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シャイン・ア・ライト・オン・チャーリー〜マーチン・スコセッシ監督“SHINE A LIGHT”(2008)

 2021年9月4日早朝。雨。冷気。いつもの土曜日のように、ベッドサイドのラジオのスイッチオン。ピーター・バラカン氏のFM番組は、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツの特集。

 彼が関わったR&B、60年代のストーンズ・ヒット曲、それに彼が愛好するジャズのプレイもかけてくれた。

 当然ながら、2008年のマーチン・スコセッシの映画 “SHINE A LIGHT” にも言及あり。バラカン氏が述べる。これはチャーリーの映画ではないか。

 このコンサート映像、公開時急ぎ劇場に足を運んだものの、その後の視聴回数は他のライブものに比して少ない。“LIVE IN PARIS 1976” (パリ・ライブ)、“LIVE IN TEXAS ´78”、“Let′s Spend The Night Together”(1982)など、70年代後半から80年代前半のストーンズこそが、当方にとって時代のアイコンだから。

 なお、上記 パリ・ライブは正式リリースがないので、現在は高品質の全編視聴は難しいかもしれない。当方が初めて視聴したのは1977年。19インチのテレビ画像、NHKの音楽番組だった。なにせ、初の長時間ストーンズである。クネクネと体をよじらせるミック・ジャガーの物凄い磁力。神々しいキース・リチャーズの立ち姿。ビル・ワイマン、ロニー・ウッドも快調。もちろん、チャーリーも。なぜか、高校生の当方の横には、音楽とは無縁なエンジニアの亡父が寝転がり、「さっぱり、わからん」と幾度もぼやいていた。しかし結局、父も終いまで見ていて、これが親子いっしょの最初で最後の音楽体験。ファンには蛇足ながら、このライブの高音質な音は、アルバム “LOVE YOU LIVE”(1977)で聴くことができる。

 本日、バラカン氏は、アレクシス・コーナーのバンド、「ブルース・インコーポレイテッド」がカヴァーするR&B ”I'm A Hoochie Coochie Man" でのチャーリーのプレイ(1962年)を初めとして、ストーンズ移籍後のナンバーでは、クエンティン・タランティーノ監督によるロマン・ポランスキー監督夫妻へのオマージュ作品『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)でも使われた”OUT OF TIME"(1966年のハリウッド録音)や、チャーリーのジャンプ姿がジャケットを飾るライブ・アルバム “GET YA-YA´S OUT!”(1970)からは ”Sympathy For The Devil" など、ドラム・プレイに注意を促しながら選曲。他にも多数オンエアー。

 スコセッシ・フィルムでは、始めの部分にコンサート開始前の米・クリントン大統領の会場訪問シーンが。大統領曰く。「(コンサートには)甥っ子が来る。10か11歳だ。他にも友達がみんな子連れで来る。興奮してるよ。60代の友達もみんな電話で泣きついてきた。」それから、チャーリーは大統領及び関係者と記念撮影。いちおうスマイル。(以上、句読点は筆者が適宜挿入。括弧内は筆者が補記。以下、引用においても同じ処理。)

 次に、スタッフとチャーリーとのやりとりが続く。

スタッフ :ゲストは6時過ぎまで到着しない。
チャーリー:誰のゲスト?        
スタッフ:クリントン氏の。         
チャーリー:あいさつした。  
スタッフ:彼本人とはしたが、他に30組のゲストが来る。 次のあいさつは6時過ぎだ。
(チャーリー苦笑い気味。チャーリーに近寄ってきたキース・リチャーズ)
キース:クリントン 疲れたよ(ブッシュ)(「ブッシュ」は字幕ママ。おそらく“I'm bushed.”)

