1980年代の緩い高校受験事情

1980年代の受験競争は熾烈だったと言われる。
この時代、同学年の人口が多いバブル世代(185万人)、団塊ジュニア世代(200万人)が受験に臨んだ。
だから、受験競争が大変なイメージが強く、イメージ通り大学受験においては40%ほど浪人しており、激しい戦いだった。

だが果たして、ほぼ全員が経験する高校受験については本当に大変だったのか。

バブル・団塊ジュニア世代の高校進学率は、どの年度も94%程で、前後の世代と同じ程度である。結論としては、大変ではないのだが、当時の高校受験が激化しなかった理由を考察した。

理由①:普通科高校の増加
理由②:学区制の存在と総合選抜

①について
70年代中盤に高校進学率が90%を超えて、高校の不足が問題となった。
高校入学希望者を出来るだけ受け入れるため、その頃から80年代後半まで都市部においては普通科高校を数多く新設した。

この時代は、「15の春は泣かせない。」をスローガンとしていた。つまり、教育行政が高校に入れない生徒が生まれるのを防ぐために対策を実施していたのだ。

②について
2002年までは全都道府県で学区制が存在していた。学区があれば、学区内での戦いとなり、
県全域での広い範囲での戦いと比べて、トップから最下位まで細かく序列づけをなされずに済む。

学区が廃止された県(都市部)は下記の通り。
東京都:10学区→都全域(03年〜)
神奈川県:16→県全域(05年〜)
大阪府:9→4(07年〜)→府全域(14年〜)
京都市:4→2(09年〜)→市全域(14年〜)

学区があるだけでも、競争は十分に緩くなる。
ところが、一部の県では総合選抜という
学区内の各校の学力が平均的になるように生徒を振り分ける制度を導入していた。
学校ごとの格差を緩和するための制度である。
生徒は行きたい高校を自分では選べない。
現在はどの県でも実施されていない。

総合選抜が導入されていたた県(一部)は
下記の通り。
東京都:67年〜81年 京都府:50年〜2013年
兵庫県:50年〜2014年 広島県:56年〜98年

1980年代は高校受験において、過剰な競争が発生しないような仕組みが設けられていた。
確かに、学区制や総合選抜のもとでは、
高校を自由に選択できないため、悪平等と批判を受けた。
だが、その分競争で勝てずに劣等感を感じるリスクが低くなる。

1980年代の高校受験というのは、競争に負けそうな人に対して、意外にも優しかった。
当時はまだ冷戦下で、共産主義的な考え方が完全に否定されていなかったことも大きい。

現在のように細かな序列づけがなされないため、高校受験での競争は大変ではなかったのだ。

制限の無い自由な競争は、経済活動では必要だが、ほぼ全ての中学生が参加する公立高校の受験では、競争を激化させないような対策を講じるべきだと考えている。

あと、40代・50代は子供の頃、激しい競争に晒されていて、20代・30代は晒されていないという勘違いも止めていただきたい。

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