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ルールのない子供にアンガーマネジメントのできない大人帝国

普段から多様性が芽生える現場で交わっていると思考や前提が変革されていくので僕はいつも嬉しい。

でも、そんな現場感はどこにでも存在しているだろうしそれぞれの適応加減があると思う。思考停止するにはもってこいなルールや規則だけを守っていればいい人間は“そもそも”なんて顧みるわけもなく。


昨日ふと見たTwitterで沸々と想起した。

体裁や怒りと規律でコントロールされた大陸で育った大人には対話という選択肢がないに等しい。だから極力ファシリテートしないといけないのだけど20代そこそこの僕の声なんて全力でへし折って来るわけで。まぁ、諦念感を抱く瞬間が多々あるけれども何度か経験すると「ホモサピエンスが怒り出したなぁ。」と俯瞰しては自己嫌悪になる。そんな周回を繰り返して、ファシリテートするはずの大人がファシリテートを必要とするという現状は教育とやらの新興宗教の違いによって尚軋んでいる。

家庭で培った価値軸で生きる子供に、社会や共生に必要な考え方や判断を気づかせることに気を遣うのが当たり前な日々であると共に感情の制裁が下る自然現象のような瞬間には避雷針のファシリテートが必要で。。。。

大人帝国を宥める役にそろそろコーチング以外の命名を日本語で見つけたい今日この頃。

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