本ノ猪
読書から日常を変える。
本から日常を変える。
本の中で「読書感想文」が語られるとき、十中八九叩かれている。 軽く冷笑されるか、論理的に詰められるか、とにかくものすごい嫌われようだ。 私自身「読書感想文」が嫌いであったから、庇いたくても庇いきれない。むしろ批判者側に同調して、溜飲を下げてしまっている。 * 「読書感想文」を批判する人の多くは、感想文に対する苦手意識を持っていた。ということは、仮に得意だった人から意見を聞けば、レアな積極的評価に接することができるかもしれない。 そこで紹介したいのが、作家・辻村深
去年は行けなかったから、今年は花見行こう。 そういう旨のメッセージが、友人から届く。花見の最盛期も過ぎて、そろそろ人も疎らになっているだろうと予想して、よし行こう、とメッセージを返した。 * 花見当日。友人宅から一番近いスーパーが待ち合わせ場所である。五、六分前に到着して待っていると、前方にニヤニヤしながら近づいてくる友人の姿が見えた。 「〇〇に会うと安心する。何も変わってなくて」 「よく会ってるからでしょ」 「そうかな」 「そうでしょ。数年会わないようにすれば、
その日は、何かと諦めることの多い一日だった。 その諦めは、食べ物の購入に集中していて、普段は利用しない食料品店に足を運んだことによって生じた。 あんこのバター。ナッツの蜂蜜漬け。牛タンカレーのレトルト……。目に入るものが尽く魅力的に映る。買おうと思えば買える金額ではあったが、贅沢であることにかわりはない。結局買うのを諦めて、店を後にした。 帰り道、頭の中で欲しかった食品が、現れては去り現れては去りを繰り返し、私を苦しめる。何の迷いもなく全ての食品が手に入ったら、どれだ
「何かを始めるのに、遅すぎるということはない」という言葉がある。何歳になっても、新しいことにチャレンジしたい。そんな思いをアシストする、大変前向きな考え方だ。私の周りにも、この考え方を体現しているような人が幾人かいる。 一方、この考え方をもってしても、若いうちに新しいことに挑戦する、その価値・メリットを無化できるわけではない。挑戦するのなら若いに越したことはない、という場面は無数にある。 * 若いうちに何かに挑戦する。この機会を持つ上でのハードルは、まずその“何か”
本を読み続けることの利点は、定期的に「死」について考える機会を持てることだ。 「死」を考えることは、お世辞にも快適な行為だとは言えないが、自分の生活を見つめ直す上で、これほど便利な事象もない。 * 最近手に取った本に、次のような記述があった。 自分もいずれ死ぬのだ、という現実を、もっとも痛感させられるのは「他者の死」である。年齢を重ねることについても同様で、記憶の中ではまだまだ幼かった子どもが、再会時に体格の良い青年に成長しているのを目にして、「歳も取るはずだわ
小学校の同級生に、みんなから「雑学王」と呼ばれている友人がいた。 今の感覚だとダサい感じがするが、少なくとも当時の私は、彼を羨望の眼差しで見ていた。 「雑学」が意味していたのは何だろう。学校の教科書に載っていないこと、という説明が一番しっくりくるかもしれない。教科書の内容を頭に入れることさえ億劫だった人間にとって、教科書外のことを豊富に知っているというのは、それだけで尊敬に値した。 * ある時、雑学王の住んでいるマンションに遊びに行ったことがある。 彼の部屋に案
どこで読み終わったか、はっきり覚えている本というものがある。 「終わったぁ」と本を閉じ、顔を上げると、読む以前とは周囲が異なって見える気がして。本が持つ力を再確認する。 * 新大阪から京都へ向かう電車の中で、読み終えた本がある。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だ。 残りのページ量から逆算して、新快速ではなく普通電車に乗り込む。新快速ほど車内は混んでおらず、ゆったりと席に座って、読書に没頭することができた。 読み終えたのは、次の到
今回は「翻訳者」について語りたい。まずは、よく話すエピソードから。 数年前、当時よくつるんでいた友人が、「あっそういえば、最近シェイクスピアにハマってる」と話してくれたことがある。 その段階で、大方の有名作は読んでおり、一番良かったのは……と楽しそうに教えてくれた。私はそれを面白く聞いていたのだが、何の意図もなく「誰の翻訳で読んだの?」と質問してしまった。 してしまった、と書いたのは、その後数秒間、沈黙が流れたからだ。「ごめん、あんまそこ気にしてなかった」と困惑する
