ひみつ道具なしで社会に適合したい

この日は快晴で、ドラえもんみたいな色の空だった。

先日、2人の友人から石切参道商店街へ占いに行こうと誘いがあり、二つ返事でOKした。久しぶりに会う友人なので楽しみだった。

待ちに待った当日は、待ち合わせ場所の新石切駅まで近鉄電車で向かう。人生で2回しか利用したことがない近鉄電車で、だ。切符1枚買うのにも苦労する近鉄電車だ。

どれくらいの運賃が必要なのか。大して読めもしない路線図とGoogleマップを交互に見て料金を確かめる。券売機の前でウンウン悩んでいる私を咎めるかのように電車がホームに滑り込んできて、結局私は当てずっぽうで切符を買った。

切符を握り締め、改札を抜け出てくる人波に逆らってホームまで早足で歩く。が、遅かった。遠目に小さくなっていく車両を見つけ、思わず「ああ」と声が漏れる。間に合わなかった。

まあ私にはよくあることだ。幸い時間には余裕があるので、空っぽのホームでのんびり次の電車を待つことにした。


日が差していても暑さはほとんど感じない。背中から私を追い抜いていく風には、ほどよい緊張感と冷たさがあり、冬がもうそこまで近づいてきているのを実感させられる。

ベンチに腰掛けてnoteの下書きを書いていると、10分の待ち時間はあっという間だ。

駅構内に響くアナウンスに顔を上げると、胸のすくような秋晴れの中を呑気に走る臙脂色の電車が見えた。空がドラえもんなら、こちらは首輪といったところだろうか。

人生3回目の近鉄電車。行楽シーズンの休日だというのに乗客は数えるほどしかいない。

私の正面には、何かのパンフレットを丹念に読み込む若い女性が座っていて、数席開けた隣にはお揃いの紙袋を持ったおばさんが2人、賑やかにおしゃべりしていた。

通勤電車特有の重苦しい雰囲気はどこにもなく、みんなそれぞれの時間を好き勝手に過ごしている。

ゆったりマイペースに進んでいく車両に揺られていると、心地よい陽気も相まって眠くなってくる。それは他の乗客も同じようで、正面で冊子を読んでいた女性はほどなくして居眠りし始めた。


結局、最初に慌てて購入した切符では運賃が足りず、私は新石切で乗り越し料金を払うことになった。

色々バタついたが、それでも時計は待ち合わせ時間の10分前をさしている。何とか約束に間に合いホッとしていたのも束の間、スマホを確認すると2人から同時にLINEがきていた。

“20分遅れます”

驚いた。今まで四苦八苦してきたのは一体なんだったのか。もし本当にドラえもんがいたならば、すぐさまころばし屋を派遣して容赦なく転ばせているところだ。

とはいえ、遅れるものは仕方がない。怒っているパンダのスタンプで返事をして、私は新石切でまたもnoteの続きを書くことになった。


「本田ちゃん? 遅れてごめんな?」

先にきたのは、兵庫出身の友人だった。素朴で不思議な雰囲気をまとった人物で、語尾には半々の確率で疑問符がついている。なので、ここでは疑問符の”もんちゃん”と呼ばせていただく。

もんちゃんと会うのは実に1年半ぶりだ。前はブラック企業に勤めていたが、つい最近転職に成功して肌にハリが戻っていた。

会わない期間が長いと話にも花が咲く。色々と情報交換をして盛り上がっていると、すぐにもう一人の友人が到着した。

「おはよう! ほんまごめんな!」

通天閣育ちの彼女は以前、私を額縁店に置き去りにしたことがある。常にハイテンションで、語尾にほぼ100%の確率で感嘆符がついている。なので、彼女は感嘆符の”かんちゃん”と呼ばせていただく。

