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博物館からモスクになった「アヤソフィア」の今|イスタンブル便り

この連載イスタンブル便りでは、25年以上トルコを生活・仕事の拠点としてきたジラルデッリ青木美由紀さんが、専門の美術史を通して、あるいはそれを離れたふとした日常から観察したトルコの魅力を切り取ります。人との関わりのなかで実際に経験した、心温まる話、はっとする話、ほろりとする話など。今回は、2020年7月に博物館からモスクになったビザンチン時代の大聖堂「アヤソフィア」の今をレポートします。

 アヤソフィアのドームの内側頂点には、「アルトゥン・トプ(金の玉)」と呼ばれる半球体がある。実際には、滑らかな球体ではなくて多面体である。

 その半球多面体に、手を触れたことがある。

 そういうと、人から驚かれる。

 留学してすぐの頃、モザイク修復のプロジェクトが始まった。同じ時期、ちょうど日本チームがドームの耐震構造の調査をすることになり、運良くメンバーに加えてもらったのである。

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 直径約30mの大ドーム。基盤部分には、幅70cmくらいの細い通路がある。片側は壁、もう片側は地上50m。手すりはほぼない。下にいる人が豆粒くらいに見える。最初は目眩がしたが、1週間後にはそこを鳶職のようにひょいひょい歩いていた。

 好奇心というものは人を変える。身をもってそれを知った。

 オスマン帝国時代、その「アルトゥン・トプ」の真下で朝の最初の礼拝をすると、物忘れが治る、と信じられていたらしい(余談だが、パオロ騎士にぜひ必要だ)。礼拝とは、当然ながらイスラーム教の礼拝である。

 アヤソフィアにはこういう伝説がいくつもある。曰く、不思議にもいつも湿っている柱がある。これに触れると病気が良くなる。曰く、どことかを触ると、なくしたものが見つかる。

 つくも神ではないが、アヤソフィアほど古く、大きな構造物になると、それじたいが御神体というか、信仰の対象になるのは東西を問わない。もっと賢くなりたいとかいい暮らしがしたいとか、古来から絶えない、変わらない人々の小さな願いを受け止め、反映させる存在だ。

 六世紀建造のビザンチン時代の大聖堂。オスマン帝国時代はイスタンブル最大のモスクとして使用され、トルコ共和国になってからは宗教色を廃し、博物館となった。1985年ユネスコ世界遺産登録。アヤソフィアは、トルコの政教分離政策の象徴と言っていい。

 そのアヤソフィアが、ふたたびモスクになる。

 ご記憶の方もおありだろう。パンデミックのさなか、厳しい外出制限が続いていた2020年3月。

 ニュース(モスク化決定の発表)が流れたとき、全世界に衝撃が走った。

 じつはわたし自身は、はじめ冗談かと思った。それくらい、使い古された「ありえないこと」のイメージだったのである。

 今になって振り返ると、各方面の反応は、少々痙攣的でもあった。ヴァチカンやユネスコの抗議は、まるで、アヤソフィアが今すぐに破壊され、有名なモザイクの聖画が永遠に見られなくなるような調子だった。 多くの人々の頭によぎったのは、タリバンに破壊された仏像の姿だったのでは、と思う。

 しかし、実際にはアヤソフィアは今も大切に守られている。

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「例のアヤソフィアだけど、実のところ地元の人たちはどう思っているの?」

 その年の秋、オランダで友人にあったとき、尋ねられた。

「政治的立場や文化レベルによってさまざまだと思う。だけど実感としてはね。自分の国の重要な文化遺産なのに、入ったことなかった人がたくさんいると思う。それが無料で入れるようになるのって、大きいんじゃないかな」

 そんな言葉が思わず口をついて出た。

 いつでもいける地元っ子は、トプカプ宮殿にもアヤソフィアにも行かない。いや、行けないのだ。

 パンデミック前のイスタンブルの混雑ぶりときたら、ひどかった。観光客でごった返し、どこも長蛇の列だった。オーバーツーリズムである。

「真のイスタンブルっ子とは、トプカプ宮殿にもグランド・バザールにも行かない人物のことである」という冗談が、あるほどだ。

 それはイスタンブルに限らない。行列に耐えてエッフェル塔に登るパリっ子も、なかなかいないだろう。

 だから、というわけでもないが、わたし自身も、その後わざわざアヤソフィアに行くこともしなかった。

 それがこの秋、機会が巡ってきた。 一年半ぶり初の対面の学術会議、テーマはガスパーレ・フォサーッティ。

 19世紀にアヤソフィアを修復した建築家である。イタリアの、と言われるが、正確には現スイスのイタリア語圏出身。

 しかし今回の会場は、スイスでもイタリアでもなく、ロシアの総領事館だった。オスマン帝国時代の大使館だったこの絢爛豪華な「ロシア宮殿」が、フォサーッティ自身の設計だからだ。

