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夏の終わりに 甲子園、東北初優勝に寄せて

こんにちは。
甲子園での仙台育英の優勝から一週間が経ちました。
ついについに、東北に優勝旗が!!

高校野球が大好きで地元宮城のチームを応援してきた私が、小学生の頃からずっと見たかった瞬間がこの夏、ついに叶いました。

この夏の記録として書き残しておきます。

私を魅了した甲子園のヒーロー、大越基


私の小学生時代の強烈な思い出。
それは1989年の夏の甲子園だった。

小学2年生のときにグローブを買ってもらった私。
以来、年子の弟とキャッチボールをして過ごし、巨人戦を見たりお小遣いを野球チップスのカードに替えたりして、野球が好きになっていった。

夏になると自然と話題が高校野球になる我が家。
地元の仙台では、当時竹田監督率いる仙台育英が出場するのが通例で、「今年の育英はどうか」とテレビの前に張り付いて試合を観戦していた。

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1989年夏。
あの夏宮城で甲子園を見ていた人なら、仙台育英の投手、大越基を忘れる人はいないだろう。

大越投手はすごかった。
春のセンバツ大会では元木大介選手が率いる大阪・上宮に敗戦。
その無念を晴らすべく、夏の甲子園で上宮に再戦して投げ勝ったときには小学生ながら見ていて震えた。

その年の仙台育英は、連日の熱戦の中、大越投手が一人で投げていた。
魂の全てをぶつけるかのごとく強豪校相手に一人で投げ抜く姿は、ひたむきで迫力に溢れ、私の心を掴んで離さなかった。
当時10歳の私は家にある画用紙で応援旗を作り、弟とテレビにかじりついて応援した。

1989年8月22日。
ついに迎えた東京代表・帝京との決勝戦。
9回裏まで0-0の投手戦。一時も目を離せなかった。
延長10回表に帝京のタイムリーで2点を入れられ、それが決勝打となり2-0 で仙台育英は敗れた。
大越は連戦の痛みを堪えて投げ抜き、打撃でも活躍したが優勝には届かなかった。

帝京に負けたとき、私は大泣きしたのを今でもよく覚えている。
準優勝だって十分快挙なのはよく分かっていた。
でも大越投手が仙台に優勝旗を持ち帰る姿を見たかったし、育英ナインが好きだったし、負けた相手が東京のチームというのもなんだか無性に悔しかった。

地元・宮城のチームを応援し続けた夏


「大越投手が成し得なかった全国優勝をこの目で見たい」
以来、甲子園に出場する地元チームの応援は私の欠かせない夏のイベントとなった。

中学になり私はソフトボール部に、弟は野球部に。
その後、私は大学進学のため上京して、就職・結婚・出産。
今は2児の母となり東京暮らしではあるけれど、「今年こそは」と地元チームを応援する気持ちは変わらない。

甲子園の開幕が私の夏の幕開け。
対戦カードが決まると心が騒ぎ出す。
宮城代表が勝ち進むにつれて、私もボルテージが上がる。
対戦相手を調べたり、運気を上げようと掃除をしたり、試合をリアルタイムで見ようと日程調整に励んだりする。
夜は熱闘甲子園を見て、高校球児の熱戦に泣く。
そしてチームが負けると、私の夏も終わる。
それが私の夏の過ごし方で、夏の醍醐味だった。

子どもが産まれる前は甲子園球場まで出向いて応援することも。
2007年の夏、仙台育英の2回戦で佐藤由規投手の甲子園最速155㎞/hの瞬間に立ち会えたのもいい思い出だ。

掴めなかった優勝旗


あと一歩で届かなかった決勝戦も見てきた。

2003年の夏の決勝。
2年生エースのダルビッシュと2番手の真壁擁する宮城代表・東北高校が茨城・常総学院に挑んだ。4-2で惜敗し準優勝。
優勝候補として期待された翌年の夏も熱戦を繰り広げたが、優勝には届かず。当時の私はダルビッシュ投手の勇姿に浮かれていたのが懐かしい。

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2015年の夏の決勝。
エース佐藤世那投手を擁する仙台育英が神奈川・東海大相模に挑んだ。
久しぶりの夏の決勝、エースの力投に応援にも力が入った。
10-6で惜敗し準優勝。
仙台育英は佐藤世那投手の連投に対し、東海大相模は吉田投手、小笠原投手の継投で余力があり、充実した投手力がとても羨ましかった。

その前後にも、東北勢では青森・光星学院(2011、2012) 、秋田・金足農(2018)が決勝に進んだが、優勝には届かなかった。
(東北チームの決勝の相手は、なぜか大阪桐蔭、日大三高、東海大相模など都会の常連校に当たることが多く、負けると悔しさが増す気がする。。)

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東北勢は過去に春夏合計12回、甲子園の決勝進出を果たしている。
でも優勝にあと一歩届かない。

「優勝旗は白河の関を越えない」
言い得て妙なのかもしれないが、その言葉は聞きたくなかった。

でも優勝が阻まれるたびに、そこには重圧なのか呪いなのかはわからないけれど簡単には越えられない何かがあると感じていた。
だとしても絶対越えられるはず、だからその瞬間を見たいとずっと思っていた。

そして、2022年夏 


正直なところ、大会前に今年の仙台育英がまさか甲子園初優勝・白河越えを成し遂げるとは全然思っていなかった。
仙台育英は前年夏は県大会で敗れているし、今年春のセンバツ大会にも出場していなかったから。
そしてセンバツ優勝高の大阪桐蔭の壁はとても険しく思えたから。

