見出し画像

地震雷火事おやじ

日本人なら誰もが耳にした事があるであろう『地震雷火事親父』。
江戸時代には既にこの概念があったという。

私の同僚には高校生の2人の息子がおり、出社するなり「いやぁ、息子に殴られちゃいましたよぉ。困っちゃいますよぉ。」とか言っていた。息子たちを殴った事はあるのかと聞いたらそれは無いという。ここは褒めるべきなのかどうか迷う所だ。

ちなみに私は父親に殴られた事は一度もない。ゲンコツすらもない。叱られた事もない。
その代わりに母親には数え切れぬほど叱られ、何度もゲンコツをくらったが、顔を殴られた事は一度もない。一番恐怖だったのは、寝起きが悪い時に洗面器満杯の水をぶっかけられた事だ。子供ながらに心臓麻痺の不安を感じ取り、何度かかけられる内に目覚めが良くなった。
我が家では『娘を父が叱り、息子2人を母が叱る』これが絶対のルールであり、例外は一度もなかった。

ドラマか何かで『親父にもぶたれたことないのに!』というセリフがあった気がするが、私の場合、それを言うチャンスは山ほどあった。実際に言ってみたらウケたのではないかと、今さらながら後悔している。

サッカーの試合で前半に点を取れなかった時に監督にビンタをくらった。ハーフタイムにグラウンドで正座をさせられた試合もある。全て親が写真に残してある。
学校でも、音楽女性教師に3年連続でビンタをくらった。理由は授業が始まっているのに、いつまでも喋っていたからだ。
英語の教師にもゲンコツをくらった。理由はテストの解答用紙を紙飛行機にして3階の教室の窓からグラウンドに飛ばしたからだ。これは私の解答用紙を盗んだクラスメートの仕業だったのでその場で否定したが聞き入れられなかった。私の頭頂部のでっぱりはこの時のゲンコツが原因なのではないかと思う程に痛かった。その教師は青髭が凄かったので私たちは「ホモ」と呼んでいた。もちろん保毛尾田保毛男ほもおだほもおの事である。そっくりだった。書道の時間にも何かの理由でゲンコツをくらった。当時はゲンコツが流行っていたのだろうかと思う程だ。

話が逸れそうな予感がするので一旦話を戻すが、ホモ男も含めて、大人たちはみんな怖かった。不良たちもイキがってはいたが、本当は怖がっていた。怖かった理由は体罰の有無とは関係がなかった。大人たちがしっかりと私たちの方を向いて叱ったからだ。だから怖かった。威厳があった。

今の大人たちに威厳はあるのだろうか。
子供たちに伝えるべき事を、正しく伝えられているのだろうか?
放棄していないだろうか?

昔よく耳にした定番の叱り文句が2つある。
「やって良い事と悪い事の区別もつかんのか!」
「自分がやられて嫌な事を人にするな!」

これらは叱られている最中から反省させられる適切な言い回しであったと思うのだが、恐らく前者「良い事と悪い事…」の叱り文句は現代には通用しないだろう。現代において「悪い事」という概念自体が薄らいでいるからだ。
だからせめて、後者「自分がやられて嫌な事を…」だけでも伝える努力をするべきだと思う。これなら伝わるはずだ。
 自分の傘を盗まれたらどう思う?
 自分の悪口を書かれたらどう思う?
 仲間外れにされたらどう思う?
「平気だよ!」とか「やり返すよ」という奴にはゲンコツをくらわせば良い。。。違うか。

堂々と、丁寧に伝えるべきだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?