともに言葉が響く。

きっと、あなたの‘今’に響く詩に出会える映画。
いつの間にか、心をこめて見てしまう映画。

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(画像:映画「タゴール・ソングス」より)



《関連情報》
タゴール・ソングス

(監督:佐々木美佳、構成・プロデュース:大澤一生、配給:ノンデライコ)
ポレポレ東中野
4月18日~公開予定!
最寄駅:JR東中野駅西口北側出口より徒歩1分
http://tagore-songs.com/

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【オンラインブックフェアはじめました】  

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100年後に、この本を心を込めて読む、あなたは誰ですか?


期間:2020年5月1日〜100年後もずっと続きますように。
会場:note & 全国の本屋さん(募集中) 


【プロフィール】
中村翔子(なかむら・しょうこ)

本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。本とアートを軸にトークイベントやワークショップを企画。青山ブックセンター・青山ブックスクールでのイベント企画担当、銀座 蔦屋書店 アートコンシェルジュを経て、2019年春にフリーランス「本屋しゃん」宣言。同時に下北沢のBOOK SHOP TRAVELLERを間借りし、「本屋しゃんの本屋さん」の運営をはじめる。本好きとアート好きの架け橋になりたい。 バナナ好き。本屋しゃんの似顔絵とロゴはアーティスト牛木匡憲さんに描いていただきました。 


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この日記が、あなたの「月日」に寄り添えますように。 


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