でも久しぶりに甲子園で仙台育英の試合が見れるのは嬉しいもの。
例年のように「さて今年の育英はどうかな」とテレビ観戦した鳥取商との1回戦。押せ押せの試合展開に思わず前のめりになってしまう。

「えっ!!今年の育英、す、すごい!!」

140㎞超えの投手5人を擁する充実の投手陣。
締まった守備が試合を引き立てる。
ヒットと走塁でつなぐ攻撃も心地いい。
超高校生級と呼ばれる怪物はいないけれど、一人ひとりが主役の全員野球に心が弾んだ。

「今年こそはイケる気がする!!頼むー!!」
(毎年のセリフ)

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仙台育英の須江監督が就任したのは2018年。
勝利後も敗戦後も、須江監督は試合後の談話で相手チームを称え、自分のチームの選手の活躍を褒め労い、力が及ばない時はいつも自身が責任をとる発言をしていた。

須江監督はいつかやってくれる。

仙台育英は着実に勝利を収め、駒を進める。
初戦、鳥取商(鳥取)に、10-0。
3回戦、明秀学園日立(茨城)に、5-4。

全員野球が清々しい今年のチーム。
安打と走塁で堅実に点を重ね、要所でスクイズも光る。
長打は少ないけれど、打点となる場面でヒットや犠打を決める強さがある。
「全員がエースだと思って投げている」という5人のピッチングも見事だ。
アルプスの応援席には青と黄のポンポンを持ったチアが華やかで、
「あぁ甲子園が、いつもの夏が帰ってきた」そんな気持ちにさせられた。

準々決勝、愛工大名電(愛知)に、6-2。
準決勝の東北対決、聖光学院(福島)に、18-4。

期待はしていたけれど、本当にここまで勝ち進んでくれるとは!!
ついに次は決勝の舞台だ。

運命の決勝戦


決勝は宮城代表・仙台育英 VS 山口代表・下関国際。
決勝にこの対戦カードを誰が予測できただろうか。

2022年8月22日。
私が大越投手率いる仙台育英の決勝に涙したのは、33年前のこの日だ。
あの時10歳だった私が、今は10歳の娘と3歳の息子を従えて、あの日と同じように「絶対勝ーーつ!!」と言っている。
なんか不思議な気分だ。

プレイボール。
序盤から引き締まった試合展開に、観戦も気を抜けない。
仙台育英が0点に抑える度にリビングを駆け回る私と子どもたち。仙台育英の打者がヒットを打てばそれに大歓声が加わる。
チアのポンポンを持ってきて踊る娘、野球は分からないけどママを喜ばせようと「いくえガンバレ!いくえガンバレ!」を繰り返す息子。
我が家の応援席も賑やかになったものだ。

仙台育英が先取点、追加点とリードし、その度に盛り上がる我が家。
でも一方で、最後まで何が起こるかわからない甲子園。何度も決勝で勝ちきれなかった場面を見ていただけに私はずっと怖さも感じていた。
下関国際は地力があるチーム。選手のメンタルの強さや執念が画面越しにも伝わってきて、後半接戦になったら相当怖いと思っていた。

なので、7回裏の岩崎選手の満塁ホームランは、息を呑んで観戦していた私にとっても不安を吹き飛ばす一打となった。

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ついに今度こそ、東北に優勝旗が。
本当にあと少し。
胸が高鳴る。
あと少し、あと少し、育英がんばれ!!

9回、最後まで下関国際は食らいついてくる。
対戦相手ながら、とても魅力的なチームだ。
でも、譲れない。あと少し。

そしてその瞬間がやってきた。

この瞬間がずっと見たかった


ついに果たした全国優勝。
暗唱するほど何度も歌った仙台育英の校歌をこの夏の最後に聞く幸せ。
この瞬間をリアルタイムで見れてよかった。

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「宮城のみなさん、東北のみなさん、おめでとうございます!」
仙台育英の須江監督の第一声に、ああ本当に勝ったんだと思う。
その後の監督と選手のインタビューに、自然に涙がこぼれた。
深紅の優勝旗が仙台育英の佐藤悠斗主将に手渡されたとき、色々な情景が蘇ってきた。
「万感の思い」とはこういうことを言うのかもしれない。

勝利の余韻 

勝利翌日、あまりの嬉しさにスポーツ4紙を全て買ってしまった。

スポーツ紙を買うのは初めて。

仙台育英の東北初優勝の瞬間が一面に。
中面には東北のチームが甲子園で歩んできた軌跡。
歴代の東北のチームを沸かせた懐かしいあの夏の球児たちが祝福のコメントを寄せていて心が和む。
もちろん、そこには33年前に宮城を沸かせた大越基投手のコメントも。
地元の新聞、河北新報は後日、母が送ってくれるそうだ。

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深紅の優勝旗が新白河駅を新幹線で越える瞬間を地元ミヤギテレビが中継していて面白すぎるとTwitterで話題になっていた。

やり過ぎ? 全然やり過ぎじゃないよ。
この瞬間を見たかった人、たくさんいると思う。
そんな人たちとこの喜びを分かち合いたい。

仙台育英ナイン、最高の夏をありがとう!


(長文お読みいただき、ありがとうございました。)

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