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私は“ただの”本田ちゃんになりたい

彼女に置き去りにされたのは、後にも先にもあの時だけだった。

残暑厳しい9月の出来事だ。筆者はその日、企画展で使う額縁を買うために通天閣の額縁店に来ていた。三好額縁店という、いかにも下町らしい店構えの老舗優良店である。

「ちょっと待っといて!」

一緒に来ていた友人の唐突な声に振り向いたが、もう遅い。シャーッという自転車の音だけを残して彼女は忽然と姿を消した。入店して20秒足らず。筆者は電撃離婚ならぬ電撃放置の当事者になった。

彼女の突飛な行動は、何も今に始まったことではない(置き去りにされたのは初めてだが……)。恐らく何か思い出したことがあって、行動せずにはいられなかったのだろう。

結局、友人の“ちょっと待っといて”を信じ、筆者は一人で額縁を選ぶことにした。

これまで色々な画材店に足を運んだが、三好額縁店の品揃えの豊富さは群を抜いている。大小様々な額縁が所狭しと陳列されている光景は圧巻の一言で、見ているだけで心が躍る。

薄暗い店内を数分も歩くと、ちょうど良いサイズの額縁がいくつか見つかった。どれが自分の作品に馴染むか、頭の中でシミュレーションしながら考えていると、店先からハイヒールのコツコツいう音が聞こえてきた。

自転車で颯爽と飛び出していった友人が戻ってきたのだ。手に紙袋をぶらさげ、長くしなやかな足で悠然と歩く姿が逆光によく映えていた。

知り合って10年になる彼女は、“衝動”が服を着て歩いているような人物だ。

「お待たせ~! いやちゃうねん、忘れ物してん!!」

そして必ず、発する言葉には感嘆符がついている。

「受け取れ」と言わんばかりに差し出してきた紙袋には、彼女がユニバで買ってきたカエルチョコが入っていた。青と金で装飾された五角形のパッケージは、直前まで冷蔵庫で冷やされていたせいか、じんわりと汗をかいている。

“忘れ物”とは、このことのようだ。

彼女は自分の額縁を選びながら、家が近いから忘れ物を取りに帰ったこと、カエルチョコは本田ちゃん(彼女は筆者をこう呼ぶ)が好きそうだから買ってきたこと、道中ネコを見かけたこと、作品の進捗が思わしくないこと、本田ちゃんが歩きだから自転車は家に置いてきたこと、フエキ練乳プリンを食べてみたいことなどを奔放に話した。

筆者はこの友人の話を聞くのが好きだ。

話したいことを、思いついた順に、好きなだけ話す。だから内容にまとまりがなく、要領を得ないことも多いのだが、彼女の話には「伝えたい」というストレートな感情だけで最後まで聞かせてしまう強引さがある。

素直に自分を表現するのは良いことだ――彼女と話すたび、そう教えられる。noteにエッセイを投稿し始めてから、それをより強く実感するようになった。

そしてまったく素直じゃない筆者は、もっと自分を素直に出しても良い気がした。

「筆者」なんて気取ったことを書いてないで、素直に「私」と書けば良い気がした。性別を理由に中傷を受けて以来、この一人称は封印していたのだが、きっと世の中はもっと優しいのだと思う。

だってnoteを通じて届く反応はどれも温かかったから。

精神疾患を抱えても、アルコール依存症になっても、作家活動を休止しても、ただの本田ちゃんとして対等に接してくれた友人のような人は、きっと大勢いる。

私はそんな温かい方々に、もっと素直に向き合いたい。

何者でもない”ただの”本田ちゃんとして。

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