かんちゃんは占いのことになると、必ずむかし遭遇した的外れな占い師のことを引き合いに出し「あっこ(あそこ)ぼったくりや!」と地団駄を踏む。この日もそうだった。

メンバーが揃ったところで、私たちは石切参道商店街へゆっくりと歩を進め始めた。

商店街はガラガラの電車で来たとは思えないほど賑わっていた。

道幅の狭い坂にひしめく古風な店をバックに、華やかな七五三の着物を来た子どもたちが目に楽しい。

商店街に点在する占い店は、店構えもキャッチフレーズも個性的だ。入りもしないのに看板の細かい字をしげしげと読んでしまう。

「あの看板めっちゃパンチきいてない?」
「手相占い安いな!」

他の商店街ではまずお目にかかれない看板を見つけては、各々好き勝手に茶々を入れて歩く。まだ占いもしていないのに、ウキウキと気分が高揚してくるのは石切さんによるものかもしれない。

商店街をぐるりと一周し、私たちは商店街の入り口付近にある店でタロット占いをした。手相の解説や過去に鑑定した芸能人の写真が自慢げに張り出されている、いかにも怪しげな店である。

ガラス張りなのにベタベタ貼られたお品書き(?)のおかげで店内が見えにくく、ドアを開けるのに勇気がいるタイプの店だ。だが勇敢なかんちゃんはそんなことお構いなしにドアを開ける。初めての場所に一緒に行くと心強いタイプなのだ。

かんちゃんに続いて私ともんちゃんも入店すると、とても愛想のよい占い師が出迎えてくれて安心した。

占いは、もんちゃん、私、かんちゃんの順に行った。

器用に世渡りをしているように見える2人だが、鑑定を聞いていると彼女らにも誰かに聞いてほしい悩みがあるのだなと感じる。かんちゃんも似たようなことを言っていた。

もんちゃんの鑑定が終了し、今度は私の番になった。テーブルにつく私に、占い師は穏やかに「何占おうか?」と問いかける。

健康運や恋愛運といった当たり障りのないことを聞いても良かったのだが、ふとした好奇心に負け、占い師に「適職を教えてください」と聞いてみた。

私は以前勤めていた会社を退職してから定職に就いていない。

毎日ジェットコースターのように乱高下する体調に振り回されながら、内職などをして生活費を工面している状態だ。

ゆくゆくは社会復帰を果たしたいと思っているが、健常者ですら就職が難しいこの時代に、精神疾患を抱えている私が就労できるほど社会は甘くない。

職を選べる立場にない私が、今さら適職なんて聞いて何がしたいんだろうと思う。が、本当に何となくなのだ。ちょっと高級なおみくじを引く感覚である。

「あなた、もったいないねえ。すごく賢いから頭使う仕事した方が良いよ」

展開されたタロットに目を落としながら占い師が言った。

具体的には、カウンセラーや先生といった人を導く仕事が良いと。この結果には少し面食らった。鑑定を受けている張本人が、今まさに精神科でカウンセリングを受けているからだ。

もっと言えば、私は頭も良くない。良くないどころか悪い方だ。卒業した高校の偏差値は40未満だし、数学と理科に至っては中卒程度の教育しか受けていない。

うーむ、やはり所詮おみくじか。そう思いながら、占い師の話にフムフムと相槌を打った。他にも占い師から2,3アドバイスをもらい、私は鑑定料を支払ってかんちゃんに席を譲った。


占い店を出た後は、喫茶店で軽い食事を取って新石切駅に戻った(かんちゃんは、喫茶店でも昔のぼったくり占い師の話をしていた)。

今度はしっかりと路線図を読んで正しい切符を買い、反対方面の電車で帰る2人に気をつけてねと手を振る。控えめに手をヒラヒラさせるもんちゃんと、ブンブン大きく手を振るかんちゃんの対比が面白かった。

電車の座席に腰を下ろすと、石切さんで歩き回った疲れがドッと押し寄せてきた。これは明日も引きずるぞ、と次の日の自分に忠告しながら、楽しかった今日の出来事を思い出す。

