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本屋を〈色んな意味で〉維持していく(2024年3月28日)

こんにちは。「本屋フォッグ」店主のイイムラです。
一連のnoteはこちらから。
現在は東京・高円寺の「本の長屋」というシェア型書店で、本棚の区画を借りて本を売っていて、週に2回くらい店番にも入っています。
最近は、「本の長屋」の管理にも少しずつ関わり始めています。ぜひいらしてください。

今回の記事の内容:本屋を始めて、続けていく場合の自分のビジョン


心配性のせいで狭量になりたくない

ずば抜けた商才を持っていたり、とてつもない楽観主義者ならいざ知らず、僕の場合には、自分の店で思うように売上が伸びずに不安に苛まれる姿が目に浮かぶ。つまりは、心配性なのだ。
「今月」「今週」「今日」のような時間の幅で、目標を達成できなければ悲観し、売れれば喜ぶ。そもそも本屋になった一番の目的は収入じゃなかったはずなのに。

心配性で困るのはそれだけじゃない。
書店経営者の本や書店のSNSを見ていると「こういうタイプのお客さんは本を買わずに帰っていく」「何時間も本を手に取り、買わずに出て行った人がいた」といった言葉に、結構な頻度で出会う。
もちろん、本が買われないと店は維持できないのだし、店はあらゆる客を快く受け入れるべきだとは思わない。本やSNSで発信することの是非はあれど、この種のもやもやした気持ちになることは必然だとも感じる。
でも、そういう気分になる回数はできるだけ減らしたいなと思う。

心配性な人がおおらかに店を続けるには、どうすればいいだろう。

〈金銭的な解決〉規模を小さくする or 副業する

まずは比較的退屈な話。

小売店の手元に残るのは、
(粗利)-(固定費)-(人件費)
なので、家賃とか光熱費といった固定費を低く抑えて、自分以外の従業員をなるべく雇わないようにすれば、お金は残りやすい。

具体的には、営業日を絞って、家賃が安いところでこじんまりやる。
都内にも、広さ3畳のバックパックブックスのようなお店がある。

あるいは副業。
双子のライオン堂のように、書店を続けるために店主がアルバイトをするのもいい。僕の場合は、中高の教員経験とロシア語というスキルがあるので、それを生かして副業ができるかもしれない(厳しそうではあるんだけどね……)

これらの〈金銭的な解決〉は非常に実際的だし、有効だろうと思う。でも、これだけじゃ解決しないのだ。何しろ相手は「心配性」というふわふわした敵なのだから。

〈精神的な解決〉大きな使命を背負う

次に、僕自身がシェア型書店で古本を売っている日々で生まれた考え。

自分の棚に並ぶ本と、在庫として持っている本を恒常的に入れ替えるようにしている。お客さんにとって常に新鮮味のある棚にしたいからだ。つまり、店の中で本の循環が起こっている。

古本屋は外から仕入れた本、人から買い取った本を売る。値付けは相場通りにすることもできるし、店主の気持ちで決めることもできる。
これは、古本屋の店主が「値付け」を通して意思表示をして、お客さんの買い物という行為に意味を付けて関わることだと思う。さらに、古本屋を通して本が社会のなかで循環していく。新刊書店とは別の流れを生み出すことができる業態が古本屋だ。

本を買う人と自分なりに関わっていくこと、そして循環を生んで社会に本を巡らせていくこと。こういったことを商売の第一義に置くことができたら、売上だけを気にすることなく暮らしていけるかもしれない。

新刊書店が「この作家の本を届けたい!」と考えて商売していくのも、これに含まれる。

〈反脆弱的な解決〉ハウルの動く城に乗る

急に何なんだよと思うかもしれない。

2017年に出版された『反脆弱性』という本がある。

リーマン・ショックなどを踏まえた本で、おそらく書店ではビジネス系の棚にある。「不確実性を受け入れて生きていくこと」について書いた本だ。
リーマン・ショックのような経済的な事件だけではなくて、予測不能な厄災が起こることを前提として生きていく。人生を、環境を、ビジネスをデザインしていく。
例えば、パンデミックで一斉休校になったとき、生徒が全員パソコンやタブレットを校内で使うことを認める校則があったことでことで(正確には禁止する校則が無かったことで)、生徒の側から授業のアイデアが出たり、的確な指摘が出るような学校があった。この学校は、オンライン授業に備えて環境を整えていたわけではない。ただ、予測可能な範囲だけを見て最適化していなかっただけだ。
物が極端に少ないミニマリストの部屋よりも、整理されていないごちゃごちゃした部屋の方が、災害時には使える物が出てくる可能性が高いのと似ている。

こういった性質を、ひとつの書店で作っていくのは簡単なことではない。
規模を小さく、ひとりでやっていくとしたら尚更だ。そこでハウルの動く城である。

具体的には、商店会や本屋フェス。地域の町おこしイベントでもいい。
色々なお店、それを営む大勢の人や企業。必ずしも意見や価値観が合うわけではない人たちと集まって、町や商店街といった巨大な体を動かしていく。

昭和初期からある商店街は、生活の必需品をその中で買いあって、補い合い支えあって続いてきた。そこには、何人のお客さんが来て何円分の買い物をするかだけでは説明できない力がある。
それぞれのお店が商店街という大きな城の部品のひとつであり、いくつかの部品の調子が悪いときは、互いに目配せをしながら、城全体は歩き続ける。

もちろん面倒なこともセットで付いてくるだろう。街のお祭りの準備、定期的な寄合、ややこしい人間関係。
商店街じゃなくて、本屋が多数出店するイベントでも、関わる人が多ければ多いほど、運営は頭を悩ませるに違いない。
「そういうことから離れたいから自分の店をやっているのに……」という人もいるはずだ。

自分ひとりで何でもできる自信がある人には当てはまらないかもしれないが、僕を含めたある程度「心配性」な人にとって、大きなまとまりの中に身を置くことは良いと思う。

東京・蔵前でお店を出した人が、近所の下町育ちのおっちゃんが「こんなところにこんな店を出しても上手くいかねえよ」と言いながら気にかけてくれたと本に書いていたのを読んだことがある。
面倒だというだけで切り捨てたら勿体ない良さがある。

「本の長屋」には、この3つが全部ある

本の長屋は、小さなハウルの動く城

僕が一棚書店をしている高円寺の「本の長屋」は、現在およそ70人が棚を借りて本を置いている。
店番としてお客さんと直接関わることもできるし、イベントを主催したり、管理に意見やアドバイスを言うこともできる。

つい先日も、棚を借りている人(函店主という)に向けた説明会と懇親会があって、議論が巻き起こったり、今後の運営について話し合ったりした。
考え方も感じ方もそれぞれ違う人たちに共通しているのは「風通しがよく、新しい出会いが生まれる場所にしたい」という思いなんだと思う。

心配性に一人で向き合うことに慣れてしまったからこそ

自分の性格もある程度わかってきて、悩みや行き詰まりをどうにか一人で解決しようとしてきた。人に頼る前に自分で考えようとすることが、良いことなんだとどこかで思っている。
コロナで集まりが一度まったく無くなってしまってから、その傾向は強くなったのかもしれない。

だからこそ「本の長屋」に関わって、ここで本を売ることは僕にとっては新しい。
今は本屋開業までのハウツーを学ぶ時間であるだけじゃなく、こんな自分が店をやっていくために心と体を開く準備期間だ。

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