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何もない街で語られた、美しき昭和の記憶(三峰口・秩父鉄道)|終着駅に行ってきました#1

終着駅という響きに、わけもなく惹きつけられる。この先にはもう線路がない、という最果てのロマン。そして一抹の哀愁。そこには、どんな街が広がり、どんな人たちが息づいているのか。憧れでもある地に降り立ち、周りを歩いて、ついでに一杯……。中年男性ふたり組の旅行記終着駅に行ってきました、はじまり、はじまり。
文=服部夏生 写真=三原久明

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「ないよ、ない。ここにはね、なんにもない」

 ここは秩父鉄道の終着駅、三峰口(みつみねぐち)。

 駅前の餅屋の老婆は、この地の見どころを尋ねた僕の質問を遮るかのように、くぐもった声で答えた。

「なんにもないんですか」

「ない」 

 餅を包んでもらいながら、もう一度確認したが、にべもない。

 * * *

 終着駅にはドラマがある。そう思っていた。

 例えば、岬のはずれにある木造の駅舎。少し歩けば小さな漁港と灯台。美人の女将が切り盛りする一軒の食堂。高倉健……。いや、そこまでロマンチックな要素を期待していたわけじゃない。でも、三峰口にだって「なにか」があるはずだ。

 そんな思惑を、木造家屋の暗がりに棲む老婆に、鉈のようにぶった切られて、ぼくたちは、すごすごと店を出た。

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 外は、穏やかな青空が広がっていた。

 駅前のベンチにも老婆たちが座っている。部外者には理解できない地元の噂話に興じる彼女たちの周りを、ツバメがついついと飛び回る。停車中の町営バスから運転手が降りてきて老婆たちの会話に加わる。

 電車が到着して、若いカップルが降りてきた。付き合いだして間もない感じの初々しさが、あたりの雰囲気を少しだけ華やかにさせる。

 彼らは、1本前の電車で降りたぼくたちとまったく同じ順序で、駅前を見回した。

 まず正面に食堂が2軒。隣に件の餅屋。視線を横に向けると、バス停。反対側に、閉店中の蕎麦のスタンド、三峰神社へのバスの時刻表。ベンチには老婆。そしてぼくたち。

 あてがはずれた表情になった彼らは、バスの時刻表を見て、今度は暗い顔になった。本数が少ないし、時間もかかる。今から三峰神社に行っても、そのまま折り返しのバスに乗って戻ってくるしかないはずだ。ひそひそ話しているうちに、その事実が腑に落ちたようで、彼らはやおら切符を購入すると、折り返しの電車に乗り込んでしまった。

 ややあって電車は彼らだけを乗せて秩父の市街地へ向かい、バスの運転手もドアをばたんと締めて無人のまま出発していった。

 駅前には、老婆たちとぼくたち中年コンビが残された。時間が止まったような気だるい昼下がり、ツバメだけが飛び続ける。

 なにもない、という老婆の声が頭の中でリフレインした。

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 昭和時代の三峰口は、貨物輸送で賑わっていた。

 完成したのは昭和5年。当初は荒川沿いにもう少し遡っていく予定もあったが、実現はしていない。いずれにしても、奥秩父から産出される鉄鉱石を中心とした鉱石を輸送することが、この駅の大きな役割だった。鉱石は駅から500メートルほど進んだところにある貯蔵槽まで運ばれ、秩父鉄道の貨車に積み込まれていた。

 鉱山から貯蔵槽までは、専用のロープウェイが運搬を担っていた。全長約22キロもあったという。アップダウンの激しい地形ゆえ、線路を敷いてトロッコを走らせるより合理的だったのだろうが、なかなかダイナミックな輸送方法だ。昭和40年代終わりに、価格暴落などの事情で鉄鉱石の採掘を終えるまで、それらの多くは三峰口から貨物列車で京浜工業地帯に送り込まれ、日本の高度経済成長を支えた。