「本田ちゃん確かに頭使う職業向いてると思うで!」

占い店を出たかんちゃんが、私に言った言葉だ。私が「え~、ほんまに?」と茶化して返すと、今度は遮るように「ほんまほんま!!」と打ち返してきたのが印象的だった。

曰く、あたし文章とか作れへんからメールの仕事してた本田ちゃんは頭使う仕事向いてる、らしい。

確かにかんちゃんは全くといっていいほど作文ができない。特に長文は書いているうちに混乱していってるのが手に取るように分かる。LINEはスタンプや絵文字で会話しようとする。彼女はそれくらい文章が苦手だ。

だからかんちゃんの中では、文章を書く=難しい(頭を使う)、という図式が成り立っていて、それに近しい仕事をしていた私は、頭を使う仕事が向いているということになるらしい。

さっきまで半信半疑で聞いていた占い師の言葉も、友人に改めて言われると何だかそれらしく感じてしまう。私は自覚していないだけで、本当は賢いのかもしれない、と。

すぐに「いやいや」と思い直すのだが、聡明になりたい願望がある私は、かんちゃんの言葉を大切に大切に反芻してしまう。

「頭良い人の脳みそとコミュ力ほしい~」

座席の背もたれに体をあずけながら、さもしくも心の中でないものねだりをしてみた。お金で買えないものが狂おしいほど欲しくなるときがある。

数時間前まで広がっていた見渡す限りのドラえもんは、ただの暗闇になってしまった。きっと未来に帰ってしまったのだろう。

――のび太はどうしただろう?

ドラえもんが未来に帰ると言ったとき、のび太は必死にドラえもんを説得した。「絶対にいやだ」と駄々をこねた。どんな無茶なお願いでも「ドラえも~ん」と泣きつけば必ずひみつ道具を貸してくれたドラえもんが、この時ばかりは首を縦に振らない。

小学5年生の男の子が一人抵抗した程度では、ドラえもんを現代に留めることはできなかった。

それを悟ったのび太はどうした?

ドラえもんがいなければ死んでやると啖呵を切ったか? 違う。
自分も未来に連れて行けと懇願したか? 違う。

のび太は、ドラえもんなしで生きていく決意をしたのだ。どうしたってドラえもんはいなくなってしまう。なら、残った自分の身一つで生きていこう。そうドラえもんに誓ったではないか。

だから真夜中に単身でジャイアンに挑み、ボロボロになりながらも勝利を勝ち取ったのだ。ひみつ道具なしで。

かんちゃんだってそうだ。

確かにかんちゃんは文才がない。だが、天性の人懐っこさと行動力がある。そしてその強力な長所を武器に作家活動をした結果、企画展を主催すればすぐに応募者が集まるほどの人望を手にしている。

自分に無いものを求めてのたうち回るのではない。前に進むには、あるものでやり繰りするしかないのだ。

かんちゃんものび太も、それをよく理解しているのだと思う。もんちゃんも、世の中の人も。

私には何があるのだろう。

社会の荒波に揉まれて、私はあまりにも多くのものを失った。手元に残っているものはそう多くない。

もし、あの占い師やかんちゃんが言うとおり、私に知恵があるのだとしたら、私はそれを活かしてまた社会に参加したい。人を導くにはあまりにも未熟すぎるが、誰かのために使える知恵があるのなら、私はそれを役立てたいと思う。強く思う。

22世紀には私を社会に適合させてくれるひみつ道具があるのかもしれないが、残念ながら私はそれまでに確実にくたばっている。

ならば私ものび太のように、果敢に挑み続けるしかない。怒り狂うジャイアンのような恐ろしい不安症状に。テストで一人だけ0点を取るような他人との能力格差に。

きっと、何度も返り討ちにあうだろう。

「助けてドラえもん!」と叫びたくなることだろう。

弱音だって何度も吐くし、しょっちゅう泣き出す。傍から見たら心許なさすぎて見ていられないかもしれない。

だが、どれだけ無様でも私は社会復帰を果たしたい。また仕事を得て、新しい友達を作って、自分の足で歩いていきたい。

私はそのために挑戦し続けるのだ。

いつかまた頭上に姿を見せる真っ青な彼に「勝ったよ、ぼく」と伝えるために。

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