白洲正子も愛した“山国の火祭”、左京の松上げ|花の道しるべ from 京都
私の曽祖父にあたる笹岡竹甫は、1919年に京都で創流し、上京区、今出川通智恵光院に家元を構えた。西陣と呼ばれる織物の町だ。西陣の名は、応仁の乱で西軍がこの地に陣を構えたことに由来する。私が小学校の頃に通っていた塾がこの近くで、当時でも機織の音が聞こえていたのも懐かしい。その後、家元が手狭になったため、祖父の時代に左京区、百万遍の北に居を移した。それ以降、流派の拠点も生活の基盤も左京区である。
以前ここでも書いたが、地図上では、東に左京、西に右京がある。「天子南面す」と言われる通り、天皇は政を行うとき南を向いて座る。左京・右京は、この南を向いた天皇から見た左右だ。左京区は京都市の行政区だが、想像以上に広い。京都市の北東部に広がり、その面積の大部分は山間部。福井県の近くにまで伸びている。
南禅寺の天授庵で開催する流派のいけばな展をはじめ、流内行事もおのずと左京区内で行うことが多い。半世紀以上前のことになるが、創流50周年には、いけばなで飾った花車を先頭に、流派の教授者が着物姿で行列を組み、家元から平安神宮まで練り歩いた。今年の初夏に、BS朝日の番組で、壇れいさんをご案内して青もみじの名所をまわったが、その際に紹介したのも、哲学の道、橋本関雪記念館、法然院、岩倉実相院、と左京区尽くし。名実ともに左京区にはたいへんお世話になっている。
“現代の頼山陽”として、京の美を再発見
私は2009年から左京区のまちづくり会議に参加している。「現代の頼山陽*になって下さい」。これは、当時、議長の宗田好史*先生に言われた言葉だ。京都の景観を山紫水明と評した頼山陽のように、皆が気にとめていなかった京の美を再発見する役割を担ってほしい、と。また、古くて不便だと一般にはそれほど注目されていなかった京町家に美を見出し、1990年代に町家ブームを起こしたのはアーティスト達だった、とも教えて下さった。既存のものに光を当て、時にはそこに手を加えて新しい価値を創出するのは、文化・芸術の担うべき役割の一つ。以来、私も新たな視点を提供したいと常々心がけている。
いけばなで伝える、左京区・里山の豊かさ
まずは地元の左京から、と「左京区の自然を愛でるプロジェクト」にも参画。左京区には、美しい景観や伝統行事が数多く残る。京都大学の深町加津枝先生の案内で、最初に訪れたのは左京区の山間部だ。南には鞍馬の人工林、北に花脊の自然林が広がる。人工林とは林業の山。下草がきれいに伐採されており、杉やヒノキだけが林立している。自然林とはいわゆる里山。さまざまな雑木が茂り、木を切り出して薪にしたり、炭にして保存したりといった使われ方をしてきた。ところが近年、里山に人が入らなくなり、山が荒れてきた。そこで、里山がどれだけ豊かなものかを、多くの人たちに気づいていただくきっかけを作ろうと、里山からカエデの新緑とツツジの花を切り出し、民家の火鉢にいけた。
太古のままの火の行事“山国の火祭”
8月にはさらに北部へと足を延ばした。8月の京都と言えば、五山送り火が有名だが、山間部には「松上げ」という伝統行事がある。白洲正子の小説「かくれ里」の中で、太古のままの火の行事「山国の火祭」として取り上げられている。私が訪れたのは、広河原の松上げ。高さ約20メートルの燈籠木の先に取り付けた大笠に向かって火の点いた松明を投げ上げる、その様は勇壮で、且つ美しい。この松上げは愛宕神社への献灯でもある。私は、大笠を花器に見立ててサルスベリをいけ、愛宕神社に献華させていただいた。動と静、火と水の対比を表現したいと考えたのだ。
左京区には、住人である私でさえまだ知らぬ魅力がたくさんある。これからも、文化という切り口で、新たな風を吹き込むことで、左京の美を再発見していきたい。
文・写真=笹岡隆甫
▼京都市公式YouTube「広河原の松上げ」
▼壇れいさん、笹岡さんが出演したBS朝日の番組あらすじ
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