 鉄鉱石の取り扱いが終わって駅の貨物の取り扱い量は激減する。それでも細々と続けられたが、昭和の終わりについに途絶え、三峰口は旅客専用駅となった。

 平成の世となって30年。1日の平均乗降客数は400人弱。秩父鉄道の全35駅中(注:現在は36駅)、25位前後の利用客数だ。地元の人たちの他には、三峰神社への観光客や奥秩父の山々へのハイカーたちが利用するが、数字を見る限り、その数は多くない。休日には秩父鉄道名物の蒸気機関車もやってくるが、ほとんどの乗客は、先ほどのカップルのように、そのまま折り返しの汽車に乗っていくらしい。

 貯蔵槽へと続いていた線路は、今も蒸気機関車などの引き上げ線として現役だ。でも、使用されているのは、荒川にかかる橋の手前までのほんの一部。その先は草むらに埋もれてしまっている。たどるのは、相当の覚悟が必要だ。諦めて、荒川沿いの林道を少し遡ったが、崖の上からは貯蔵槽の痕跡を見つけることはできなかった。

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 だが、駅の裏にある、秩父鉄道車両公園なる廃車を集めた一角など(注:現在はSL転車台公園となっている)、駅周辺の広大な敷地を見ると、いかにこの駅が貨物輸送で賑わっていたかを感じることができる。駅前のかつてはスーパーマーケットだったと思しきコンクリの空きビルを見ても、その賑わいぶりは想像がつく。

 貨物輸送の廃止とともに「昭和」の中に、取り残された。

 三峰口は、そんな駅なのかもしれない。

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 ゆるゆると駅に電車が入ってきた。ステンレス製の車体に向かって、幼児が手を振る。母親に家に戻ろう、と促されるまで一所懸命に振り続ける。

 気づくと、家庭では、夕飯の準備がはじまるくらいの時間になっていた。列車の本数が少ないことは先ほど時刻表で確認した。そろそろ帰りの時間を考えて行動した方がよさそうだ。

 ずっと駅の景色を撮影していたミハラさんが顔をあげた。

「ちょっと早いけど、そろそろお店に入らない?」

 期せずして同じことを考えていた。問題はどこに入るかだ。

 陽はまだ高いが、駅前の定食屋はいずれも閉店していた。観光客の来店が見込めない平日は、さっさと店じまいをするのがここの流儀なのだろう。

 明かりが灯っている飲食店は目の前にたたずむ小さな焼肉屋だけ。他の選択肢はなさそうだ。

「つまみはないよ。うちは焼肉専門だから」

 瓶ビールと、すぐ食べられるものがほしい、と声をかけたぼくたちに、店主はにべもなかった。餅屋の老婆といい、よそ者にすげなく接するのもまた、ここの流儀のようだ。

「じゃあ、シロと肩ロース、とりあえず一人前ずつ」

 気をとりなおして、店で一番安い品と、定番の品を注文した。”ハズれ”だった時の被害をできるだけ避けようという、消極的な思惑が込められている。

 店主は、うなづくと、コンロのガスの元栓を開けて厨房に消えた。沈黙が、他の客も店員もいない店内に流れる。見渡すと、壁一面に川柳を記した色紙がかけられている。

「マイナンバー ナンマイダーと 祖母が言う」

「また旅行 『冥土の土産』と 決めゼリフ」

 自虐的な五七五が並ぶそれらは、まとめて「シルバー川柳」と名付けられている。どうやら店主が地元の年配者たちを集めてプロデュースしているようだ。傍らにはそれを報じる新聞記事の切り抜き。

