モノが少なくなったとしても、それが他人軸だとうまくいかないって教えてくれたnote
今日おススメに出てきて拝読したnoteです。
先日のお客様、クローゼットのお片付けをお手伝いしたんですが、
「人と逢う時に『この人、この前と同じ服を着ている』って思われるのが嫌で、どうしても洋服ばかり買ってしまい、服が片付きません」と仰っていました。
そうか、そんな風に考えて暮らしてる人もいるんだなぁ…としみじみ思ったものです。
その方がどう感じて生活していようが他人には知ったこっちゃないのですが、とにかく「他人からどう見られるか」と他人の眼ばかり気になって生きて、その結果、自分の家がモノで溢れ、自分だけが困ってるっていう…
こちらのnoteではその真逆で、
インスタなどで見かけたミニマリストを目指すあまり、「捨てる」ことが目的になってしまった、捨てているのに暮らしが快適にならない、という苦痛のお話。「憧れて苦しんだ」というタイトルがとても目を惹きました。
どちらも「他人軸で生きると何か苦しい」というお話ですよね。
過度なダイエットも似たような感じかな。
「美しくなる」のが目的だったはずなのに、「美しくなるためには痩せなければ」となり、「痩せ続けなければならない」に目的が変わってしまい、拒食症まっしぐら。痩せているのに美しくない、辛い…という。
他人軸になっているというより、「自分軸でなくなった瞬間に何かが狂ってしまう」とでもいいましょうか。
まぁ私が人の目を気にしなさすぎで主人から「多少は人目を気にして女らしくお化粧するとか新しい洋服買うとかしたらどうなの…」って呆れられてる人間なので、私に言えた義理ではないのですが(苦笑)
人間と言うのは社会的な動物ですので、どうしても人との比較の中で生きていかねばならないものです。
その中で「自分」を見失わないようにするのって大変なんですよね…。
そんなとき、noteなどを使って文字にして自分の思いをしたためるというのは、なかなか効果的かもしれません。
(それもそれで、PV稼ぎに走ったり軸がぶれまくることも多々ありますが…)
締めの4行。とても素敵なまとめに脱帽してしまいました。
特に後半の2行は額に入れて飾りたいくらいですよね。
・自分の適正量を知ること。
・自分の管理できる範囲で物を持つこと。
・捨てることよりも、どんな暮らしをしたいのかを考えること。
・他人の軸に振り回されずに、自分の基準で物と向かい合うこと。
でもきっと、「そういう紆余曲折を経て今がある」と言うことに気付かれた人は、きっともうブレないし、その経験すら糧に出来ると思うんですよ…!
少し遠回りして無駄足を踏んだ気になるけれど、遠回りした時にしか見えない景色ってあるじゃないですか。
私もまだまだ片付けは勉強中で、こういう素敵な気付きを拝読するたびに身の引き締まる思いがします。
とっても良かったので勝手にシェアさせていただきました!
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