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夜、余白に倚りかかり

爪で引っかいたような隙間に夜は佇む。

窮屈で息苦しそうな場所なのに、12時間ごとに必ずそこに収まりに来る。律儀なやつである。冬は長居する。

ニトリで買ったカーテンはぴっちりと閉まらない。学生寮に住んでいたころは隙間なく閉じたので、おそらくカーテンレールとの相性がよろしくないのかと思う。

このコイン投入口のような裂け目にかき乱されることもある。しかし洗濯バサミでえいやと閉じてしまうのは、その場凌ぎで好みじゃない。結局放置している。放置して7年経つ。もうすぐ8年。

のりしろ然と突っ立っている闇に、接着剤をはみ出るほど塗って閉じてしまいたい。時折そんなことを思う。

銘柄はなんでも良い。アロンアルフアでも、アラビックヤマトでも。

日照時間が短いせいか、冬は精神が不安定になりやすい。

こういうときの私は、満天の星空だとか朝もやの無重力なんかに心を動かされたりしない。すっかり退色したガードレールのヤミ金広告とか、痛そうに点滅するアパートの常夜灯とか、そういうのにハッとすることが多い。

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視野が狭まるから、大きなものを捉える余裕がなくなるから、小さいものに惹かれるのだと思う。きっと。

ニトリの隙間が目につくのも冬が多い。

最近は、紅海にフエキ糊を投入してアラビア半島とアフリカ大陸をくっつけたいと思っている。あの隙間は大変気になる。

大量のフエキ坊やが必要となる。拉致らねばならない。後に何らかの罪に問われても良いから、私は紅海をフエキ糊で満たしたいと思っている。紅海の次はペルシャ湾である。


隙間と言えば、保健室の体温計を思い出す。

休む権利を獲得できる37.5度に0.1足らず、釈然とせぬまま教室に戻されたことがあった。「健康」と「病人」を分かつ0.1の隙間は、些細なようで途方もなく大きい。あの溝はセメダインでも埋められないだろう。

0.1の垣根を越えるには、どのようにしたら良かっただろう。上履きの底、あのよくゴミが溜まるジグザグ模様を思い出しながら考える。

体調の悪さを切実にプレゼンしたら良かったか。もっとダルそうな態度を見せていたら。小賢しいが摩擦熱を利用して体温を偽装する手もある。

何が正解だったか、今となっては分からない。

還暦間近だった当時の先生は、もう私のことなんて忘れているだろう。ぽっかりと。その記憶の空洞を埋めたいとは思わない。ニトリのカーテンや紅海を埋めたいとは思うけど。


そういえば、私は余白が好きだ。

隙間を埋めたい衝動にはかられるが、余白はそのまま置いておきたくなる。

たとえばnoteの両端。あの空白は素晴らしい。それから名刺に配置された余白も風通しがよくて気持ちが良い。世界地図に堂々と風穴を開ける太平洋とやらは、もはや勢いまかせで清々しい。

すべてを語らず、読者に真相を託す意味深なストーリーは大変面白い。ファンの間で「あーでもない、こーでもない」と、屁理屈をこね回すのは至福の時だ。

隙間のようにホコリはたまらず、かと言って1人では持て余してしまうほどの巨大さはない。1K25㎡くらいの、掃除が容易で、かつ窮屈さは感じない広さ。疲れたら横にもなれる。そんな余白が好きだ。

それくらいの余白を、常に心に忍ばせて生きていたい。


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