はじめまして。 50代、人生の後半戦を頑張って生きているmomoです。 ここでは 自分の直感をことごとく無視し続けた結果、心身ともに壊れた過去。 そして、最悪の状況からどのように自分を取り戻し、今に至るのかを綴っていきます。
〔これは全て私の過去の出来事です〕 「次の検査の結果次第では来週の頭には退院出来ますよ」 担当医の予告通り、私は(あっさり)退院する事ができた。 普通なら喜ばしい事なのだが、 家を空ける正式な理由が無くなってしまった私には、苦痛でしかない。 そして退院の日はやってきた。 家に戻ると、義母が私の大好きなかぼちゃのスープを作って待っていてくれた。 「おかえり。大変だったね。」 それ以上は何も言わず、ただ私の顔を見て優しく微笑んだ。 入院中私は、家を出る事を真剣に考
〔これは全て私の過去の出来事です〕 「死んだ人間の事を何週間も考えているなんて、俺には理解出来ないな」 「それに俺は親父もお袋も死んだことないから、あんたの気持ちは分からないよ」 ……… 両親を続けて亡くし、憔悴しきっていた私に浴びせられた夫からの言葉が、 毎日毎日朝から晩まで頭の中でリフレインしている。 もはや何のために生きているのかも分からなくなり始めていたが、 娘の大学の学費と生活費を捻出する為に、私が頑張って働かなければ! その思いだけにしがみつき、何
〔これは全て私の過去の出来事です〕 母がこの世を去ってから数か月後、後を追うように父が逝った。 いつかこんな日が来るとは分かっていたが、まさかこんなに早く続けて逝ってしまうなんて。 父が逝って以降、私は今まで以上に仕事量を増やした。 仕事に没頭する事で、余計な事を考えずに済むからだ。 そうやって何とか心のバランスを保っていた。 しかし、夫の一言でそれはあっけなく崩れ去る。 仕事を終え、帰宅し、座る間も無く夕飯を作り終え、ぼんやりしていた時、 「何ボーっとしてんの
[これは全て私の過去の出来事です] ダブルワークを始めて少し経った頃、母がこの世を去った。 私の母は物事をネガティブに変換する天才だった。 会話もまず、否定形から始まる。
〔これは全て私の過去の出来事です〕 ダブルワークが始まった。 新しく始めたホテルの仕事はハードだった。 客のチェックアウトから次のチェックインまでの数時間、何十部屋もの清掃と、ベッドメイクを2人1組でこなしていく。 勤務中はトイレに行く時間さえままならない。 時間との戦いだった。 しかし疲れ果て家に帰ると、更に家事が待っている。 そして、呑気にテレビを見ながら昼寝をしている夫をよそに、私は黙々と家事をこなした。 夫に家事を手伝ってもらおうという発想は私の中に1ミ
[これは全て私の過去の出来事です] 娘の東京ライフは順調のようだ。 彼女が不安なく大学生活を送ってくれる事が、今の私にとって何よりのギフトだ。 大学進学にあたり、奨学金制度を利用しようか迷ったが、見送ったのには理由がある。 私には4つ年下の弟がいる。 弟が進学の際、実家は経済的に厳しい状況だった。 その時既に社会人だった私は、弟の学費を親と共に負担した。 母親の言い分はこうだ。 「今、我が家はとても苦しい状況、本来ならB夫の学費は奨学金制度を利用するのが最善だと思
[これは全て私の過去の出来事です。] 破水した私は緊急入院となった。 羊水が少なくなっており、これ以上お腹の中に赤ちゃんを留めておくのは非常に危険との事で、 急遽帝王切開で赤ちゃんを取り出すことになった。 出産予定日1か月半前の出来事だった。 予定日より早く産まれた娘は、身体が弱く、頻繁に病院へ通った。 毎日が慌ただしく過ぎていく。 私の時間は全て娘で埋め尽くされ、 モヤモヤの根源が垣間見えたことなどすっかり忘れていた。 共通の話題など殆どなかった私達夫婦にも、
[これは全て私の過去の出来事です。] 夫の祖父が亡くなってから2年が経っていた。 夫は相変わらず毎週末競馬に夢中だ。 1レースに賭ける金額も大きくなっているようだが、趣味の範囲で収まっているので、特に干渉しなかった。 このころ私のお腹の中には小さな命が宿っていた。 仕事はそのまま続けており、あと半月働いて、産休に入る予定だった。 この日の朝、 私はいつものように仕事に行く準備をしていた。 夫は休日で、まだ寝室にいた。 今日は一日家に居ると言っていた。 「鍵は持
[これは全て私の過去の出来事です。] 結婚生活はそれなりに楽しかった。 新築のマンションはとても居心地がよかったし、 結婚後も変わらずフルタイムで働いていた私は、 仕事と家庭を上手く両立出来ている自分に酔いしれていた。 私の思い過ごしだったんだな・・・ しばらくは平穏な日々が続いていた。。。 夫には競馬の趣味がある。 毎週末、競馬新聞に『赤ペン』でびっしりと予想データを書き込み、 テレビ中継に張り付き、電話で馬券を購入していた。 そして私は、その時間夫に話しかけ
[これは全て私の過去の出来事です。] [婚約破棄の申し出] を、破棄してから、 私は自分を責めるようになっていた。 「彼に何をされたというの?」 「自分の我儘で彼にあんな悲しい思いをさせて、 何様のつもり?」 自分の中の自分が責め立てる。 そして、 彼以上に結婚にふさわしい男性なんて、きっともう見つからない! 頑張って幸せにならなくちゃ!! と、 モヤモヤを感じないよう必死に感情の上書きをしていった。 「23年間お世話になりました」 結婚式前夜、 父
[これは全て私の過去の出来事です。] 結婚に向けて(物理的には)順調に進んでいた。 けれど、 私の中のモヤモヤする違和感 は、一向に消えない。 それは結納を済ませてからも、続いていた。 しかし彼との結婚を破談にする大きな理由も見つからない。 彼のご両親もとても良い感じだし、私の両親も喜んでいる。 「きっと大丈夫だよね?皆もあんなに喜んでくれているし」 と、また違和感に蓋をした。 そしていつしか 皆を悲しませてはいけない そんな使命感にかられるようになり、
[これは全て私の過去の出来事です] 夫との出会いは、都内のとあるパーティー会場だった。 7つ年上の彼は、二十歳そこそこの私にとって、全てが素敵にみえた。 「結婚を前提にお付き合いして下さい!」 びっくりしたが、断る理由もなく、 その日から交際が始まった。 1年ほど交際し、婚約や結婚式の日取りなどを具体的に話すようになった頃 私の中で、 何だか分からないモヤモヤ が、たびたび起きるようになった。 しかし当時の私は きっと、マリッジブルーだよね。 恋愛と結婚は違