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自分の創造力を削ぎ落とされる授業がある時間割の中で。 その2

昨日の投稿で書ききれなかった続きを。


とある方からコメント頂いのだが、確かに教育の問題でもある。でもそれって今更な感じもあり一因でもあるが全てではない。ビジネス業界でよく言われるアップデートの問題と綿密に絡んでいてマクロでいう社会全体の話でもある。

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そもそも、価値基準が労働市場に直結していて学びが全て労働市場の測りから脱化できないベルトコンベアーの上で教育を受けるならば代わりようがない。

という議論も既に為されていて、各界隈の方々が様々なアプローチを行なっているのが現状である。

さて、自分の過ごしてきた環境によって価値基準が体系化され自己の心性に宿っているわけだが先日も書いたように教員や職員という立場は価値軸を投げざるを得ないポジションでもある。本当の“正しい”とは何か、しかしその問いすらも虚無だよなという自問自答の中で今日も人々は今正しいと信ずる方向へ向かうわけで、正しかったかどうかは歴史が判断するであろうという希望的観測の中進むのだ。

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カリキュラムを実行しなければならないというミッションを特別時間割で過ごしてきた放課後の子供たちに今できることを考える。僕のできることと伝えたいメッセージは明確だ。遊びと発掘。


学校でもSNSでも貰えなかった“いいね”を投げ捨ててその子だけが感じられる美しさや好きなものを全力で共に喜ぶ。

さぁ、明日も現場だ。冒険だ。

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