 一角には、メニューとともに、演歌歌手の色紙がいくつも並べられる。反対側には歌謡教室の看板と、店主と芸能人らしき人物との2ショット。

「知ってほしい」サインをこんなにふんだんに、しかも、てらいなく出す店は珍しい。気難しげに見えて、実は、気のいい話したがりなのかもしれない。

 店主が切り分けた肉を持ってきた。空腹も手伝い、すぐに焼き始めた。

「これ、うまいよ」

 ミハラさんがぼそっとつぶやいた。

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 確かにうまい。特にシロ。古いホルモン特有の獣臭さがないし、噛むと跳ね返してくる弾力が心地いい。自家製のたれも全然、悪くない。期待していなかっただけに、うまいもんを食べられる喜びが込み上がってきた。

 カシラと豚タンを追加した。

 間をおかないでの注文に、店主の顔が幾分やわらいだ気がした。

 先ほどの期待が確信に変わった。この人は、話してくれる。妙な使命感のようなものが生まれてきた。歩き回ったことで、ぼくなりに愛着もわいてきた終着駅のことを、もう少し知りたい。同時に、スーパーマーケットもない山あいの街で、かくも新鮮なホルモンを提供する店主自身にも、少なからず興味が湧いてきた。

「これ、おいしいですね」

「ああ、昔からのツテでね、新鮮なホルモンが手に入るんだ」

 邪険にされたらとか、面倒な人だったら、と思い悩んでいたのが、馬鹿らしく感じるほどの、あかるい声だった。笑顔になった店主を見て、肩の力がすっと抜けた。

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「マスター、この写真に一緒にうつっている方、有名な方ですよね? たしか…」

「遠藤実さんだよ」

「作曲家ですね。大物だ」

「ああ、古い友だちなんだ」

 そこから話はつながっていった。

 店主は、この街の生まれだった。歳は80歳前後。幼い頃のこともよく覚えていた。

「道の向かいに大きな駐車場ありますよね」

「ああ、あそこは材木置き場だったんだ。秩父の山奥から伐り出した木をあそこに集めていたんだ」

「鉱石も集まっていたんですよね。賑やかだったんでしょうね」

「ああ、賑やかだった。鉱山がある中津川って山奥の集落に、当時は何千人って人がいてね。三田川ってところも大勢住んでいた。その人たちが、ここらにきて、飲んだりしていたねえ」

 高度経済成長を体現するかのようなこの街を、店主は、青年時代に飛び出した。親との折り合いが良くなかったし、山あいの街は刺激が足りなかった。歌で身を立てるという夢があった。

 都会に出て修業をはじめた。やがて、流しの歌手として、一本立ちした。夢がかなったのだ(同じく流しの歌手から身を立てた遠藤実とも、その頃出会ったようだ)。

 先ほどからの人懐っこい笑顔を見たら、その成功もうなづける。ほろ酔いになった時、この顔で景気のいいところを歌ってくれたら、酒がますますうまくなるだろう。

「そうかな。ま、こんな感じだったんだよ」

 店の奥に置かれたフォークギターを手に取ると、演歌を一節うなってくれた。声も深みと伸びがあって、気持ち良く響く。

 声とキャラクターを武器に実績を積み、他の歌手も束ねる”顔役”にまでになった。北関東一帯の流し歌手たちを仕切っていたという。

 そこが、全盛期だった。

「でもね、ここに戻ってきたんだ。ひとりでさ」

 戻ってきてからは、実家を改装して、焼肉屋を営んできた。歌や川柳の指南も気の向くままやってきた。今でも、一人ぐらしを続ける。

「時代の流れとかさ、まあいろいろあったんだ」

 なぜ、この取り残された終着駅の街に、ひとり戻ってきたのかは、語らなかった。訳を知りたい、という好奇心もあった。だが、それ以上は聞かなかった。おいしいお酒を飲みたかったら、自分が受け止めるだけの器量のなさそうな話は、聞かないことが鉄則だ。そして「訳」のない人生なんて、たぶん、どこにもない。

