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上諏訪に行けば、あの笑顔に会える|吉田重治(kamebooks代表)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただくエッセイあの街、この街。第28回は、千葉県の松戸市で小さな独立書店を営みながら、各地で古本市を主催されている吉田重治しげじさんに、長野県の上諏訪について綴っていただきました。

年に数回訪れている街がある。何の縁もなかった街。

きっかけは、松本英子さんの漫画『荒呼吸』*。初めて訪れたときは、『荒呼吸』をガイドブックのように持って、上諏訪の街をただただ歩いた。漫画に出てきたサボテンを見かけて思わず手を伸ばしてしまい、とげが指にささって、上諏訪でとげきを買うハメになったこともある。

*人気イラストレーターによるエッセイコミック。5巻「呑み歩き」の章に上諏訪の話が描かれている

まったく知らない街を知らないまま歩いていた。誰も知らない。誰にも知られていない心地よさを味わいながら。そういえば、当時の諏訪湖には亀の遊覧船があった。亀に乗って、諏訪湖を遊覧する。亀が好きな僕には、それだけでも大満足。

上諏訪駅の近くには、甲州街道沿いに5軒の酒蔵が建ち並んでいる。その五蔵の日本酒が愉しめる「上諏訪街道の呑みあるき」も年に2回開催されていた。『荒呼吸』で知り、いつか行きたいと思っていた。念願かなって行ってみると、駅から降りた時から楽しい。呑み歩き用のお猪口をもらい、酒蔵をめぐる。首から下げられる自作のお盆の上に酒の肴を乗せている人もいた。それぞれの工夫が素敵で、次は僕も作ってみようと誓った。みんなが酔っ払って、へらへらと笑っている。少しぶつかっても、へらへらと謝り、へらへらと許されていく。なんとも心地よい祭り。コロナ禍で中止されていたが、この秋ようやく再開された。喜ばしい。

また、今は開催されていないイベントに、酒蔵で本を売る「くらもと古本市」があった。酒を呑みながら、本を選ぶことができる。楽しいに決まっているようなイベント。

そこで、ある酒蔵の杜氏さんと出会う。彼は少し不自由そうな体で日本酒を注いでくれた。その日本酒はすっと体に入ってきて、美味しいなぁと自然に思えるような味で、すっかりお気に入りの日本酒になった。彼と本の話題になり、漫画『もやしもん』の話をした記憶がある。また、“発酵学の父”とも称される坂口謹一郎さんの本を教えてもらった。上諏訪に行く度に、お土産にその酒蔵の日本酒を買って帰っていた。

お酒を買えた喜びを味わいながら、少しだけ気がかりだったのは、その杜氏さんの体が少しずつ不自由になっている気がしたこと。何となく、検索したらALSという難病だった。信じられなかった。病気のことを知って、どんな顔で会ったらよいのだろう? と少し不安になった。でも、彼もそのご家族も、会うと笑顔で迎えてくれる。僕の不安を吹き飛ばすような、素敵な笑顔で。

今でも、呑み歩きには参加している。最初はお酒が目的で行っていたけれども、今はその杜氏さんたちに会いたくて行っている気がする。上諏訪に行けば、あの笑顔に会える。

知らない街へ行く楽しさが、少しずつ知っている街へ行く楽しさに変わっていく。少しずつ好きな場所が増え、好きな人が増える。少しずつ上諏訪という街に溶け込んでいけたら嬉しい。

文・写真=吉田重治

【古本市開催のお知らせ】
kamebooksさん主催の古本市『Nishi-chiba book garden』が2024年4月20日に開催されます。出店者の募集開始は12月25日より。詳細はこちらのSNS公式アカウントにてご確認ください。
https://twitter.com/nishichibabook

吉田重治(よしだ・しげじ)
1972年生まれ。普段は、本と関係のない仕事をしながら、週末に本の活動を行う。各地の一箱古本市に出店する傍ら、西千葉や本八幡を中心に古本市を主催。また、松戸市稔台にある古いアパートで「ことばのある場所 甲羅文庫」を運営している。

▼「あの街、この街」のバックナンバーはこちら

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