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盗んだら、あかんのか?

私はワルだ。

頭が悪い。自分の偏差値を計算したことはないが、卒業した高校の偏差値は40にも届いていなかった。ウケる。

中学校はさらに酷いもので、廊下を改造チャリが爆走していく『北斗の拳』みたいな校風だった。

『北斗の拳』のモヒカンザコ(通称ヒャッハー)たちは水やガソリンを略奪していたけれど、我が母校のヒャッハーはメリケン粉と爆竹を集めていた。

縄張り意識が強く、他校と陣地を取り合ってケンカすることもあった。しかもそのケンカに負けて、まったく無関係な男子生徒の行動区域が狭まることもあった。理不尽極まりない。『北斗の拳』の方が秩序ある。

母校の教育水準は全国的に見てもかなり低かったと思う。九九が言えない生徒は決して珍しくなかったし、15歳になって初めて「整」という字が書けるようになった子もいた。

学力が低いのは悪いことではない。低学歴でも活躍している人はこの世にたくさんいる。

そもそも学力なんて関係なく、一定の地頭の良さがある人は「廊下は自転車で風を感じる場所ではない」ことくらい分かるだろうから、ヒャッハーたちはどう贔屓目に見ても頭が良くなかったと思う。

頭の良さをあらわす指標のひとつとしてIQがよく用いられるが、彼らの知能指数はIQ100とか80とか、そういう数字で測れるような次元ではなかった。IQヒャッハー。

私の地元はIQヒャッハーが牛耳っていたし、当時のヒャッハー密度は日本一だったと思う。そして、そんな世紀末的環境で育ったものだから、私もそこそこ根性の入ったIQヒャッハーである。

それを象徴するエピソードが「上司タイマン事件」だ。

コールセンターで働き始めて数ヶ月が経った頃、私は上司と個人面談をすることになった。オペレーター育成のため、定期的に行っているものだった。

上司から個人面談の連絡を受けた日は、センターも忙しくなかったのでその場で日程調整まで済ませた記憶がある。すべてがスムーズに進んだと思ったのも束の間、私は業務に戻る前にとんでもない失言をしてしまった。

お前分かってないだろ。

去り際こんなにカジュアルに宣戦布告する部下いる? 喧嘩のクリアランスセールかよ。

控えめに言ってめちゃくちゃサイコでオフェンシブな部下である。怖っ。

上司はシャレの通じる人だったので笑って流してもらえたけれど、言葉を扱う仕事に従事する者として、この言語感覚は非常に危ないと思う。致命的と言っても良い。

普段使っている言葉は、ふとしたきっかけで口から飛び出すものだ。一歩間違えば、私は顧客にもハキハキと喧嘩を吹っかけていた可能性がある。対お客様ストリートファイトの幕開けだ。

ちなみにタイマンもストリートファイトも決闘である。法律で禁止されている行為なので気軽にファイトするのは絶対にやめよう。

繰り返すが、私はワルだ。

頭がワルなのは先ほどお話した通りだが、それ以上に悪い才能があった。私は盗みが上手かった。

幼少期は友達のおもちゃやシールなんかをネコババしていく、姑息な子どもだった。生まれついての泥棒だ。ナチュラルボーンヒャッハー。

家に知らないおもちゃが増殖していく怪奇現象に気づいた両親は、独自の捜査ルートによって私の犯行を突き止め、文字通り殺す勢いで私を叱り飛ばした。あの時の私は、1コマでケンシロウに殺られるザコだった。

ボロボロになった私は、そのまま両親に引きずられて盗品を友達に返して回った。この謝罪行脚でも死ぬほど叱られた。怪奇現象はおさまった。

盗みなんて、あんな代償を払うくらいならやらない方がマシである。いくら頭がワルな私といえ、この一連の経験でそれを学習し、ぱったりと盗みをやめた。

本当に盗みはするべきではない。

1度盗みをしたら最後、その後足を洗っても「あいつは泥棒だ」というイメージがついてまわる。リスクばかり大きいくせに身入りはショボい。

コスパが悪いので、私腹を肥やしたい人は盗み以外のまっとうな方法で努力していただきたい。さもなくばケンシロウに殺られる。

なんの役にも立たないように思われた盗みの技術だが、創作の場でだけは役に立った。私は技術を盗むのもそこそこ上手だった。

創作は模倣だ。技術を盗み、構図を盗み、デザインを盗みして、オリジナルを作る。私は絵と文章で創作をするけれど、最初に練習するのはいつも模倣から。人聞きの悪い言い方をするならば、パクリだ。

当然のようにnoteもパクっている。もう、パクリにパクっている。倫理観に親を殺されたのかと言われても文句は言えまい。それくらいパクっている。

メール接客を5年していた私は、解説文を書いた経験は山ほどあっても、エンタメ記事のような娯楽性の高い文章を書いた経験はほとんどない。

だから何も考えずに書くと、取扱説明書みたいな「意味は分かるけど、面白くない」文章になる。取扱説明書を読むのが好きな取説ガチ勢にはウケるだろうが、そんな人は恐らく私のnoteを読む前にガチの取説を読んでいる。

そういうこともあって、noteを始めた当初は、「エッセイ」とか「自己紹介」といったキーワードを検索窓に打ち込んで真似をしながら記事を書いていた。

ここで丸パクするとケンシロウに殺られるので、慎重に盗まねばならない。

noteで文章を読み書きする人は、一般よりも文脈や行間を読む能力に優れているように思う。だから余白を残した詩情のある文章が多いし、そういった作品が評価される傾向にある。と、思う。

読者を信じていないとできない芸当だ。

余白のある文章というのは、口で説明するのは簡単だけれど、実践するとなるとかなり難しい。noteを書くときは、毎回この部分で苦戦している。

これ以上言及するとくどくならないだろうか、この説明を省くと読者は混乱するかもしれない。逐一そんなことを考えながら書いている。

そのうち、ワルな私の頭が根を上げて他人の作品に助けを求めるのだ。

いわゆる「いかがでしたかブログ」のようなコピペのパッチワーク記事を作るのではない。それは紛うことなき盗作であるし、そんな表層的なパクリでは良い作品は生まれない。

リスクばかり大きいくせに身入りはショボい行為だ。ケンシロウにも狙われる。

もっと深いところ、構成や切り口を観察するのだ。そうすると創作の糸口が掴める。それを自分なりに真似れば良い。

「盗みにクリエイティビティを見出すな」

そうお叱りを受けるかもしれない。けれど創作は模倣だ。

きっとこれからも色々な作品から執筆のヒントをもらいながら、細々と創作に取り組んでいくのだと思う。

だから私は、これからも盗みながら創作していく。

良い作品を作るために、盗むのだ。

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