旅はコーヒーとともに(岩手県盛岡市)|ホンタビ! 文=川内有緒
喫茶店には魔力がある。ひとつは淹れたてのコーヒーという魔力、もうひとつはコーヒーを淹れるひとが放つ魔力だ。とりつかれた人たちは、喫茶店をめぐらずにいられなくなるとか。
そんなことを普段から思うわりに、数年前、喫茶店がひとつもない街に住んでしまった。チェーンのコーヒー店はいくらでもあるのだけど、魔力のある店はひとつも存在しなかった。その街は電子音だけで構成された音楽みたいで、長く暮らすことは難しかった。あれから時が経ち、今は喫茶店が多い街に住んでいる。
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盛岡市も喫茶店文化が花咲く街らしい。それを教えてくれたのは『コーヒーを、もう一杯』という本で、著者は盛岡で独立系書店〈BOOKNERD〉を営む早坂大輔さん。ガイドブックではなく、それぞれのお店における思い出を書き綴った日記のような一冊だ。
「僕は人が多い場所や都会が苦手。人は少ないけど、喫茶店や映画館がたくさんある盛岡は、僕にとってちょうどいい街なんです」と早坂さんは言う。
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盛岡で最初に私が訪れた店は〈クラムボン〉。ドアに手をかけると、店の外までコーヒーの香りが漂ってくる。中には大きな焙煎機があり、どっしりしたカウンターとテーブル席がお客さんを迎える。カウンターの中にいるのは、高橋真菜さん。4年前に他界した父・正明さんから焙煎技術を習い、同じ味のコーヒーを守り続ける。店の隅には、さりげなく、お父さんの写真が飾ってあった。
痩せっぽっちでいつも黒ずくめのその姿は、なんとなく初期のボブ・ディランやニューヨークのブリーカー・ストリートをうろついていた実存主義者のような雰囲気をまとっていて、なんとも格好が良かった。
カウンター席に座ってブレンドを頼むと「うちのブレンドは深煎りですが、大丈夫ですか」と優しく声をかけてくれる。
はい、大丈夫です。
カウンターの中にはコーヒーをドリップするための種火が燃え、カップがお湯のなかで温められていた。
さし出されたコーヒーをひと口飲む。そしてまたひと口。苦味のなかにほんのりとした甘味。最高。朝起きた瞬間からずっとこれを待っていた。
ああ、居心地が良すぎて、いつまでもいたくなってしまいます、と私が言うと、高橋さんは「そうですね、たまに席で寝ている方もいらっしゃって。そういう方を見ると、ゆっくり休んでいってください、と思います」と微笑んだ。
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クラムボンから歩いて3分ほどのBOOKNERDを訪ねる。人文書、写真集、アートブックがすっきりと感じよく並ぶ。どの本も自分の居場所を見つけたように空間になじんでいる。店の奥ではレコードが回り、柔らかい日差しの中、気ままに散歩しているような曲が流れていた。
『コーヒーを、もう一杯』には8軒の喫茶店が登場する。行きつけにしてはけっこうな数だから、よく喫茶店には行かれるんですか、という世界で一番凡庸な質問をしてしまった。
「そうですね、喫茶店にはお休みの日にひとりで行くことが多いです。書店の仕事が一段落したときに本を読みに行ったり。人がいる場所のほうがかえってページが進みます」
わかります。私も時々、ただ本を読むためだけに喫茶店に行きますから。家を出る前にその店に合う本を選ぶのも楽しい。静かな喫茶店で読みたい本と、賑やかなカフェで読みたい本は、それぞれ違うような気がする。
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まだ17歳の頃、背伸びしてカフェバー風の喫茶店で待ち合わせをしたことがある。私は約束の時間より早く着き、ひとつ年上の男性を待っていた。バレンタインデーだった。付き合っていたわけではないけれど、そうなるだろうという予感があった。ところが、である。その人はなかなか現れない。ついにしびれを切らして公衆電話から電話をかけると、本人が出た。時間を過ぎてものうのうと家にいたことがショックで、ずっと待ってるんだけど、と嫌味を言うのが精一杯。彼は言い訳をぐずぐずと繰り返し、結局のところ「今日はいけない」とのこと。電話を切った後も、もしかしたら……と待ち続けたが、本当に来なかった。悔し涙が溢れ、カウンターで働いていたパンクなお姉さんがコーヒーをご馳走してくれた。帰り道、あーあ、と思いつつ、お姉さんのおかげで心は軽かった。
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古い街並みや公園を散歩しつつ、いくつかの喫茶店をめぐった。もう夕暮れで、その日の最後となるコーヒーを飲みに〈羅針盤〉に向かう。
店に入ると、街の喧騒がすっと遠のいていった。奥に長く細い空間には硬い木のベンチが並び、ピアノが置かれ、さながら小さな教会のようでもある。
もともとここは〈六分儀〉という老舗の喫茶店だった。40年も続いていたのに、「まるで小さなくしゃみをするように、その店は何の告知もせず静かに店を閉めた」と本には書かれている。
その後、現在の店主が店を引き継ぎ、羅針盤へと生まれ変わった。内装や一部の什器は六分儀時代と同じものだ。
興味を引かれるのはクリーム色の壁で、波に洗われたような模様に覆われている。この不思議な模様は、六分儀時代にタバコやコーヒー豆の焙煎の煙が堆積して形成されたのだそうだ。
店内には何人かのお客さんがいて、考えごとをしたり、手帳に何かを書きつけたり。きっと彼らもまた喫茶店の魔力にとりつかれた人たちなのだろう。
音楽はずっと古いシャンソンで、シャルル・トレネの「La Mer」も流れてきた。海への憧れや愛をのびやかに歌った名曲で、私はこれを聞くたびに港から船に乗り込んで長い旅に出たいような気分になる。
そういえば六分儀も羅針盤も、かつては海をわたる旅人たちが持つ道具だった。六分儀で自分の居場所を測り、羅針盤で目指すべき方位を知る。そうか、みんな喫茶店にいながらにして、心の中で旅をしているのかもしれない。どこか遠い場所へ。
そして喫茶店は、今日もそんな心の旅人たちを待っている。一杯のコーヒーを淹れるために。
文=川内有緒 写真=荒井孝治
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