一人前、という言葉がある。 私の周りではほとんど耳にすることがない。そういう言葉を使いそうな人を、本能的に遠ざけてきたのかもしれない。 私にとっての「一人前」は、振りかざされる言葉である。経済的に自立できている、というぼんやりとした意味の裏に、それができていて当然だ、できなければならない、という通念の押しつけが感じられる。 私も10代の頃までは、その通念を共有していたが、今は違う。人は独立独歩に生きられる、という前提自体に違和感を覚えている。 * 私が「一人前」
当人にとっては習慣化されていて気にもかけないことでも、側から見ると特異にうつるということはある。 私には大学の学部時代、毎日一本、酸っぱい飲み物を口にしなければ”落ちつかない“という友人がいた。味を楽しみたいというのではなく、飲まないと不安になるのである。 講義で一緒になるときにはいつでも、彼の机上には、レモン系飲料の小瓶が置かれていた。ある時、何とはなしに、「いつもそれ飲んでるけど、美味いん?」と質問したところ、「うーん、そうでも」という反応があって、ん???、とハ
フードコートでプレーンオムライスを食べていたら、どこかから視線を感じて、手が止まる。 感じる方向に目をやると、ベビーカーに乗った幼子がこちらを見ている。 目が合ったので、ぎこちなく笑いかけると、幼子も微笑を返してくれた。素晴らしい笑みに満足して、また食事に戻ろうとすると、幼子のいる方向から何かが飛んできた。摘み上げると、丸っこいカステラである。どうやら幼子が投げてきたらしい。 あのーこれ飛んできたんですけど……と幼子の隣にいたお母さんに話しかけると、「あっ、ごめんなさ
やはり、知ったかぶりはするものではない。 こちらはテキトーに口にしたつもりでも、相手がその内容を確固たる知識として吸収する可能性がある。そしてそういう知識は、また別の人に話されることによって広まっていく。出発点にはあった「テキトー」という要素を抜きにして。 * 先日、かつて家庭教師で担当していた学生さんと会う機会があったのだが、会って早々「これ見て、先生」と叱られてしまう。 叱られの原因は、それこそ「知ったかぶり」である。 見せられたのは、加賀野井秀一の『感情的
私には行きつけのインドカレー店がある。 両手両足の指では数えられないぐらい通っているから、「行きつけ」と呼んでも噓にはなるまい。店主にも、幾度か「また来たね」と声をかけられたこともある。 顔を覚えられてしまった原因は、はっきりしている。その店は、セットメニューを頼むと、ナン及びライスがおかわり自由であることもあって、私は自分でもドン引きするぐらいおかわりしまくったからだ。店主が嫌な顔一つせず、「まだいけるね?」と積極的にナンを追加してくれたことには、今でも感謝しかない。
私はある時期まで、有吉佐和子と阿川佐和子を判別できていなかった。 阿川佐和子のエッセイが好きな知り合いの女性が、「いつか会ってお話ししてみたい」と話すのを耳にして、「もう亡くなってるのが残念ですね」と反応してしまう。当然「えっ? まだ亡くなってませんよ!」と驚かれ、私が阿川佐和子と有吉佐和子を混同していることが、明らかになった。 * 人の名前を間違えることほど、失礼なことはない。 その贖罪意識からだけではないが、定期的に意識して阿川佐和子のエッセイを読むようになっ
皆さんは、「青木まりこ現象」というのをご存知だろうか。 これは「書店に行くたびに便意を催す」という症状に名付けられたもので、『本の雑誌』(40号、1985年2月)の読者欄に寄せられた、青木まりこ氏の投書から端を発している。 この症状に心当たりがある人は「書便派」と呼ばれる。私が初めてこの言葉を耳にしたのは、「〇〇さんは、書便派ですか?」という知人からの質問だった。当時、「青木まりこ現象」自体を知らなかったので、「しょべん……何それ?」と訊き返す。その後、いろいろと解説し
小説は読者の想像力に頼りすぎだと思う。 これは、映画好きの後輩さんの口癖である。彼に誘われて映画を観に行くと、必ずこの文言を耳にすることになる。 実際に体験したり、映像に触れたりしない限り、活字の情報からある光景をイメージするのには限度がある。例えば、戦地を舞台にした小説を読むとき、そこで喚起されるイメージの多くは、既存の戦争をテーマにした映像作品に拠っているところがある。活字から想像力だけで、戦地の惨状をイメージするのは不可能である、と。 小説とは違って、映画は逃げ