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嫌なことがあったから、図書館でヤケクソ気味にネットサーフィンをした日

noteの更新ペースを崩すほど辛いことがあった。

この数日はずっと泣いていたし、何度酒に手が伸びかけたか知れない。

泣いている原因をすり替えるために泣ける作品をたらふく見て、それ以外はずっと寝込んで過ごす、廃人同然の生活を送っていた。今更だけれど『あの花』は大変な良作だ。

このまま布団の中で生涯を終えようと思っていたけれど、案の定というか、ずっと同じ姿勢だったことが災いして左肩を寝違えてしまった。布団生活の幕引きはあっけない。

家にいたら酒が欲しくなるし、嫌なことに向き合い続けてしまう。まるで良いことがない。

「どうせなら、布団なんてケチくさいこと言わずに家からも出よう」

何となくそう考えて、私は悲鳴をあげる肩に鞭打って県立の大きな図書館へ出かけることにした。

「本田ちゃんは多分やけどね、重度のネットユーザーやと思うわ」

昔、友人にそう言われた。言われてみれば、たしかに私はネットサーフィンが好きだ。ネットニュースから個人ブログへ、2ちゃんねるから各種SNSへと、何時間でも回遊している。

起きている間はほとんどネットを見ているし、何なら寝ているときも夢でネサフをしていることがある。泳ぐのをやめると死んでしまうマグロのような感覚でインターネットをしている。

図書館は、アナログでネットサーフィンができる施設だ。

威圧感たっぷりの本棚の隙間をトコトコ歩き、気になる本を1冊抜き取って読む。面白い情報があったら、関連書籍を探してきてまた読む。時々、ノートにシェアもする。

媒体がネットから本に変わるだけで、やることは変わらない。ブルーライトがない分、図書館の方が目に優しいだろう。

この日のネットサーフィンも有意義なものだった。少なくとも、家でずっと考えていた“辛いこと”から目を背けることには成功した。

本当は閉館までいたかったけれど、寝違えた左肩の痛みが激しくなってきたので5時間ほど滞在して引き上げることにした。閉館までいたかったのに。

この時の痛みは相当なものだった。

くしゃみや歩行程度の振動でも顔をしかめるほどの激痛が走って、反射的に体を折り曲げてしまう。胸よりも高い位置に腕を上げられないために、スムーズに書籍を戻すことができなかった。

絵本や童話集ならまだ良いけれど、「人を殺せる」と名高い『どうぶつの森』攻略本よりも大判で分厚い百科事典を戻すのは、もはや拷問だ。

痛みで力が入らない左腕は使い物にならず、結局この日は閲覧席から1冊ずつ本棚に戻していくシャトルランスタイルで片付けることになった。片手しか使えない生活は驚くほど不便だ。


見たことはないが、あの時の左腕の可動域は、ティラノサウルスのそれと大差なかっただろう。あれほど小さな腕で、よく捕食者の頂点に君臨できたものだ。

帰り道、いつもの半分くらいのスピードで歩きながら、ティラノサウルスへの畏敬の念を新たにする。

ティラノサウルスは走れなかったというが、それは帰り道を行く私も同じだった。彼へのリスペクトではなく、肩への衝撃を最小限に抑えるためだ。

信号が変わりそうになっても、電車が出発しそうになっても、慌てず騒がず次を待つ。ゆっくり着実に、地面の感触を確かめながら歩いた。

当時の私が出せるトップスピードを、腰の曲がったおばあさんが頭文字Dの藤原拓海よろしく颯爽と抜き去っていったのは何だか不思議な気分だった。

電車を逃したくないとき、おばあさんは信じがたいスピードで爆走する。

少し無理をして敢行した外出だったけれど、良い気晴らしになったと思う。

今でも例の“辛いこと”を思い出しては打ちのめされる日々を過ごしているけれど、図書館でのネサフをしてからは布団への依存も少なくなっている。

肩の寝違えもマシになっていて、時間をかければ腕を垂直に伸ばすこともできる。あと数日あれば完全に良くなるだろう。

あの日ゆっくりと帰路を辿ったように、今は傷が癒えるのをゆっくりと待ちたい。

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