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“季節の暦”を知れば「台湾の旅」はもっと楽しくなる|旅に効く、台湾ごよみ(1)

台湾といえば「常夏」――そんなイメージをお持ちの方も多いかもしれません。しかし、台湾にも南国ならではの季節の移ろいがあります。この連載「旅に効く、台湾ごよみ」では、季節の暦(二十四節気)に準じて、暮らしにとけこんだ行事や風習、日台での違いなどを、現地在住の作家・栖来ひかりさんが紹介。より彩り豊かな台湾の旅へと誘います。

 “皿跳ねかえるしぶきひんやり台北に秋”

 秋分を過ぎた頃、台所で洗いものをしていたら、水道水に昨日までと違う冷たさをみつけ、こんな句をこしらえた。

 台湾といえば「南国」「常夏」なイメージが強いかもしれないが、季節の移ろいや四季もきちんとある。

 道をあるけば銀木犀の薫りが鼻をくすぐるので、振りかえりながら、立ち止まりながらのこの季節。日本では道路にミカン色の絨毯をつくる金木犀の花が秋の風物詩だが、台湾では銀木犀のほうが多く、小さな巷子の路上駐車の車の上に白くて小さな花をひかえめに散らしている。春と秋に花をつけ、産毛をなでるように薫る台湾の銀木犀も、虫歯が疼きそうなほどに切なく甘くただよう日本の秋の金木犀も、わたしは大好きだ。

 台湾の季節を感じながら、日本の四季にこころを馳せたり、共通点や違いを見つけたり。そんな暮しが楽しいのも、台湾には「農暦」(ノンリー)を元にしたリズムがあるからかもしれない。「農暦」とは「太陰太陽暦」のことで、日本では「旧暦」と呼ばれている。基本的には日本と同じく西暦表示の台湾のカレンダーにも、大抵記されているこの農暦は、台湾の人々の暮しに欠かせないものだ。

4千年の歴史を持つ「二十四節気」

 古代の人々の勤勉さと観察力には、ほとほと感心してしまう。混沌とした時間の中で生きるために日々を戦いながら、昇っては沈む太陽、満ちては欠ける月、天をめぐる星につれて変わりゆく自然を観察し、一定の法則を見いだしてきたのだから。そうして生まれたのが現在の「暦」だが、いまのところ大きく分ければ世界には大きく分けて3種類ある。

 ひとつは現在、主流となっている西洋暦(平年を365日/12か月/週7日/1日24時間で区分する、グレゴリオ暦とも)で、これは地球から見た太陽の通り道(黄道)を基準にした「陽暦」。

 ふたつ目はイスラーム文明に生まれたイスラーム暦で、月の満ち欠けを元にしており「陰暦」とも呼ばれる。

 そして3つ目が、古代中国の黄河流域で発展した「太陰太陽暦*」。

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*太陰太陽暦とは:ひと月の始まりを新月として、満月をからまた新月に戻る約29.5日間を一か月とするのはイスラーム暦と同じです。でもそのままでは、地球が太陽の黄道をめぐる一年のサイクル(約365日5時間48分48秒)と少しずつズレて、陽の光と関係の深い「季節」と合わなくなってしまいます。そこでもうひとつ、太陽が一回転する一年を15度の角度で24個の期間に分けた「二十四節気」をつくり、閏月を入れて月日を定めたのが「太陰太陽暦」です。

 二十四節気の誕生については、周から漢の頃にかけて儒学者によってまとめられた『礼記(らいき)』の「月令篇」に片鱗がみられる。しかも、そこに記された太陽の季節サイクルの中で現れる動物や虫、植物や雨風にまつわる自然現象をつぶさに観察し、一定の変化を見出した初のこよみ『夏小正』は、今から4千年ほど前の伝説の王朝「夏」の頃、すでに存在したとの説もある。

文学的な表現も多い「七十二候」

「立春」「春分」「夏至」「秋分」「冬至」といった二十四節気は日本でもお馴染みだが、さらに繊細な季節感を付け加えたのが「七十二候」だ。ひとつの節気(15日)を約5日ごとにわけた期間に昔の人が観察した自然現象をまとめたものだが、何とも文学的で愉快なものが多い。

