ポジティブのエッセイ 前編:「存在してはならない感情」
雨の日は少し苦手だ。
雨が降ると、せっかくネガティブな思考の坩堝に陥っていても、水を差された気分になってしまう。鬱屈の原因はただの雨と低気圧で、悪天候に影響されているだけの馬鹿みたいに思えてしまうのだ。違う、違う、僕の感情は決して不随意なものじゃない。このもやもやとした厭世感は、深刻で、退廃的で、堂々と陽の下を歩いている健常者どもには理解できない心の闇に根差していて……。
みたいなことを言ったら苦笑いされるだろうか。冗談として流され、明るい話題へ軌道修正されるのが関の山だろう。本当に思ってるんだけど。
誰が言いだしたのか、メンタルヘルス・レジリエンス・アンガーマネジメント・マインドフルネス。ふと、ポジティブ信仰とでも呼ぶべき精神の健全化って、こんなに支配的だったっけ……と考え始めてしまった。
心の健康って「思考」「身体」に並ぶ人間の主要なパラメータだ。その理解は現代において、広く人口に膾炙されてきていると思う。今や精神衛生の管理は、個人の価値観や信条の域を超えて、職場や教育現場のオフィシャルな課題として定着しつつある。
なぜかって言うと、ポジティブ心理学は単なる精神論じゃないからだ。それは統計学や脳科学に基づいて利点が立証されている、論拠の伴った規範だ。コンピューター様、ないし人間の堆積した研究結果と集合知がはじき出した、明らかに正しい指針なのだ。
少なくとも、職場の僕はその社会規範に倣って真人間の振りをして働いている。普通はそこまで意識せずとも適応してるんだろうけど、健全な精神を仮装してるって点では、みんな大同小異ではないかと勝手に思ってる。
だけど逆説的に、ネガティブな思考や厭世観について、(一過性にしろ慢性的にしろ)軽くはない問題として認識されているようにも思う。個性とか、性格とか、そういった人間のパーソナルを論じる土俵とは全く関係なく、生産性や効率の観点で、そもそも正しくないという理屈に筋が通ってしまっている。
意識の高い環境なんかだと、愚痴や不満によるモチベーションへの悪影響はしっかりと認知され、対策されている。言葉や態度の中にネガティブな波長を検知すると、悪臭でも換気するかのように、それとなく是正しようとする意図が働きだす。ハラスメントや精神被害に関する相談窓口や対応フローがちゃんと完備されている。一方で前向きな考え方が奨励され、相互に良い影響を与え合い、パフォーマンスを高く発揮できるよう心の健康の維持につとめている。
愚痴も不満も、あとは無調整の怒りや悲しみとかも、そんな環境では不適切で、表に出してはいけない、つまり存在してはならない感情として扱われる。フキハラ(不機嫌ハラスメント)なんて言葉も出てきたくらいだ。
かくして平穏で生産的で効率の良い仕事や学業の環境は保たれるのであった。
それで何か問題があるのか?
よく分からない。普通に考えて概ね問題はない気がする。
だってそんな風潮は全くもって正論に基づいていて、理に叶っている。シンプルに世の中は良い方へ向かっているだけなのかもしれない。かもしれないというか、大部分において事実なんだろう。
それで、みんな漠然と自覚するのだ。ネガティブな考え方はダメで、社会不適合的だと。あるいはネガティブ思考が浮かんだ事実そのものに自責の念を抱いてしまう。なぜならメリットが無いから。前向きであることの正しさを社会が後押ししているから。ネガティブな思考は多忙な現代人にとって時間やエネルギーの無駄遣いになってしまうから。
冒頭の文章を読んで、本当に冗談やウケ狙いだと思った人も少なくないのではなかろうか。ネガティブ思考は悪いものなのに、まるで音楽を堪能するかのように書いているのは変だと。
ポジティブ思考の正しさと、「存在してはならない感情」の基準は、社会規範から個人の生き方にまで浸食してきている。浸食とは悪意のある表現だが、実際は差し当って問題がなく、つまり本質的にも問題がないからこそ、僕が勝手に怖いと感じているだけなのかもしれない。
今はまだ、場末の天邪鬼なブロガーが怪文を垂れ流している程度に過ぎない。けれどこの傾向がエスカレートした先を考えてみる。ハラスメント関係の造語がやたら増えたみたいに、存在してはならない感情の種類もまたどんどん増えていった先の、未来の世界を想像してみる。
画一的な価値観が個人の思想や私生活の方針にまであまねく落とし込まれた理想的な世界。きっとみんな笑顔で、この上なく前向きでハッピーで効率的な世の中になっていると同時に、感情の半分(負の側面)は無用の長物という認識になってしまうんじゃないかと思う。それはヒトという生物としてどうなんだろう……?
最近では、Twitterやfacebookがユーザーの発言をモニタリングしていて、「死にたい」とか言えばシステムが自殺防止センターの相談窓口を案内するらしい。もはやサーチ&デストロイならぬ、サーチ&メンタルケアだ。人々に限らず、AIまでもが皆の精神状態を見守っている。いや、監視しているのか? 僕達は幸せな生活のため、生産的で効率の良い社会の維持のため、心が健康であることを推奨されると同時に必要ともされている。
『パラノイア』というTRPGの作品がある。これは義務化された「幸福」を維持できない人間は銃で撃たれてしまうというディストピア世界が舞台になっているのだが、程度の差こそあれ、現代社会とどれほど違うというのだろう。
後編へ続く
冷静になるんだ。