 瓶ビール一本でご機嫌になったミハラさんと、いつしかサシで昔話に花を咲かせる店主。彼らを横目にホルモンを食べながら、ぼくはそう思う。

 * * *

 帰りの電車の中で、餅を取り出すと、すでに硬くなり始めていた。添加物を使っていない、昔ながらの作り方なのだ。

「そういえばさ、餅屋のおばあちゃんさ」

 他に誰もいない車内で、酔いの回ったミハラさんの声が響いた。

「電車に乗ろうとして、店の前を通り過ぎた時、こっちを見て挨拶してくれたよ」

 老婆の「なにもないよ」という声が、再び脳裏に浮かび上がってきた。

 不意に気がついた。老婆は怒っていたのではなかった。無愛想だが、思っていることを言っただけだった。貨物列車が連なり、駅前に人が溢れていた昭和の全盛期。それを知る老婆にしたら、今の駅前の街は「なにもない」に等しいのだ。

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 三峰口には、昭和の記憶が、静かに息づいている。

 記憶は浄化されるものだ。だから、焼肉屋の店主が語る話では、賑やかで、誰もが前を向いて努力する、そんな古き良き昭和を舞台に、主人公がいきいきと活躍していた。リアルな人生の上澄みのドラマだ。

 ギター片手に語られた言葉から、ぼくは想像する。語られることのなかった数々の言葉を。彼や、あの街で言葉を交わした人たちの人生を。自身のそれとどこか重ねあわせながら、思いを巡らせる。

 悪くない、全然、悪くない。生き抜いているじゃないか。

 夕方の駅で手を振っていた幼児は、この電車が走り出す音を聞いただろうか。

 宵闇の中、せわしない線路のジョイント音を耳にしながら、ぼくは浅い眠りに落ちていった。

文=服部夏生 写真=三原久明

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【単行本発売のお知らせ】
本連載をもとに加筆修正して撮り下ろしの写真を加えた書籍『終着駅の日は暮れて』が、2021年5月18日に天夢人社より刊行されます。

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服部夏生
1973年生まれ。名古屋生まれの名古屋育ち。近所を走っていた名鉄瀬戸線・通称瀬戸電に、1歳児の頃から興味を示したことをきっかけに「鉄」の道まっしぐら。父親から一眼レフを譲り受けて、撮り鉄少年になるも、あまりの才能のなさに打ちのめされ、いつしかカメラを置く。紆余曲折を経て大人になり、大学卒業後、出版社勤務。専門誌やムック本の編集長を兼任したのちに、フリーランスの編集&ライターに。同じ「鉄」つながりで、全国の鍛冶屋を訪ねた『打刃物職人』(三原久明と共著・ワールドフォトプレス)、刀匠の技と心に迫った『日本刀 神が宿る武器』(共著・日経BP)といった著作を持つ。他、各紙誌にて「職人」「伝統」「東京」といったテーマで連載等も。趣味は、英才教育(!?)の結果みごと「鉄」となった長男との鈍行列車の旅。
三原久明
1965年生まれ。幼少の頃いつも乗っていた京王特急の速さに魅了され、鉄道好きに。紆余曲折を経て大人になり、フリーランスの写真家に。95年に京都で撮影した「樹」の作品がBBCの自然写真コンテストに入賞。世界十数か国で作品展示された結果、数多くのオファーが舞い込む。一瞬自分を見失いかけるが「俺、特に自然好きじゃない」と気づき、大物ネイチャーフォトグラファーになるチャンスをみすみす逃す。以後、持ち味の「ドキュメンタリー」に力を入れ、延べ半年に亘りチベットを取材した『スピティの谷へ』(新潮社)を共著で上梓する。「鉄」は公にしていなかったが、ある編集者に見抜かれ、某誌でSLの復活運転の撮影を請け負うことに。その際の写真が、数多の鉄道写真家を差し置いて、教科書に掲載された実績も。趣味は写真を撮らない乗り鉄。日本写真家協会会員。

※この記事は2017年6月に取材されたものです。

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