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アップル社にも採用される椅子HIROSHIMA、マルニ木工最大の強みは“工芸の工業化”

今日も日本のあちこちで、職人が丹精込めた逸品が生まれている。そこに行けば、日本が誇るモノづくりの技と精神があふれている。これは、そんな世界がうらやむジャパンクオリティーと出会いたくててくてく出かける、こだわりの小旅行。さてさて、今回はどちらの町の、どんな工場に出かけよう!(ひととき2023年3月号メイドインニッポン漫遊録」(最終回)より)

 新しい生活様式にも慣れて家で過ごす時間が増えた今、衣・食・住の順番が住・食・衣に変わってきている。ファッション誌でもインテリア特集が多くなり、なかでも部屋に一脚あるだけでサマになるデザイナーズチェアが人気だ。

 ハーマンミラー社のイームズシェルチェアや、カール・ハンセン&サン社のYチェア、天童木工による柳宗理デザインのバタフライスツールなど、世界には傑作と呼ばれる椅子がある。広島に本社を置くマルニ木工の椅子「HIROSHIMA」も、そのひとつと言っていい。手掛けたのはデザイナーの深澤直人氏。自然な木目を生かしたどこか懐かしいミニマルなデザインと、日本の木工技術によって作られる美しい曲線は、世界のインテリア業界を驚かせた。品質とデザインに一切の妥協をしないアメリカのアップル社も、LA本社の椅子に採用している。

座り心地のよさはもちろん、日常に溶け込むようなデザインもHIRO SHIMAの魅力。マルニ木工創業者の生家をリノベーションした宮島のレストラン「宮島レ・クロ」にて。HIROSHIMAアームチェア(板座)ビーチ材で124,300円〜

 ところで新しい生活様式になろうがなるまいが原稿を書くのが仕事の筆者は、取材の旅に出ない日はほぼ家で過ごしている。ちょうど仕事机ならぬいい仕事椅子が欲しいと考えていた。そこでHIROSHIMAを作っているマルニ木工を訪ねて、広島を旅してきました。

昨秋、改修工事を終えた嚴島神社の大鳥居

マルニ木工の工場は、広島市街からクルマで1時間ちょっとの、山あいののどかな田舎町にある。

 創業は1928(昭和3)年。創業者の山中武夫さんと従兄弟の忠さんは、古くから木工業が盛んな宮島*の出身。海に浮かぶ嚴島神社を見て育った2人は幼い頃から木工の魅力にとりつかれ、曲木椅子の量産からスタートした。目指したのは「工芸の工業化」。職人が手作業で一つひとつ作るような工芸品を機械で量産できれば、より多くの人に高品質の家具を安価で届けられるというものだ。

* 鎌倉時代、社寺を建設するため鎌倉や京都から宮大工や指物師が招かれ、これを機に宮島に木工技術が広まり、宮島杓子をはじめとする木工製品の発展へとつながったとされる

 戦後の復興とともに木工技術を高め、高度経済成長期の1960年代には、日本の住宅にマッチするようダウンサイジングした西洋家具を生み出し、これが大ヒット。80年代には広島を代表する一大木工家具メーカーに成長し、その名が知られるようになった。しかし90年代に入ると、バブルの終焉と長引く日本経済の停滞で、国産の家具市場は大打撃を受ける。マルニ木工も例外ではなかった。

「従来からのゴージャスな西洋家具を全国の販売店で営業しましたが、まぁ売れません。住宅環境も世の中も変わったのに、うちは昔のいい時代の家具に固執していて、世間とのギャップを感じました」

 そう語るのは、2021年に社長に就任した山中洋さんだ。洋さんが入社した1999年には既に会社の経営は苦境に立たされていた。米国に留学してスポーツ関連の仕事を目指していた洋さんだが、父親で先代の好文さんから長い手紙をもらって経営事情を知り、帰国後、入社を決める。イギリスの提携工場で家具製造を学んだ後、長く営業部門で経験を積んだ。

社長の山中洋さん

「父親たちが作ってきたものはよくできているとわかっていても、客観的に見て欲しい家具がありませんでした。何より残念なのは、自社の製品に感情移入ができなかったこと。じゃあ自分たちの世代で作るしかないと強く思ったんです」

 そうして始まったプロジェクトが、「nextmaruni」だ。2005年、国内外の有名デザイナーや建築家を起用して椅子を製作し、イタリアのミラノで開催される世界的な家具の見本市に出展した。この挑戦は2007年まで続き、プロジェクトがきっかけでデザイナーの深澤直人氏と出会う。

「nextmaruniは売り上げ増にはなりませんでしたが、メディアからの取材やこれまで取引のなかったインテリアショップから問い合わせが相次いで、初めて自分たちの作るものに愛着がわき、自信もつきました。深澤さんは工場にも足を運んでくれて、お話もさせてもらって、現場からも深澤さんともっとモノ作りをしたいという声が上がったんです」

 マルニ木工の最大の強みは「工芸の工業化」。深澤さんが思い描くアイデアやデザインに、職人たちが確かな木工技術で応えることで、世界の定番になりうる木の椅子を作ることを目指した。そうして完成したのが、HIROSHIMAだ。

繊細なカーブが多いHIROSHIMAは、手作業で精度の高い成形を求められる
発売当初の生産数は月40脚だったHIRO SHIMAだが、写真下のように機械を巧みに使いこなし秒単位で生産効率を上げることで、今では月600脚の生産が可能に。まさに「工芸の工業化」だ

「HIROSHIMAというネーミングは深澤さんが付けてくれました。最初は抵抗がありましたが、深澤さんは視点が違い、『これから世界に進出するんでしょう。良くも悪くもヒロシマという日本語は誰でも知っている。製品名のインパクトは大事です。それにこれからは大都市から発信する時代ではなく、ローカルからダイレクトに進出する時代です』と。そう言われて納得しました」

 2008年にHIROSHIMAが発表されると、洋さんたちの期待を上回る反響があり、伊勢丹新宿店や無印良品有楽町店(現在は閉店)といったデザイン感度の高い店舗から取引の依頼が舞い込む。徐々に知名度が上がり、アップル社への数千脚の納品につながる。HIROSHIMAは名実ともに、世界の傑作と呼ばれる木の椅子になったのだ。

機械で削られた部品も組み立て前に入念にチェック(写真上下)

「日本の木工技術は海外に誇れるものなのに、日本の家具メーカーが海外で展開している例は少ない。HIROSHIMAだって、世界的に見たらまだまだです。次に続く新定番を目指して「Tako」と「EN」も発表しました。日本の家具メーカーを世界に広めるnextに進んでいきたいです」

左は深澤直人氏デザインの「Tako」。右はデンマークのデザイナー、セシリエ・マンツ氏が手掛けた新作「EN」

 ショールームでHIROSHIMAに座ってみる。おおお、これがアップル社も認めた座り心地かぁ。快適快適。これに座って広島のお好み焼きを食べたいな。あ、それじゃ順番が食・住・衣だよ。

いであつし=文 阿部吉泰=写真

いであつし(コラムニスト)
1961年、静岡県生まれ。コピーライター、「ポパイ」編集部を経て、コラムニストに。共著に『“ナウ”のトリセツ いであつし&綿谷画伯の勝手な流行事典 長い?短い?“イマどき”の賞味期限』(世界文化社)など。

株式会社マルニ木工
広島県広島市佐伯区
湯来町大字白砂24
☎0829-40-5095
https://www.maruni.com/jp/

出典:「ひととき」2023年3月号

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