京都に最も似合う桜・紅しだれに包まれて|花の道しるべ from 京都
「ひと枝だに惜しまるる」
桜をいける時、祖父が決まって口にした言葉だ。豊麗な桜花の美しさに敵うものはないのだから、ただやみくもに花鋏を入れるのではなく、つぼみのついた枝はたとえ一本でも大切に扱うように、という先人の教え。桜は、豊かに艶やかにいけるのが良しとされる。
華道家にとっての勲章 華道京展に出瓶
咲き誇る花たちは、みずみずしい生命力に満ちあふれ、誰もが知らず知らずのうちに、心を浮き立たせる春。華道家にとっては繁忙期でもある。昭和25年にスタートした「華道京展」は、様々な流派の作品が一堂に会する諸流合同いけばな展として最も古い歴史を持つ。ここ2年間は感染拡大の影響で通常通りの開催ができず、一昨年は中止、昨年は二条城での野外展という形となり変則的だったが、今年は久しぶりの通常開催。4月7日~12日、大丸ミュージアム<京都>にて、京都いけばな協会に所属する30流派のいけばなが展示される。歴史のある展覧会なので、各流派の中でも華道歴の長い高弟の先生方が参加する。華道京展に出瓶することは京都の華道家にとって、ひとつの勲章だ。
桜をはじめとした艶やかな花たちが主役となり、会場内は文字通り華やかな空間となる。いけばな展で使用する花枝は、普段の稽古で使うものとは異なる。例えば桜の場合、稽古花は、太さ1.5㎝、長さ1mくらいの彼岸桜や啓翁桜。いけばな展になると、直径5㎝、長さ3mほどの「本桜」と呼ばれる枝を使う。花も大輪で立派だ。もちろん値が張るが、晴れの場だから少し贅沢をする。よく品種名を尋ねられるが、桜は自然に交配が進むため、正確な品種名は生花店でも分からない。
しだれ桜も、稽古花ではめったにお目にかかれないが、いけばな展では重宝する。朝、かたい蕾の状態でも午後には満開になってしまうので、毎日のようにいけかえなければならないが、紅しだれの持つ何とも言えない色気はまた格別だ。
こうした大きな枝を入手してくれるのは、「切り出し」と呼ばれる仲買。依頼を受けて山野の草木を合法的に伐採し、花市場や生花店に届ける専門の職業だ。いけばな展の時期に合わせて花がほころぶように、冷蔵庫や温室で開花調整を行うのも切り出しの仕事。温度管理は繊細で難しく、長時間冷蔵庫に入れておくと花が縮こまってしまい、うまく開かないこともある。
華道京展の時期は、市中の桜も見頃となる。例年、華道京展の手直しに向かう車中から、鴨川沿いの桜を楽しむ。桜並木は、北側から眺めるよりも、南側から見た方が断然美しい。太陽に向かって花枝を伸ばし、蕾をつける自然のたくましさに元気を分けてもらう。
「細雪」の幸子が最も愛した 平安神宮のしだれ桜
数ある名所の中で、「細雪」の幸子が最も愛したのが、平安神宮の桜だ。中でも、神苑の入り口にある紅しだれは、海外にまでその美を謳われたほど。美しい桜は数あれど、しだれ桜ほど京都に似合う花は他にないのかもしれない。はんなりとした優しい紅の色合いと流れるような枝ぶりからは、柳のようにたおやかな印象を受けるが、実は意外とねばりの強い木。芯の強さを奥に秘めた京女を思わせる。
日本人が特別な感情を抱いてきた「百花の王」
日本人は古来、桜を「百花の王」と称し、この花に特別な感情を重ねてきた。春が近づくと、まるで想い人でも待つかのように、蕾がほころぶのを心待ちにする。やっと五分咲きと思いきや、あっという間に満開になった花を無情の一雨が散らせてしまう。その儚さが、いつの時代もわれわれの心に沁みるのだろう。
花や葉が未だ生じていない「未生」の季節から、まばゆいばかりに輝く花の盛り、そして潔い散り際…。折々の桜の姿は、われわれの歩んできた人生の一場面に重なり、一層郷愁をかきたてる。
月明かりの中で眺める夜桜はまた格別。幸子が愛でた満開の紅しだれに包まれて、今宵、花たちの声にそっと耳を傾けてみたいものだ。
文・写真=笹岡隆甫
写真提供=平安神宮
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