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《猫また》猫はかわいくも怖い生き物である|『続 中世ふしぎ絵巻』

常識では考えられない不思議な出来事や化物、妖怪の登場が頻発した中世という時代を、怪異研究の第一人者、西山克が、時代背景からわかりやすく解説。さらに数々の小説の挿画でおなじみの日本画家、北村さゆりが描く「絵巻」が、あなたの眼前に中世を現出させます。前作同様、クルッと回して読むちょっとかわった装丁も魅力的な大人の絵本続 中世ふしぎ絵巻(西山 克・文/北村さゆり・画)より抜粋してお届けします。

続 中世ふしぎ絵巻

猫は怖い生き物である。猫をかわいがっておられる方には怒られそうだが、猫はかわいいだけではない、どこか不気味な内面を持った生き物であると、少なくとも昔の人たちは考えていた。猫は年老いると尾が二股ふたまたに分かれ、人の言葉を解し、時に人を食らうこともあったという。猫またがその代表的な表象であろう。

近世の絵師である鳥山とりやま石燕せきえんが『画図百鬼夜行』で描いた猫または、白黒のぶち猫で赤い手ぬぐいをかぶり、後足で民家の縁側に立っている。その尻尾は長く二つに分かれている。空に三日月がかかっているので夜の情景であるらしい。ちなみに現代の妖怪にもつながってくる異形の化物たちで、最初に固有名詞を持ったのは猫まただろう。

さて、歌人藤原定家の日記である『明月記』天福元(1233)年八月二日条に、奇妙な記事が書き残されている。奈良からお使いでやってきた小童がこんなことを言ったというのである。奈良で「猫胯ねこまた」というけだものが現れたと。七、八名の人が一夜のうちに噛まれ、そのため死者も多く出たという。この獣は結局打ち殺されたのだが、見ると目が猫のようで、体は犬のように長かった。

これが猫またの初見史料である。定家は続けて二条天皇(在位1158~65)の時代に、この「鬼」が京中に来たという雑人の話を紹介している。人を食らうということが鬼の特性であるから、人を襲う猫またも鬼と見なされたのであろう。猫または二条天皇の時代には京都に来たこともあった。少なくともそのような巷説が存在した。

さらに定家は次のようにも言っている。定家が少年のころ、「猫胯」という病が流行はやって諸人が病悩したと聞いたことがあると。応保二(1162)年生まれの定家が少年というのだから、せいぜい1170年代の始めまでのことだろう。この「猫胯」病は猫鬼の引きおこす病で、いまの結核かともされるが、詳細はよくわからない。

猫またの正体

さて、猫またとは何か。気になるのは、奈良からお使いでやってきた小童が、獣と表現していることである。それは妖物でもなく化物でもなく、獣だったのだ。野生の動物、あるいは野生化した動物。

それについては、藤原通憲みちのり信西しんぜい)が編纂した歴史書である『本朝ほんちょう世紀せいき』の久安六(1150)年七月二十七日条も参考になるだろう。近江国おうみのくに甲賀こうか郡と美濃国みののくにの山中に出現した「奇獣」についての記事である。この奇獣は夜行性のようで夜間に群れをなして村を襲い、児童を噛み損じたりしたらしい。そして記事は言う。土俗これを猫と号すと。どうやらこの奇獣は皮が美しかったようで、殺され皮を剥がれてしまっているが、この猫と号する奇獣も化物ではなく、あくまで「獣」だったのである。

猫または、犬のように長い身体に猫の目を持つ獣。しかも人を殺傷する能力を持っている。そんな動物が日本にいる訳がないと思われる方が多いだろう。まるでひょうででもあるかのような。しかし、『明月記』嘉禄二(1226)年五月十六日条には次のような記事も残されている。去年と今年、宋朝の鳥獣が京都に充満している。南宋から海を渡ってやってくる「唐船」が運んでくるのだ。「豪家ごうか*」では競ってそうした鳥獣を飼い養っていると。