 スイス、イタリア、ロシア、そしてトルコ。こういう複雑さそのものが、すでにイスタンブル的である。

 そして学会の見学会で企画されたのが、アヤソフィア訪問だったのだ。

 靴を脱ぐ。

 入り口で、思いがけずはっとしたのは、その事実だった。そうだモスクなんだから、靴のまま入れない。雨降りの湿った空気。あたりは靴を脱いだり履いたり、靴箱に置いたり、人々でごった返している。以前は大理石の床に、靴のまま入っていたことに、今さらながら思い至る。

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 入ってみて驚いた。

 建物を見る視点が、物理的に変わったのである。

 イスラーム教の礼拝には、地面に座り、額を地面につける動作も含まれる。だからモスクは、靴を脱いで上がり、床に絨毯が敷かれる。靴を履き、椅子に座った状態で行われるキリスト教の礼拝とは、高さが違うのだ。礼拝をしない訪問者も、靴を脱ぎ、絨毯に座って建物を見ることになる。もちろん、立ったままでもかまわないが。

 アヤソフィアを、オスマン帝国時代のひとびとは、座った高さから見ていたのか。

 意外にも、わたしにとっての発見だった。新鮮である。

 立って見る建築と、座って見る建築。小さなことだが、あんがい大きいのだ。畳や障子の日本の伝統的空間を外国で説明する際にも、実際に経験してもらうと、驚かれる点だ。

 もうひとつ、大きな変化がある。

 二階ギャラリーが一般訪問者に閉じられてしまったことである。有名なモザイクの聖画の一部が、簡単には見られなくなってしまった。

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二階ギャラリーにある有名なモザイク壁画「デイシス」(「全能者ハリストス(キリスト)」)※博物館時代の撮影

 ただこれは、文化財保護の観点からの苦肉の策とも聞いている。ギャラリー階は建築構造的に、無制限に押し寄せる観光客の重さを支えきれなくなっていたのだ。実際床は、肉眼ではっきり分かるほど、内側に大きく傾き、歪んでいる。念のために言えば、二階ギャラリー以外にあるキリスト教聖画は、従来通り見ることができる。

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聖堂出口部分で見られる聖母子、ユスティニアヌス帝、コンスタンティヌス帝のモザイク壁画

 だが今回、国際的な専門家のための見学会に、思いがけずトルコ文化省から特別措置があった。人類の遺産として、必要に応じて見学が許されるというスタンス、とわたしは理解した。日本でも、国宝を誰もがいつでも好きな時に見られるわけではない。文化財保護として、世界的にも当然のことだ。

 そのギャラリーから一階を見下ろす。

 上から見ると、縮図のようだ。家族連れ、イマドキ風にセルフィーを撮る人、様々なポーズをつけて恋人に撮らせる人もいる。礼拝の時間でなくても、動作を繰り返すお遍路集団もいる。それぞれが楽しんでいる。

 残念ながら、この角度は今では特別になってしまったが。

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博物館だった時代に、二階ギャラリーから一階を見下ろした光景

「もっとひどいと思ってた」

 眺めていると、後ろからやってきてわたしの隣に立った人がいた。トルコを代表するさる文化財団で長年要職を勤めている女性だ。おそらく60代後半、激動の政変の時代をずっと見てきた世代である。出身階級、教育レベルからすると、おそらくモスク化には反対派。

「アヤソフィアには二度と来ないつもりだったの、だけど来てよかった。思ってたほど悪くなかったわ」

 トルコ語に、「カブールレンメック」という言葉がある。受け容れる、自分の中で折り合いをつける、という意味だ。個人の力ではどうすることもできない大きな流れを受け入れた、という響きがあった。

 ちょうど出口のところで、若い世代の歴史家T氏と一緒になった。最近男の子が生まれたばかり、オスマン帝国の非ムスリムの歴史が専門。彼のほうが、むしろ悲観的である。感慨深そうに、こう言った。

「これが最後だ。見られてよかった」

 いや、これが最後にはならないはず。

 その瞬間、なぜか妙な確信をもってわたしはそう思った。

 モスクへの転換は、アヤソフィアの歴史に、新しい一ページを加えた。だが、今回の特別見学のようなことがまた起こらないなんて、誰にもわからない。わたしにとっても、彼にとっても。もしかしたら、あらゆる訪問者にも。トルコはそういう絶妙なバランス感覚の国だ。

 悠久の歴史の、ほんのひととき。そんなことを考えた。

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文・写真=ジラルデッリ青木美由紀

ジラルデッリ青木美由紀
1970年生まれ、美術史家。早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。トルコ共和国国立イスタンブル工科大学博士課程修了、文学博士(美術史学)。イスタンブル工科大学准教授補。イスタンブルを拠点に、展覧会キュレーションのほか、テレビ出演でも活躍中。著書に『明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国をゆく』(ウェッジ)、『オスマン帝国と日本趣味/ジャポニスム』(思文閣)を近日刊行予定。
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