小器用な者ほど大きな智恵を持たない|『超約版 家康名語録』より(1)
小器用な者ほど
大きな智恵を持たない
『名将言行録』
これは、家康がまだ幼名の竹千代で呼ばれていた頃、尾張国清須の町で発したとされる名言である。
竹千代は三河国の有力国衆・松平氏の当主で岡崎城主・松平広忠の子としてこの世に生まれた。そんな彼は六歳の頃、駿河・遠江の両国を支配して三河にも強い影響力を持っていた、今川義元のもとへ人質として送られることになったのだ。
では、なぜ尾張にいたのか。実は、三河国田原の城主・戸田康光という人が、送られる最中の竹千代を連れ去り、反対側の尾張へ連れて行ったのだ。そこには三河を巡って今川と争っている織田信秀がいた。信秀からすれば、竹千代をうまく使えば松平氏を自分の味方にできるわけで、格好の人質であったわけだ。
こうして竹千代の清須での暮らしが始まった。人質ではあるが大事にされたものと見え、町人との触れ合いもあったのだろう。ある時、黒鶫という鳴き真似の得意な鳥が献上された。家臣たちは鳥の鳴き声に大いに感心したが、竹千代だけはなぜか好まず、献上も断った。
その理由が「この鳥は己の声を持っていない」というものだった。なるほど小器用ではあるかもしれないが大きな智恵はなく、将来大将になる自分にとって相応しくない、と語ったのである。幼く、人質の身でありながら、大望を忘れなかったことを示すエピソードだ。
文=榎本 秋
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