*摂関家や武家の名門など、格式が高く権勢のある家

来朝するさまざまな動物たち

平清盛が日宋貿易の拠点として大輪田泊おおわだのとまりを大改造しきょうしまを築いたのは承安三(1173)年だが、貿易自体は私貿易の形態で十世紀から続いていた。特に南宋が成立(1127年)して現在の杭州に都を置くと、日宋間の交易は質の異なるものとなった。いまふうに言えば、院政期の日本は南宋を中心とするグローバル社会の一員となったのである。

この日宋間の交易のなかで、どのような鳥獣が日本に渡ってきたのか、史料はそれほど多くないが、たとえば鎌倉後期の歴史書である『百錬抄ひゃくれんしょう』の承安元年七月二十六日条には、平清盛が後白河法皇に献上した動物の名前が記録されている。羊五頭と「じゃ」一頭。「麝」は麝香鹿じゃこうじか。南アジアに棲息せいそくして麝香の原料となるあの動物である。あるいは、鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡あづまかがみ』の嘉禄二年十月十八日条に、六波羅探題ろくはらたんだい北条ほうじょう時氏ときうじが将軍藤原頼経よりつねに献上した唐鳥からとりが記録されている。翼が青く頭が赤く、その赤のなかに白い筋がある。そして頭には環が廻っている。一読してカンムリバトのように思えるのだがどうだろう。

猫または宋渡りの猫科の動物で、興福寺あたりで飼育され逃げ出したもの。私はそう思っているのだが、これが鎌倉時代末期の『徒然草』になると、明らかに化物に変貌する。「猫のあがりて、猫またになりて、人とることはあなるものを」。つまり猫は年を取ると猫またとなって人を食らうと。後世に語り継がれる猫またのイメージは、ほぼこの段階で仕上がっている。猫はかわいくもまた怖い生き物なのである。用心用心……。

あんたの猫はだいじょうぶかい?
ずいぶん歳とって 態度が悪い
そういや 昨夜は手ぬぐいかぶって出ていった

西山 克=文 北村さゆり=画

【参考資料】
黒板勝美編『國史大系第9巻 本朝世紀』(吉川弘文館)
藤原定家著『明月記』(国書刊行会)
黒板勝美編『國史大系第11巻 百錬抄』(吉川弘文館)
田中貴子『猫の古典文学誌』(講談社学術文庫)
藤原重雄『史料としての猫絵』(山川出版社)

西山 克(にしやま・まさる)
東京都生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得。京都教育大学名誉教授。東アジア恠異学会前代表。著書に『道者と地下人―中世末期の伊勢』(吉川弘文館)、『聖地の想像力―参詣曼荼羅を読む』(法蔵館)、『地獄への招待』(編著・臨川書店)などがある。

北村さゆり(きたむら・さゆり)
静岡県生まれ。多摩美術大学大学院修了。日本画家。装画に山本兼一『利休にたずねよ』、今村翔吾『羽州ぼろ鳶組』シリーズなど。新聞連載挿画に宮部みゆき『迷いの旅籠』や今村翔吾『人よ、花よ、』がある。2021年には藤枝市で特別展を開催。
北村さゆりホームページ kitamurasayuri.jp

続 中世ふしぎ絵巻
西山 克・文/北村さゆり・画(ウェッジ)

<本書の目次>
【奇の章】鵺の森/カラカラ/猫また/天狗が化けるとき/ささやきの橋 /龍、飛ぶ/狐狸のいる風景/時を告げる雌鶏/付喪神共同体
【願の章】漂流する霊木/蜘蛛の糸/家族の肖像/越えてくる神/帰る神/伝源頼朝像/大根侍/老貴族の夢/騎乗する女神
【祟の章】河原院の鬼/地獄の樹/火車/怪異は踊る/死霊の祟り/金輪の恋

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