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日本と台湾をつなぐ潮と風の流れ|小暑~大暑|旅に効く、台湾ごよみ(22)

旅に効く、台湾ごよみは、季節の暦(二十四節気)に準じて、暮らしにとけこんだ行事や風習などを現地在住の作家・栖来すみきひかりさんが紹介。より彩り豊かな台湾の旅へと誘います。今回は、台湾の気候が複雑なワケや、日本と台湾をつなぐ海流や季節風などについて。

梅雨があけて朝からカンカン照りの日差しに青い空のコントラストが目に刺さる。午後には唐突に曇りだし、バケツをひっくり返したような驟雨が過ぎれば熱された空気がいくぶん柔らかみを帯びる。台湾に来て手放せなくなったのが、UV加工した折りたたみ雨傘。太陽の下では日傘に、雨が降れば雨傘に、出かける時には必ずバッグに入れておく。

街角で“涼”をとる回廊建築

もうひとつ、こんな季節にとりわけ便利に感じるのが騎楼チーロオ台湾ホーロー語で亭仔脚ティンアーカァともいい、建物の一階部分が奥に引っ込み、アーケードのように通り抜け出来る回廊状の空間である。このお陰で日差しを避けることができ、信号待ちでも青信号に変わる直前まで騎楼の下で涼をとれる。急に降られても雨宿りでき、台湾で暮らす多くの人が恩恵にあずかる、亜熱帯独特の気候が育んだ風景のひとつである。

もともと清の時代に台湾に持ち込まれたこの建築様式は、東南アジアなど暑い地方を中心に世界的にみられるが、台湾では日本統治時代に改めて亭仔脚のある都市づくりが法制化されて各地に根付いた。この時代に作られた亭仔脚の建築は、バロック型のアーチになっていたりと美しいものも多く、台北市龍山寺近くの文化財「剥皮寮ポーピーリャオ」の回廊は、日本の雑誌の台湾特集などでよくロケに使われるフォトジェニックな場所だ。

台湾の気候が複雑なワケ

台湾の気候といえば先日、台湾東部の海岸線沿いを車で走り、台東から花蓮に入った静浦チンプー集落に差し掛かるところで真っ白な高い塔に行き当たった。実はこの塔、北回帰線をあらわす「北回帰線標塔」で、この塔を境に南が熱帯、北が亜熱帯である。地球は23.4度傾いた状態で一年かけて太陽の周りを一周するので、ちょうど夏至の正午にはこの北緯23.4度に建つ北回帰線標塔の真上に太陽が来て、塔は影を失うという。

台湾という九州ぐらいの大きさの島の気候が一年をめぐって複雑なのは、この北回帰線のためだ。暑いかと思えば寒く、春になったかと思えば急な寒気に見舞われる。こうした台湾の季節の気まぐれさは、南北の高気圧や低気圧が北回帰線をめぐって押し合いへし合いのおしくらまんじゅうをした結果なのだ。

日本と台湾をつなぐ潮と風の流れ

さて、この北回帰線の塔を少し北にいくと、「秀姑ショウグー巒溪ランシー」という川の河口がある。このあたりに昔から暮らす台湾原住民族アミ族の言葉で、特にその河口は「Ci'poran」と呼ばれている。記録によれば、江戸時代の享和3(1803)年に北海道の函館を出発した商船「順吉丸」は暴風雨にあい、台湾東部の「ちょぷらん」(Ci'poranの日本語読み)に漂着した。幸いにも生き残った順吉丸の船長・文助は、当地の集落で4年を過ごしたのち、清の役人らによって台南の台湾府やアモイを経て日本の長崎に送り返され、足掛け9年の後ついにふるさと函館の土を踏んだ。

『享和三年癸亥漂流臺灣ちょぷらん島之記』という本に記録され、小説や絵本も生まれたこの漂流記の顛末を想いながら台東・花蓮の太平洋沖に見える深い藍色の黒潮を眺めれば、台湾と日本をつなぐ遥かなる海流や季節風がすぐそこに感じられる。近年の研究では、東南アジア沿海やマダガスカル、イースター島、ニュージーランドなど太平洋の島々に暮らすオーストロネシア語族(南島語族)の起源が、台湾原住民族にあるとも言われている。

北海道から「ちょぷらん」まで一隻の船を運んだ海洋は、そのもっともっと昔から台湾と太平洋各地を繋いできた。その頃の人々はきっと夜の星空を読み、季節の風と潮の流れを熟知して、今では信じられないような英知をもって舟を操り大海を跨いできたような気がする。

多様な文化が織りなす“台湾の豊かさ”

小暑から大暑のころは、花蓮や台東に暮らすアミ族(パンツァ)の「豊年祭」が各地で行われる。大自然や祖霊に感謝をささげるこのお祭りは、アミ族の言葉で「i lisin」と呼ばれる。「i」はある場所、「lisin」は祭りを意味するので「i lisin」とは「祭りの最中」をいい、祖霊を迎えて楽しませ見送る一連の儀式だそうだ。豊年祭というと日本の秋祭りのような収穫祭を連想するが、実はアミ族の人々にとっての年越しであるらしい。台湾の年越しといえば旧正月(過年)というイメージが強いけれど、多様な文化を持つ人々が暮らす台湾の「こよみ」はこんなにも豊かだ。

清朝統治時代から日本統治時代、そして戦後の中華民国統治時代まで、台湾という土地のもともとの主人だった人々は「蕃人」「番人」「高砂族」「山地同胞」といった名称を勝手に付けられ、土地や言葉、名前を奪われマイノリティーとして差別の憂き目にあってきた。そんな人々が、台湾民主化後の権利運動によって勝ち取ったのが「原住民族」という正式名称で、1994年8月1日に台湾の憲法にも記されたこの名前には、かれらの誇りが充ち満ちる。

現在、毎年8月1日は「原住民族日」として台湾の国定記念日に定められている。

文・絵=栖来ひかり

栖来ひかり
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。

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