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32 死、死体、思い出

57歳の急逝

 昨日のことだ。突如、SNSで流れて来たショッキングな情報。それが、BUCK-TICKのボーカリスト櫻井敦司の死であった。昨日の情報なのであるが、その死はすでに19日のことであったのも響いた。最近は、このように葬儀などをすべて終えてから知らせられることが増えており、その結果、「1週間も前に亡くなっていたのに、なにも知らずにいた」という妙な罪悪感のようなものがこちらに残ることがある。
 BUCK-TICKを知らないわけではないが、それほど熱狂的なファンではなかった。ヴィジュアル系のロックというイメージで、甘い声で繊細さもある表現力の高いボーカルと思っていた。特に強く認識したのは、私が椎名林檎や東京事変を聴いているために、椎名林檎『三毒史』での競演『駆け落ち者』、また『PARADE III 〜RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK〜』に椎名林檎が『唄』で参加していることからだ。
 谷村新司の死(8日、74歳)、もんたよしのりの死(18日、72歳)も驚きだったが、今回の方がよりショックだったのは、その年齢にもよるだろうし、ライブの舞台で倒れたこともあまりにも劇的であったからかもしれないし、つい最近もSpotifyでその声を聴いていたからでもある。
 人は死ぬ。それはどうにもならない事実である。

『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(春日武彦著)を読了


 しかも昨日と今朝で『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(春日武彦著)を読み終えたのであるが、その最後のパートは『第6章 死と恐怖』だった。ここにはさまざまな死と死体の恐怖について考察されている。「死と死体とは違う」と著者は指摘する。「死にたい」と思う人はいても「死体になりたい」と思う人は少ない。確かに。特に死体と向き合う医師などの職業の人たちにとっては、死と死体の違いについてそれぞれに考えを持っていることだろう。
 スティーブン・キングの原作で数少ない傑作映画のひとつ『スタンド・バイ・ミー』がある。原作は『恐怖の四季』(Different Seasons)に収録されている短編で原題はずばり『The Body』(死体)である。少年たちが死体を探しに行く話だ。この短編集はそもそもホラー要素のほとんどない作品ばかりを集めたもので、その点で日本題に「恐怖の」とつけたのは、ちょっとズルイ表現だと当時は思ったものだ。この短編を読んでいない人でも映画はご覧になっていると思う。最初は死体への好奇心と恐怖心があった少年たちも、むしろ現実的にはいじめっ子や親の方がずっと怖い。その怖い存在と対峙して大人へ向かおうとする瞬間を描いている。
 死体は死体に過ぎない、世の中で怖いものはほかにある、と言うわけだ。まさに死と死体は別物である。
 なお、この短編集には、『刑務所のリタ・ヘイワース』が冒頭にあって、これは映画『ショーシャンクの空に』の原作である。

3つの要素と思い出

 『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(春日武彦著)には、死について、その恐ろしさを3つの要素「①永遠 ②未知 ③不可逆」で説明している。その文章もまたいろいろ怖いので、そこはここでは触れないのだが、一方で、自分にとって「死体」についてなにを思い出すだろうとふと記憶を辿る。
 最初に参加した葬式は、幼稚園の頃で、友だちが心臓の病気で亡くなった。この頃は個人宅で葬儀(出棺まで)があるので、幼稚園の先生に引率されてお別れに行った。狭い門が開け放たれ、濡れた玉砂利が敷かれ、庭に通じている。開け放たれた和室に祭壇と棺があったはずだが、人であふれ返ってしまい、ろくにそこは覚えていない。ただ、これはウソか本当かわからないのだが、心臓を取り出して氷につけて手術をした、タライの中に氷をいっぱい敷いてそこに友だちの体を入れて、といった断片的な情報に振り回されて、当時の私は、胸にぽっかり穴のあいている体を思い浮かべてとにかく怖かった。
 実際の死体(遺体)は、母の妹の通夜と葬儀に連れて行かれたときだった。誰もが遺体の顔を間近に見るので、子ども心にそれが怖かったが「あなたも見なさい」と言われて見せられた。きれいな女性で二人目の子の出産時に急逝したのでまだ若かった。しかし自分としては(小学校高学年だった)、やはり死体に向き合うのは得意ではなく、残された長男(幼稚園)の相手をしている方が気が楽だった。遺児には、母の死はよくわからない。たくさんの人がいて、お母さんが寝たまま起きて来ない。妙な儀式が延々と続く。みんな泣いている。その中で怪獣のソフビで「遊ぼう」という。私は最初は笑って相手をできていたが、急激に幼い彼を襲った不幸に胸が締め付けられて涙が止まらなくなった。泣きながら怪獣ソフビで遊んだ。そんな記憶がある。
 私たちは死や死体の怖さを、できるだけ思い詰めないように、気持ちを変えるように努力しながら生きている。急逝したアーティストの楽曲を耳にしながらも、そこにはアーティストが元気だったときと同じ空気感が流れていることを確認して悲しくも、少しホッとする。本人が亡くなったからといって、過去の作品がすべて変わってしまうわけではない。そしてその作品にまつわる自分たちの記憶も変わることはない。そういう意味での永遠の世界へ、行ってしまったのだと気付く。
 
 
 

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