夏の終わりに感じる漠然とした切なさは、この映画で解消『summer of 85』
夏vs秋。
この夏の終わりの切なさについては以前の記事でも書いたこと。
この感情をどこにぶつけたらいいのかと思い、noteに書き出した。
この漠然とした感情、どちらかといえば苦手だと思っていたのに、浸っていたくなるような映画があったので、感想とともに。
『Summer of 85』
『ほんの一瞬も離れたくなかった。』
『一緒にいるのに、満たされなかった。愛していたから。』
16歳のアレックスが、18歳のダヴィットに抱いた感情。
こういう感情って、映画や小説にしてはじめて美しいというか。
こういう胸の内を話すと、メンヘラというレッテル貼られて、要注意人物として扱われるのが現実の多数派。
まあ・・・愛が憎しみに変化して、もしくは愛しすぎて殺人を犯す人も存在するわけだから、その現実の在り方は、あながち間違ってないのかもしれないけど。
このアレックスの台詞、19歳のわたしであれば顔を大きく縦にふっていたと思う(笑)
はじめて感じる親以外の誰かからの大きな愛、裏切られるなんてそんな未来予想のカケラもない。
相手=自分
自分=相手
常に、この方程式が成立してると思い込む。
その方程式が少しでも崩れていることを認識すると、それはもう一瞬で。
簡単に、憎しみや苦しみに変化する。(ガクブルガクブル)
相手=自分
自分=相手
こんな方程式、はじめから存在しないのに。
わたしはこんなことを考えた映画だったけど、二人の掛け合いがとっても良くて、自分も恋をしている気持ちになった。ヴァカンスしているような。
『ぜんぶ、夏のせいだ!』
夏に起きた失敗は、この言葉で解決できる。
これ、夏限定の魔法の言葉なんだけど^^
この映画で描かれている経験や失敗は、到底この言葉で解決できるものではなかった。
よって、この魔法の言葉の魔法は解けました・・・。
映画を観終わったあとに余韻は
『結局、あなたの本質はなに?』
『あの言葉や行動、その心は?』
こんな疑問を抱きつつ、自身の想像力でどの方向へもいけるような自由さ。
全てを語らない美しさとは、このことかもしれない。
ざらざらとした映像や80’sファッションも見所で、服の着こなしのヒントも沢山あった。
全体を通してもう少し長編で観たかったなあ・・・と感じたけど、出会いから別れまで6週間という短期コースだから、この物足りなさが妥当なのかも。
それが、わたしが感じる夏の終わりの切なさと似ていて、このタイトルをつけた。
今日はこんなところで。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました^^
最後に一つ。
ダヴィット、マ ジ で色男だから、要注意!!!!!!
(惚れてまうやろー!の被害者、ここに約一名。)
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