 例えば「立春」(陽暦2月4/5日)なら

 “東風解凍 蟄蟲始振 魚陟負冰”

 東からの春風が水に厚く張った氷を少しずつ溶かし始め、地の中で冬眠していた虫たちが呼び覚まされて、水の深いところを泳いでいた魚たちが顔をのぞかせる。

 立春の次の「雨水」には“獺祭魚”という候があり、獺(かわうそ)がお祭りのように獲った魚を岸に並べて食べる様子が出てくると聞けば、有名な日本酒銘柄「獺祭」思い出す方も多いのではないだろうか。

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 夏の暑さがピークになる「大暑」の候にあるのが、“腐草為螢”(草腐れて蛍となる)。科学的な知見の少なかった昔の人には、水草についた卵から蛍が孵ったのが、夏の暑さで腐った水草が蛍になったと見えたんだろう。素朴だけど、頭のなかですぐに情景が動き出してくるような楽しさがある。

「二十四節気・七十二候」はそれから長いあいだ、人々が種をまいて苗床を作ったり、狩りをしたり、田植えや刈り取りをするといった暮しの拠り所となってきた。つまり西洋の太陽暦とイスラームの太陰暦、どちらの要素も兼ね備えつつ、季節の移ろいとの融合を目指したのが「太陰太陽暦」で、これは遣唐使によって日本にも伝わり、西洋暦に切り替えられる明治6(1873)年まで1000年以上も使われていた。

台湾の旅をもっと楽しく

 現代では、ほかの東アジア・東南アジア諸国でも基本的には西洋暦が基準となったが、今も農暦(太陰太陽暦)に合わせて新年(春節)をお祝いする国は少なくなく、台湾もそのひとつだ。

「春節」と聞けば日本では、インバウンド客の増える時期といったイメージしかないかもしれない。でも実を言えば、日本が明治維新より近代化に向けて目指した「脱亜入欧」を経ても今なお、季節の移ろいを繊細に感じ取り愛でる心が日本の人々に備わっているのは、はるか昔から自然を敬い怖れ親しんできた、アジア地域の一員だからなのではと思っている。

 ちなみに「七十二候」は、江戸時代に日本の気候に合わせて改変され日本バージョンもできた。元々は中国の華北平原で作られたので、更に東に位置し気候も異なる日本では、季節感の合わない部分が多いからだ。元のものに、日本的なセンスが加えられ心惹かれる候もある。3月初旬の「驚蟄」にある“桃始華”がそれで、日本バージョンでは“桃始笑”(桃はじめて笑う)に改められた。花の咲くことを「笑う」といい、明るく萌える山々を「山笑い」と表現してきた日本語独特の魅力をかんじる、すばらしい候だと思う。

 そういう意味では、華北平原とは地理も歴史的にもずいぶん隔てられた台湾で、「台湾バージョン七十二候」を考えるのも面白そうだ。なにせ熱帯/亜熱帯であるし、漢族よりずっと前から台湾に住んでいる原住民の人々の暦だってある。しかし、地域やエスニシティやコミュニティーの違いも含め各個人で見える風景のまったくちがう現代において、ひとつに集約してしまうというのも乱暴な話だし、現実的ではないだろう。そんな訳で、台湾台北を中心に暮らす日本人としての眼でみた「わたし的台湾七十二候」について、この連載のなかで挑戦できたらと考えている。

 日本と根っこで繋がったアジアの国々の文化を感じつつ、その種が日本の風土で育ってきた道のりに思いを走らせながら、台湾の風土や移ろう季節にまつわる色んなことを知って、次に台湾に行くのが楽しみになる。または、いつもの台湾風景が少し違って見える。この度はじまった新連載「旅に効く、台湾ごよみ」がそんな風に、読んでくださる皆さんのお役に立つなら嬉しい。

文・絵=栖来ひかり

栖来ひかり(すみき ひかり)
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。


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