なりかの生い立ちその3。(部活動編)
忘れた頃にやってくる、書きかけなりかの生い立ちその3。
前回はどこまで書いたかな…たしか番外編での初彼のお話だったと記憶しています。ふむふむ。ということで今日は中学生から始めましょう。
最初から最後まで青春の部活動編です。お時間のある方、よければ読んでいただけると嬉しいです。
れりごー!
中学生編
中学にあがったわたしは小学生の時に続けていたブラスバンド部の影響で、吹奏楽部に入部します。
この頃は身の丈(身長という意味で)に合った楽器を担当したいと思いで、サックスを志望しました。が…
人気楽器のため希望者が多く、わたしはあっさりとあぶれてしまいました。
しょんぼり。
そして、入部希望者にはまずはこれを体験させるからという理由でひとまずクラリネットを案内されます。
その頃のわたしはとにかくチューバのような大きな重たい楽器ではなくて、持ち運びに死にそうな思いをしない楽器がいい。という気持ちだけがありました。(ちびっこ小学生にチューバは重すぎた)
そのため特段、疑問視もせず言われるがままにクラリネットを吹いてみることにしたのですが。。。
それまで読んでいた楽譜はヘ音記号からト音記号になり、
下手をしたら1枚で完結していた楽譜がめくってもめくっても終わらないおたまじゃくしの大合唱になり
3本の指しか使わなかった運指が両手でも足りない運指になり(パニック)
一番うしろでのんびり吹いていたゆるさが先頭でひっきりなしに吹きまくるような慌ただしさになり。
なにこの楽器めっちゃ忙しいやん!!!!
とやっちまった感はあったのですが
慣れないなりに黙々と指使いの練習をして淡々とロングトーンの練習をして…
なんとかそれなりに吹けるようになってきましたら、やんわりと「あれ、楽しいかも」とはじめて音楽が楽しいと感じるようになってきたんですね。(おっそいわ!)
先輩にも可愛がってもらえて、3年生にもなるとパートリーダーや木管セクションリーダーなんかもさせてもらえるようになりました。
アンサンブルの楽しみもこのときに初めて味わわせてもらいました。
一生懸命やれば結果がついてくるんだなあと必死に自主練習をしてちょっとずつできることが増えてきたら
この頃も確か同じパートの同級生にいじめられるようになりました。(またかい。笑)
と言っても中学生のいじめなんで部活のときにやたらきつく当たられるくらいで、
「なりかばかりが1stパートを吹いているのが気に食わない。」
という理由だったと記憶しています。知らんがな練習しろ。←
(うそうそわたしもたいしてうまくなかった。)
なんで和解したのか覚えてないんですが、当時のわたしは結構悩んでいたような気もするなあ。
今となっては「言いたいやつには言わせておけ」という気持ちになっているので、昔のわたし、よく耐えてくれたね、という感じで次に行きましょう!
高校生編
ありがたいことに高校受験は推薦枠で入学し、そのまま吹奏楽部に入部します。
実はわたしは中学の時に初めて出会って、高校では絶対にこの楽器を吹きたい!と思う楽器に出会っていました。オーボエという楽器です。
(ちなみに入部した吹奏楽部は県内では強豪校でした。)
わたし…高校生になったらオーボエを吹くんだ。オーボエは未経験だけど…クラリネットとそんなに離れていないし…緊張するけど…夢のオーボエライフを送りたい。
あの切なく、癖のある、でもまろやかで心を揺さぶる音色…
柔らかなビブラート。
オーボエ…わたしの向かう道はきっとこれだ。。。
そんな風に思いながら、新しい出会いに胸をときめかせていると
前方からすごい勢いで先輩が歩いてくるのが見えます。
「あーーーーー!!ソロコンで金賞獲った○○中学校のクラリネットの子でしょ!!!!!!見つけた!!先生〜〜〜!!!!!クラリネットに新入生来ましたーーーー!!!!!!!」
さよなら、わたしのオーボエライフ。。。
とまあ、こんな感じでわたしは押しに弱いといいますか。笑
期待を向けられると応えなきゃと思ってしまう性格で、まんまと3年間クラリネットライフを送ることになったのであります。笑
めっちゃ楽しかったからいいんですけどね!!!!!
といいますか、もはやすごく感謝してます。
高校3年間は本当に、部活が青春のすべてでした。
ソロコンテスト、アンサンブルコンテスト、吹奏楽コンクール。
合唱部も兼任だったので、高文連の文化祭で関東にも行かせてもらったなあ。
たくさんの楽曲に出会えたし、素晴らしい顧問にも出会えたし、
恩師と呼べるひとがたくさんいます。最高の仲間にも出会えて、こんなに幸せなことは無いんじゃないかと思わせてくれました。
有難いことに合唱部では部長を、
吹奏楽部では副部長、生徒指揮者、木管セクションリーダーを任せてもらえて、県大会、九州大会、全国大会、ソロではオーストラリアにも行かせてもらいました。
カンガルーのお肉は美味しくなかった記憶くらいしかないです。笑
出る気のなかったわたしを音コンに出そうと病室から電話で何度も説得してくれた恩師は出会えた中で最高の先生で
その恩師が闘病中にタクトを振ってくれた当時の教頭先生(元音楽教諭)も最高の先生でした。
(お二人が昔ライバルだったということも胸熱案件でした)
オーストラリアから関空についたときに届いた恩師他界の連絡は今でも思い出すと泣きそうになってしまう出来事です。
あ〜〜〜〜青春だったなあ。
素敵な演奏会があれば、ご自身の車に規定人数を超える数の生徒をギュウギュウにのせて連れて行ってくれて、帰りにはコンビニで
「今日はひとり200円まで」
なんておやつを買ってくださったり。
お話し下手なりに、お気持ちを部活動通信として配って、楽曲見解やエールを伝えようとしてくれたり
病状が悪くなっても録音した音源を持ってくるようにと最後まで精力的に活動してくださったなあ。
会いたいなあ。
あのときのわたしは、部活が人生のすべてなんじゃないかというほどに熱中していて
表現する喜び、思いがひとつになる楽しさ、表現したいように表すには技術が必要なこと。そして技術は練習でしか手に入らないことを学びました。
そして人の前に立つ立場を与えてもらえたことで
恥ずかしくない立ち振舞をすること、言動に一貫性を持つこと
先輩からは真摯に学び、仲間とは熱い信頼関係を築き、後輩には背中を見せつつ心から寄り添う姿勢の大切さを教えてもらったと思います。
この高校3年間の部活動で得た学びは、わたしの根底を作ってくれていると強く思います。
あの高校で、あの部活で本当によかったなあ。
実は、高校三年生の頃にまたちょっとした事件が起きるのですが、
この件からの学びがすごく大きなことだったので、ぜひ次回に書かせてくださいませませ。
なんだか毎度、長くなりすぎてしまう生い立ちですが、今日のところはここまでにしようかと思います。果たしてこんなところまで読んでくださった方はいるのでしょうか。。。
書いてて自分で(うわーなんかドヤってるように見えたらどうしよう…)と感じてしまったのですが、青春時代を改めてこうやって残すことができてよかったなあと思っています。
書く機会をくださってどうもありがとう。
そんなこんなで気づいたらこんな時間。
明日も楽しみな撮影が待っています。
大好きなお二人。素敵な時間になりますように。
今日もこんな辺鄙な場所まで会いに来てくださってありがとうございました。
最後まで読んでもらえて嬉しかったです。
あなたの明日も、きっといい一日であることを願っていますね。
それではきっと、また明日。