 この後、奥さんのヒラリー・クリントンほか関係者が現れ、クリントンは周囲にチャーリーを「(彼は)まとめ役だ」と紹介する。

 クリントンは、コンサート開始時にあいさつ。こんなことも言っている。

「(ストーンズが)2001年にロスへ来てくれた時は、地球温暖化の危機を訴えました。彼らもこの問題を重要視しているので、今回のライブも実現したのです。どうもありがとう。」

 このシーン、受け取り方は人それぞれ。当方はシラけた。ただ、スコセッシにシラけたわけではない。編集の意図は感じられ、面白いと思う。

 ティーンエージャー時代から追っかけてきたストーンズ。FEN(米軍極東放送網)、テレビ番組(ベストヒットUSAなど)、新聞(逮捕記事など切り抜いていた)、雑誌(ストーンズ特集)、レコード(ブートレグ中毒になりかけた)、フィルムパーティー(ファンクラブ主催)、CD、ビデオ、映画、来日公演(東京、横浜、名古屋)、DVD、本(自伝など)、衛星放送、ブルーレイ、Youtube、展覧会(2019年五反田)と様々な媒体から得た情報は過多。露出情報は、あくまでジャガー/リチャーズ中心。しかし、背後にはチャーリーが。

 2014年のストーンズ来日時は、長女と東京ドームに。長女とって初のロック・フェス。当方は、久しぶりにチャーリーに再会。幸い、娘は父親のよき理解者、チャーリーが大好き。また彼女、自室にはマリアンヌ・フェイスフルのLP ”Dangerous Acquaintances"  (1981)のジャケットを掲示。

 ところで、クリントン氏で思い出したが、娘と行ったその日のコンサートには、安倍首相夫妻来訪。これは、後から知った。

 He was supposed to be bushed.

 映画に戻る。

 ”All Down The Line” 終了後に、チャーリーがため息をつくシーンが。「ふう、やっと終わったぜ。」ってな感じ。

 転じて、若きチャーリーへのインタビュー・シーンに。

インタビュアー:音楽家でなければどんな職業に? 
チャーリー:デザイン。      
インタビュアー:何の?  
チャーリー:デザイナーだった。画家にはなれなかったから。       
インタビュアー:どうして? 
チャーリー:絵画で詩をつづれなかった。才能が足りない。        
(インタビュー続くが以下略)

 最近のWEBで読んだ「TBS チャーリー・ワッツの日本メディア最後のインタビュー映像公開」では、ストーンズ南米ツアーの記録映画(2016)に関して、彼らしい受け答えが。(2021.8.26 TBS NEWSのYouTubeチャンネル) 

記者:
ストーンズの南米ツアーを追ったドキュメンタリー映画『Olé,Olé,Olé!  A Trip Across Latin America』を観ました。
チャーリーさん:
俺はまだ観てないんだ。すまないね。

 チャーリーは、音だけでなくビジュアル的にもスタイリッシュ。「イケてる」男である。LPジャケットでは、“BLACK AND BLUE” (1976)が最も好き。これは、かつて2枚購入したのだ。また、”MISS YOU"(1978)の12インチシングル(ピンクのカラーディスク)のジャケット左端の焦点定まらぬ表情よし。

 奇しくも、“TATOO YOU” (1981)の40周年記念盤が今年10月に発売されるという。キリがないので、最近はこの手のマニア向け企画には飛びつかない。豪華版で価格が高過ぎるのだ。ただ、このアルバム、チャーリーのドラムが冴えているので、今回は迷うところ。

 本稿、映画『シャイン・ア・ライト』のチャーリーについてもっと書くつもりだったが、横道にそれ過ぎた。勇姿はぜひ映画で。

 さて、チャーリーの他界でストーンズは終わったのか。とうとう、初期メンバーはジャガー/リチャーズだけに。それでも、新ドラマーを迎え今秋から予定通りツアーに出るという。確かに、音は変わるだろう。しかし、これまでもストーンズは「変態(メタモフォーシス)」を繰り返しながら、生き延びてきたのだ。

 最期まで転がり続けるはずだ。

 

 

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