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ジャマイカへ飛んだゲンスブール〜“Aux armes et cætera”(1979)

 今年2021年は、セルジュ・ゲンスブール(以下、ゲンスブール)の没後30年。緊急事態宣言の合間を縫うように(宣言継続中は承知)、映画『ジュテーム・モア・ノン・プリュ 4K完全無修正版』(1976)の劇場公開が始まった。

 仕掛人・ゲンスブールを特に好んでいるわけではない。ただ、しばしば物議を醸す、目が離せない人物であったことは確か。

 重要人物だし、30年という年月はキリがよい。わが愛好のジャマイカ音楽にもちょっと関わりがある。

 まず、レゲエ・アルバム “Aux armes et cætera“ から。

 邦題は、『フライ・トゥ・ジャマイカ』。原題は、収録曲『祖国の子供たちへ - "Aux armes et cætera"』 からとられている。また、原題の意味は、「祖国の子供たちへ」ではなく、直訳では「武器をとれ、エテセトラ」ということらしい。

 これは1979年、ゲンスブールがタイトルに「エテセテラ」という言葉を入れて、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」をレゲエ・ヴァージョンに変えたものだ。しかしながら、右翼や軍部関係者の反感を買い、国歌誕生の地であるストラスブールのコンサートは阻止されるなど、けっこうな騒ぎになったもよう。

 この問題作がジャマイカ録音である。フランス本国では50万枚を売ったとか。リズム・セクションは、ジャマイカが誇るスライ・ダンバー、ロビー・シェイクスピアのコンビ。さらに、バック・ヴォーカルはボブ・マーリー親衛隊アイ・スリーズの3人組と豪華版。

 ただ、このレコード、計画的に制作されたものではなく、ジャマイカのミュージシャンにたまたま時間的余裕が生じて、それにゲンスブールが便乗したものとも言われる。才人ゲンスブール氏、曲をジャマイカ行きの航空機で作ったという逸話も。

 さて、ジャマイカ・キングストン録音と来れば、当方には、ローリング・ストーンズ『山羊の頭のスープ』(1973)が第一。近年、アナログ盤が再発され、一部をFMで聞いたが、なかなか貴重なもの。

 このストーンズ盤、キングストン録音にもかかわらずジャマイカ音楽の影響が乏しいという記述をWEBなどで見かけることがある。それもそのはず、この名盤も偶然の産物。録音を予定していたアメリカだったか、バハマだったかに入国が叶わず、キングストンに足止めをくった彼らがそのまま、現地スタジオで録音したもの。これは、キース・リチャーズ自伝『ライフ』で読んだ。

 ゲンスブールもストーンズも、ジャマイカ録音は偶然の産物ということか。

 ゲンスブール盤に戻る。

 例の脱力したヴォーカルに混じって、ジャマイカの歌姫たち、アイスリーズの澄んでハリのある歌声が聞こえる。美しいと思える部分である。しかし、ゲンスブール愛聴者には申し訳ないが、アルバムは全体的に宥和感が乏しい。ジャマイカに別物文化を被せた感じで、二つがバラバラに踊っている印象。

 少し急くが、映画『ジュテーム・モア・ノン・プリュ 4K完全無修正版』について、無修正版ではない以前のバージョンの視聴記憶をたよりに。

 有名なタイトル曲は、映画ではメロディーだけ、歌声なし。

 この映画、フランス映画らしくないと言われる。殺伐としたシーンが続く。『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1942、1981)、『バグダッド・カフェ』(1987)が似ているという人も。無国籍っぽい感じはある。または、俗悪と評する人もいるのではないか。

 当方、少々意見を異にする。

 これは紛れもなく、他文化と交じり合いたいともがきつつ、他文化と一線を画そうとする矛盾した心と肉体を描いた映画だ。すなわち無国籍ではない。ボーダーレスでもない。

 特に、アメリカナイズに対する批判的表現が目立つ。マッシブ感著しい黄色いダンプ、砂漠カフェ、アメリカ風ゲーム機、ハンバーガー、ビール、ダンスパーティー、鼻から薬物を吸入するドパルデュー。デートでローラーゲームを観戦するジェーン・バーキンが選手のことを、「あれでも女なの!」と叫ぶシーン。ゲンスブールはアメリカを決して好んでいない。

 よく指摘されるところだが、ホモセクシャル、ロリータ、麻薬、デカダンスとさまざまなデリケートな要素が満載なのも特徴。1976年にこれだけのトピックを盛り込むのはリスキーだし、確かに先駆的と言ってよい。

 しかしこれらは、映画のグランドデザインを支える細部ではないか。中核コンセプトは、インターナショナリズムだ。違う文化が出自の各人が、互いを尊重しながら共存するのが望ましい。しかし、それはとても難しく、多大な苦痛や犠牲が伴う。セクシュアリティの相違も、文化という概念に包摂される。

 フランソワ・トリュフォーが本作品に高い評価を与えたというのも、この異文化のせめぎ合いを描出したところにあるのではないか(これは勝手な思い込み)。

 主要人物である若者たちの出身地は、フランス、ポーランド、イタリア。皆、アメリカに毒されている。インターナショナリズムは、一見、米国文化を媒介にして実現されそうにも見える。そんな時代、そんな人間関係の中で、ジェーン・バーキン演じる中性的フランス人女性・ジョニーは、媒介者として国と国のボーダーを、セクシュアリティの壁を乗り超えようとする。そして、その結末は?

 1979年、ゲンスブールはジャマイカとの調和に失敗した。1976年の映画は、その蹉跌を予告しているかのようだ。

「ゲンスブール兄貴、ジャマイカではやっちまいましたね!」

「さぁね、俺はやりたいことをやったまでさ。」


 

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