38 秋の夕暮れ
持って行ってくれる?
酷暑のあとにすっと秋になってくれてホッとしつつ、明日あたりからまた最高気温は25度になろうかという予報が出ている。
いつもの秋になって欲しいのだが。
秋といえば「○○」の秋。読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋……。
中でも食欲の秋である。
仕事場は北側に小さな出窓があるだけの、いわゆるS、サービスルームあるいは納戸である。そのすぐ横に机を置いてパソコンに向かっている。
気がつくと窓の外は暗くなっていた。帰る時間だ。
ここで仕事をするようになって、帰る頃になると一番集中していたりする。
でも、終わらせる。そうしないと、犬のご飯や、娘の帰宅に重なってしまうからだ。
「帰るよ」
まだ明るいリビングでテレビを見ている父母に告げる。南向きのリビングは傾いた太陽の恩恵を受けている。
「タッパー、二つあったけど」
オレンジ色のこぶりの密閉容器を二つ用意してくれていた。このところ、夕食を弁当の給食に頼っている父母だが、それはすぐに飽きてしまう。文句を言うので、私の妻が煮物を多めに作って持って行ったら、好評だった。しかし妻によると「容器がないから」。そこで母に相談すると「使っていないのがあるはずなので探しておく」と言っていたのだ。
もっとあるのかと思ったが、きれいなのは二つだけだったのだろう。
「これからは少しだけ、一品だけでいいのよ」
前回持参したのは、切り干し大根と茄子の煮浸しだった。
「食べれない?」
「お弁当もあるし。二人でも食べきれない。次の日まで残ってしまうから」
「わかった。毎週ってわけでもないんで、あまり期待しないで」
「気が向いたときでいいから」
ずいぶん遠慮する。
「それからパスタ、持って行ってくれない?」と母が言い出した。
「食べないの?」
「量がね。それに、もう作らないから」
電子レンジでも作れるパスタ。私たちは高いのであまり買わないちょっと高級なパスタソースも。さらに使っていない焼き肉のタレ。麻婆豆腐の素などなど。
密閉容器を探していたら、食べ物のストックを見つけて消費期限までに食べきれないというのだ。
確かに、期限ギリギリのものもあった。たいがいはまだ半年ぐらい先である。
料理をやめた
幼い頃から母の手作りの料理、弁当で育った。その母が料理をやめた。
それは弁当をあれこれと選びはじめた三ヵ月前に聞いていた。地域包括センターの担当の人にも声をかけると、この地域でよく知られている弁当屋を四社、紹介してくれた。このほか、私も手伝って調べた冷凍弁当も三社ほどあった。
「十二食もいっぺんに来ても冷凍庫に入らないわ」
七食単位のメーカーで試してみる。味はいいらしい。気に入ったようだが、やはり毎日というわけにはいかない。
テレビでも宣伝している大手の宅配弁当も試してみたが、「味が……」と言い始める。そして地元の四社を順番に試す。
ようやく一社に絞って、一ヵ月単位の契約ではじめてみたが、二週間もせずに「ここはダメ」と言い出す。文句を言っているのは主に父だったが、いつしか母も文句を言い始める。
二社目に切り替えた。それでもやっぱり、納得はいかないようだ。
私はいわゆる「お袋の味」をいくつも覚えている。
幼稚園の頃、食べるのが遅く、小食だった。小さな弁当箱の半分がイチゴだったこともあった。イチゴが大好きだったのだ。その後、しだいに食べられるようになっていくのだが。
鶏の唐揚げをすると、余った粉でドーナツを作ってくれた。オーブンもよく使った。グラタンだ。美しいグラタン皿を三十年ぐらい使い続けた。横浜郊外の一戸建ての家だったのだが、それを売って東京のマンションに越してくるときも、古い家で最後に作ったのはそのグラタンだった。ベシャメルソースから手作りのグラタンである。
すき焼きもよくやった。父母ともに関西出身なので、関西風である。
母が台所に立つ時間は長く、子ども頃は食卓で勉強をすることもあった。見るとはなしに調理の工程を見ていた。
とくに調理を学んだことはない。新聞や雑誌の調理方法を切り抜いてスクラップし、自分のノートを作っていた。NHKの料理番組が好きでそれもノートにメモしていた。何冊もスクラップや料理読本のような本があった。
食べ盛りの頃に学校給食がなく、ほぼ毎日、弁当を作ってくれた。玉子焼き、ソーセージや焼いた肉などを、ぎっちり詰め込んだ。ご飯の海苔は二段になっていた。たまに、ホットドッグもあった。パンは少し焼いて焦がしてあった。ソーセージと玉ねぎはケチャップ味だった。
うれしいけど寂しいね
貰った食品を持って帰宅した。
消費期限から換算すれば、ついこの間まで、父母は「これが食べたい」と思って購入していたのである。それを諦めたのだ。
「うれしいけど、寂しいね」と妻は言った。
もちろん、寂しい。
妻の母親はいま介護施設にいる。義母は北海道出身でそちらに親戚も多く、そのため、高級な食材をよく私たちたのめに冷凍で送ってくれた。鮭、筋子、ウニ、毛ガニ。元気な頃に私たちは何度か義母に会いに行っている。一度は、私の父母も連れて行った。豪華な鍋をいただいた。忘れられない味だった。
その義母はあるときから歩くのが不自由になり、義妹と一緒に買い物をするようになる。さらに自分で料理ができなくなり、義妹が作って持って行ったり、買って行ったりするようになる。そしてついに、食べられなくなってしまい栄養失調で動けず、入院。その病院の経営している介護施設へ移っていまに至る。
残念なことに義母はほとんど食べ物を口にできず、点滴で補っているという。義父は最後に胃ろうをしたが、妻や義妹はそれを残念がっていた。義母もそれは嫌だと言っていたので、胃ろうはしない方針だ。
好きな物を食べて、美味しいとか美味しくないとか、言っているうちが花だ。十分に楽しんでおくべきだろうな、と私も妻も思う。
「明日、夕飯なににしようか」と妻は最近、つぶやく。
すぐにこれが食べたい、と思いつけない自分もいる。だからといって、なんでもいいわけではないのだけれど。
食欲の秋にも、秋風が吹く。
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