40 理屈と感情と解釈
昨日の日本シリーズ第4戦で
今日は、私の勝手な妄想解釈を書く。
今年の日本シリーズは阪神タイガースとオリックスバファローズの対戦となった。初戦タイガース、2戦、3戦とバファローズ。そして4戦目。ここでバファローズは王手をかけて、本拠地へ戻りたい。阪神は残り2試合を本拠地でやれるのだから、どちらも取って王手をかけて大阪ドームへ行きたい。
それだけではない。1戦、2戦はどちらも8-0と一方的な戦いになった。お互いにいいところばかりが出た。しかし3戦目はそうではなかった。バファローズが終始リードしていたとはいえ、終盤に1点差に詰め寄られたのだ。
恐らく、ここにきて選手たちの疲労はかなりのものだろう。少なくとも5月、6月とは比較できないぐらい、疲労は蓄積している。
苦しい試合になるとわかっていた4戦目は互いに守備でギリギリの戦いを見せていた。同時に、思いがけないミスも増えてきた。
タイガースがリードしていた。これはシーズン中からやってきた先行逃げ切りパターンである。ところが、思いがけないエラーからバファローズへ流れが傾いて同点にされてしまった。
9回の裏。今度はバファローズにミスが出る。それに乗じて1アウトでサヨナラのランナーが3塁にいる状況となった。
ここで、バファローズは2人続けて申告敬遠して、いわゆる満塁策に出た。この采配で、私はこれまでまったく気にもしていなかった中嶋監督を少し気に入ってしまったのだ。
タイガースの4番大山はいい働きをしているものの、打率は低いまま。調子がいいとは言えない。だが4番である。バファローズとしてはむしろ読みやすい打者と考えたのではないか。スクイズはしないだろう。犠牲フライさえ打たせずにゴロにすればいい。というか、必ずゴロで仕留める。あるいは三振させる。ファールフライでアウトにすることも可能だ。ホームゲッツーなら最高だ。
理屈として正しい判断と言えなくもない。と、同時に、これは、ミスの出ていた選手たちをある意味でかばう采配だったような気もする。
責任は当人が一番重く感じている
エラーやミスで負けた、となったら、エラーやミスをした選手たちは、重たい責任を感じる。野球では「あいつが悪い」と言いやすい。戦犯などと呼ばれたりもする。なにが重たいといって、ミスをした当人がもっともそれを重く受け止めてしまう可能性があり、そうなると明日の試合にも響く。
全員野球といった麗しい言葉があるように、頂上決戦となったときには、本来、「誰のせいか」といった話はどうでもいいはずなのだが、そうはならないことが多いのである。
バファローズの中嶋聡監督(54歳)は、最後の場面で、ベンチからの采配によって全責任を引き受けた。この試合は勝っても負けてもベンチワークである、との覚悟ではないか。
それによって、「誰か」に集中することなく、明日の試合に臨める。ミスした者は当人が一番よくわかっている。それよりも、明日、戦えないようでは困るのだ。
タイガースの岡田彰布監督(65歳、11月25日で66歳になる)は、ミスをしたサードの佐藤輝を交代させ、リリーフで6月以来となる湯浅京己を出し、そして最後は不動の4番大山にすべてを任せた。
結果的に、大山の打球は鋭く、ヒットになってサヨナラ勝ちとなった。この勝利によって、佐藤のミスはかなり軽くなるだろうし、交代という采配も肯定される。なにより4番が苦しみながらも結果を出したのである。チームにとって大きな勝利だろう。
両チームともに2勝2敗で第5戦へ向かう。誰もが疲れている。厳しい状況のはずだ。幸い、いつもの11月のような寒風はない。果たして、この日の勝敗と采配と責任は、どのような結末へと結びつくのだろうか。
感情と解釈
などと、勝手な妄想解釈をしてみた。
正直、私は大した野球ファンではない。WBCは見たし、盛り上がった。エンゼルスの試合もよく見た。大谷の活躍はこちらの日常をかなりいいものにしてくれた気がする。MLBのワールドシリーズも、見るとはなしに見ている。いまこれを書いている間にも、3勝しているレンジャーズが9回に追加点を上げて勝利を決定づけたように見える。終わるまでわからないが、ダイヤモンドバックスは諦めたように感じる。あ、レンジャーズの優勝だ。
阪神ファンである。1985年の優勝は、当時のやはり阪神ファンである同僚と大いに盛り上がった。神宮球場へ何回か見に行った。だが、六甲おろしを歌えるほどではない。ファンなのだが、日本のプロ野球の鳴り物による応援が嫌いだった。一緒に声を出すのも面倒くさい。
テレビで見るときも、可能な限り音声を低くする。アナウンサーと解説もうるさい。よくしゃべるよね、仕事とはいえ。
野球の好きなところは、こちらの感情へなにかしら訴えるものがあって、自分勝手に解釈して楽しめるところだ、と自分では思っている。
野球だけではなく、ほかのスポーツも夢中になれる瞬間は、感情的な部分だ。技術とか作戦と言われてもよくわからないことも多いから、それはもはやそれほど大きなテーマではない。人と人、チームとチームが勝負することで、なにが生まれるか。自分の中になにが生まれるか。それを見ている。
野球は子どもの頃から見慣れているのと、時間的な余裕があるので、妄想解釈で楽しめる余地を残してくれている数少ないスポーツだろう。
残り少ない試合も楽しみにしている。
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