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ご意見番

 このご時世、どんなものにもレビューサイトが存在する。
 何か商品を購入したり、サービスを利用しようとするとき、とりあえず、レビューがどんな感じになっているのかを確認する。この「とりあえず」は非常に曲者で、人によっては“あえて”見ないようにしようと、意識しなければ避けられないほどに、レビューサイトは日常生活に溶け込んでいる。

 この流れだと、「レビューサイトなど一切見るな!」というご高説が展開されそうだが、そうは書かない、というか書けない。私もレビューサイトのお世話になっているし、自身でレビュー紛いのことをしているから、書く資格がない。
 それでも、レビューを参照する上で、いくつか意識していることはある。今回はその点を、簡単にまとめてみたい。

 レビューサイトには大抵、点数を用いた評価と文章による評価の二つがあるが、私が専ら参考にするのは後者だ。
 例えばあるレビューサイトに、星の数で示される五段階評価があったとする。そのとき、星の数が平均五つであろうと、一つであろうと、それによって購入の有無を決することはない。
 意識して見るのは、文章レビューの方である。そこを見ると、同じ星三つをつけているユーザー同士であっても、まったく異なる視点から、一つの評価を下していることが分かる。例えば某ネット通販サイトにおいては、商品のクオリティーと配送の質(円滑さ、梱包の丁寧さ)のレビューが混在し、どちらにも同じ五段階評価が適用されている。つまり、文章レビューを確認しなければ、何に対して星をつけたのかが分からないのだ。

「好奇心に導かれて自分自身の経験を楽しんできた人も、数字に出会うとプロのご意見番へと変身してしまう。正確な数字という形式で真実を手にして、いつでも、どんなものでも、比較できるようになったからだ。そしてあらゆるものの採点を頼まれるたびに、数字が次から次へと別の経験に忍び込んでいって、プロのご意見番の勢力範囲も拡大していく。」
西田美緒子訳『数字まみれ』東洋経済新報社、P119)

 この文章を一読したとき、ズキッと心に疼くものを感じた。
 市井の人々が商品やサービスに、自由に点数をつけたり、批評したりできるようになったのは、人類の歴史から見れば、ごくごく最近の出来事である。この機会自体は、失われるべきものではない。ただ、何もかもレビュー次第で、買う買わない、利用する利用しないを決してしまうのも、違う。
 ありふれた結論になるが、いい距離感で、レビューとは向き合っていきたいものである。



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