ダンスの幅を広げる, 音楽の聴き方や捉え方に対する考え方を対話し合うメンバーシップです. 月に3回のセッションクラスで出てきた内容や, 実際に演奏家に「音楽理論」的な解釈を教えて頂いたり, 「ダンスパフォーマンス」に関する研究や技術の情報を発信したりします. 即興, インプロダンスをしたいと思う方はぜひいらして下さい. 楽曲の世界観を壊さず, あるいは即興時において演奏家と“音”の対話をしたい方はおすすめします! 記事だけでなく, Jam session classもありyuki sakoのLiveへ招待もありますので参加方法をお選び下さい.
ダンスの幅を広げる, 音楽の聴き方や捉え方に対する考え方を対話します. そもそもの「音楽」の聴き方から, 「音楽理論」的な解釈 「ダンスパフォーマンス」に関する研究 「テクノロジー技術とダンスの融合」の情報等 読んだり, 質問したりすることができます.
Yuki sako
僕が見ている情景を月に一度配信します. 迫 裕樹が一体何を考えているのか. “音楽が見えて, ダンスが聞こえる世界がもうすぐ待ってる... ” ダンスの歴史から, アートとの関わりと科学まで. ペーパーや情報を取り入れています.
社会科見学をしながら考えていたのは、最前線で働く人々の功労と幸福だった。
タイ🇹🇭、ミャンマー🇲🇲、ラオス🇱🇦 参加国を仲間たちと渡り歩いた。 あの数日間の記憶をまとめたものです。
休載
休載します.
楽曲の世界観に惹かれて. 何度聞いても音の重力や光に包まれ心の奥底から共鳴し合い溶けてしまう. コヒーレンス. そんな瞬間に何度も出会い続けられるのを恵みと言わずしてなんと祝福しえようか.
「じゃむじゃむスタンダード」に参加すると最後まで読めます
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2316306121 https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2011.00083/full 2つの論文から考えられるのは, 扁桃体からの影響とやはり“音楽体感”には音楽の経験と技術的な聴力スキルが必要なのだろう.
Taichi Ikenaga trio with Shinya Tachikawa のJam sessionにて踊らせて貰った記録を書き綴っておく. メンバーのみんなが少しでもセッションを楽しめるよう, 一緒に音楽を奏でられるような補助輪になることを願う.
音楽の捉え方としてアプローチ云々の以前に、聴き方の知覚的な話をしておかないとそもそも論だと思うので記述しおきます。多分正確な題名は、音楽を聴くときのアプローチ・補助輪だと思う。
前回はこちらから読むことができます. さて今回は前回のところをもう少し深掘りしていきます. ジェラルド・クレイトン氏が“language “ と何度も言っているように、言語や対話にJazzや即興は喩えられます. この言語. 実は最近どうもただの比喩ではないことが分かってきました.(なんと科学がアカデミズムが追随するという展開!)
ご活用ください! 今回のテーマは表拍:裏拍の感じ方の違いになります。UP-DOWNの違いではありません。お見知り置きを!
低音の見解。非常に感慨深いディスカッションになってるので共有します。
世間の蠢きが騒がしく動いている頃. ただひたすらに創作:稽古:研究に没頭. この呟きを最後にデジタル空間に僕はいなかったわけで, 久しぶりに戻ってきて相変わらずガチガチな誰かの正義と不健康なopinionが飛び交ってておめでたいなと思ってる. 再生回数資本主義とアテンションエコノミーが横暴にライドしているので毀誉褒貶は人生の雲霧だがしかし, 換気よりも中毒なマイナスイオンを浴びたいようですよ先生な所存でございまする. 8月のLiveに向けて, 改めてCitypopのこ
書きたいことが溢れていて, 整理が追いついてないのが現状. アメリカで起きている情勢を, やっぱりただの関心範囲で眺めることはできないしとはいえ権利を静かに略奪されているような自国のことも重ねてしまう. いずれデジタルとAIの発達による管理社会が完膚なきまでに作られ(もう今や逃げようがない)優しいディストピアの足音がすぐそこまで迫ってはきているけれど, それ以前に統制され一方的な正義で奪われるている現場が訝しい. 一方で, 今日例えば児童館で思ったことで思わず子ど
家族ができると, 自分の時間が狭まるらしい. まぁ予想範囲内だけれど. 一方で, 自分の時間を上手く使うタイムマネジメントの話ではなかろうかとも思っている. さらに個性の話を淡々と書いてきたけれど“大切なもの以外を捨てて”いれたら, 恐らくこの課題のリスクヘッジは重量が軽くなるとも思う. プライオリティーの減価償却順と, 必須エネルギー量の式に換算できるのではなかろうか?いや, 机上の空論かもしれない. もちろんそこには, 感情の係数が乗っかるので外的要因も否めないからだけ
2年前に書いてるけど「まじそれな」となっているこの感覚は, 自分のアナザーヒューマンと話してる気分で「あゝこれがDigital humanとの対話か」と妙な納得感を懐いて喜んでる. これ確かマーブリン工作か染め紙工作やってた時に考えてたことのような気がする. 忘れた. 保存された自分のデータが自分より自分を知ってるだから味わい深い. 忘却も大切ではあるのだけれど. 個性とかキャラとか. 自分を忘れても変わらない愛すべく偏りを詰め込んだ細胞の集合体. 依存させない状