見出し画像

このnoteの動機となった配属ガチャの大外れ

 サラリーマン社会では、「配属」は職業人生の運命を左右する一大事です。ただ、配属(or異動)でどこに回されるかは、神のみぞ知る世界で、当たりのガチャを祈るしかありません。私の場合、今の会社における最初のガチャは大外れでした。深い絶望とはこのことでした(このエントリーはnote紹介もかねて無料としています)。

 ところが、です。いきなり大外れとなったガチャは、結果的には大当たりとなり、このnoteを始める大きな動機となりました。この話は、テーマ分類では「キャリア」に入るでしょう。でも、人生訓的に、配属ガチャが外れても我慢すべし、と言うつもりはないです。すべては運なので。

 さて、前置きはこの辺にして本題です。数十年前、私は小さな出版社でスポーツ取材をやっていました。専門的な取材は楽しかったものの、もう少し幅広くスポーツを取材したい、との希望があり、たまたま通信社の中途採用を新聞で知り、応募しました。

 奇跡的に書類審査と筆記試験を通過。とんとん拍子で面接が進み、採用が決まりました。(記憶はおぼろげながら)正式な配属は出社初日に決まるものの、面接官とのやり取りから、すっかり「運動部」であると確信していました。いろんなスポーツを転戦して取材できる、と有頂天でした。

 採用が決まった頃、改めて会社のパンフレットをしげしげと見る機会がありました。運動部以外は興味ゼロだったので、それまで社業全体への関心も薄かったのです。見ながら思ったのは「外国経済部」って最悪だよな、でした。大嫌いな経済を、苦手な英語でやる。なんという地獄。

 とは思ったものの、気分はすっかり「運動部」だったので、かなりウキウキで初出勤した記憶があります。そして、当日。採用された者は、配属先の幹部が引き取りに来ました。で、私は…。外国経済部のデスクでした。「騙された…」と思ったほどの心理的落ち込みでした。

 転職が続いた私の人生。マスコミの運動部記者で着地する夢は破れました。暗澹となりましたが、苦痛でも3カ月は続けよう、と気分は早くも、次の仕事探しでした。が、しかし、職業人生とは分からないもので、気がつけば、経済取材の中でもマニア系の日銀取材にはまったのでした。

 文学部卒で運動部を希望し、経済無知だった人間は、日銀取材に際し、どこでつまずき、どう理解したのか。この過程は実は、日銀の金融政策と実務を偏見なく、効率的に捉えることになったと思います(下手に金融政策に関心を持って、ネット検索等でリフレに罹患していたら、偏見の塊人間で終わったでしょう)。

 日銀を取材する際、最初に味わう苦難は、経済に疎い人にとっての分かりやすい教科書はない、ということです。仮に解説書があっても、理解困難な専門用語の羅列で、一つ一つをクリアするのに途方もない時間がかかり、不毛なことに、クリアしてもあまり意味がないことも多いです。

 幸いなことに、日銀取材では、まず目の前に専門家(日銀諸氏)がいて、直接聞く、教えを乞うことができます。必要に迫られた取材は、結果的に必要十分で、これを繰り返して知識が増え、体系的な理解が進みます。あとは細部を必要に応じて埋める、という作業となります。

 恐らくですが、私が歩いた道は、全体像を把握する上では最短に近いルートになったのではないか、と思います。横道や分岐点は多くあるものの、後から必要に応じて詰めればいいでしょう。後述しますが、この難解な金融政策の完全把握は不毛で、人生を無駄使いする必要はありません。

 古くからディーラー、エコノミストとして金融政策も含むマーケットに関わっている方々は、自動走行できます。難解な用語群は蓄積もあるのでやすやすと咀嚼し、情勢展開をリアルタイムで把握。金融情報は報道含めて大半は確認用で、基本的に知らないことはない、という状況です。

 これに対し、能動的、あるいは受動的に最近関わった方、これから関わる方々には、金融政策の難易度は上がっています。非伝統的な領域に入って複雑さが増し(注)、キャッチアップのための理解に時間がかかります。金利の上げ下げで済んだ世界に比べ、必要とされる知識量は膨大です。

 最近、マーケットが動意付いています。世界的にインフレが台頭し、金融政策は正常化方向です。私はデフレ基調が定着して、円金利・債券市場は過疎化が進み、限界突破と共に(私も)消えるだろう、と思っていましたが、意外にもこれから活気づく方向となりました。

 これは、新たに金融政策に関わらざるを得ない人々が増えることを意味します。私の経験を踏まえた金融政策の捉え方が、みなさんの理解を進める一助になれば、との思いでこのnoteを始めた次第です。金融政策につきまとうリフレ禍に罹患する不幸を最小化したい、との願いもあります。

 注)金融政策が複雑化したのは、もちろん正常進化ではなく、状況悪化による奇形化と言ってもいいでしょう。政策論・実践論としては、時間稼ぎのごまかしの側面が強いです。(学問上の必要性を除き)全部を真面目に咀嚼するのは、繰り返しますが、人生の無駄使いとなります。


 

 

 

  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?