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「あの人、意外」って思ったら、自分の価値観を疑うチャンスかも。人は皆例外なく偏見を持っていることを認識する。
今日は、ちょっとした発見を一つ。
先日、学生時代の部活の同窓会に出かけました。
コロナ中は全く集まることができず、今回たまたま友人の1人が一時帰国するということで開催に至り、卒業ぶりつまりは10年以上ぶり会う人も多数。
そこで友人たちがまた別の友人たちと話してるのを見て、本当に何気なく、ふと思ったのです。
あ、あの2人が仲がいいのって、何か意外だな。
と。
でもその後すぐ、なんで私意外って感じたんだろう?と考えて、きっと私から見ると、彼らはあまり性格が合わなそうに見えるから。
一方は、すごく社交的で誰とでも仲予約できて話も面白い人。もう一方は、どちらかというと人見知りで、特定の人と仲良くしているという印象たったから。
でもそのまた次の瞬間、
あ、これは私の偏見だな。
と、気づきました。
世の中は平等であってほしい。
そう、誰もが願っているし、私もそう思います。
ただ、現実にはそうはいかないとも思っています。
なぜなら私たちは一人として同じ価値観を持てない、つまり偏見を持っているから。
美醜差別に代表されるように、私たちは本能的にまた無意識的に『こちらの方が良い』『こうあるべき』と感じてしまうものが、必ずあります。
それでもなんとなく、私は偏見なんて持ってないよ!って、思うじゃないですか。
だからこそ、「あれって意外だな」「あの人って意外に〇〇だよね」と感じる瞬間が、私たちに気づかせてくれるんだって思ったんです。
つまり「意外だな」って思った時はある意味、私たちが偏見=ある程度どちらかに偏った価値観を持っている、だろうということ。
ただ、ここで私は、偏見を持つことが悪い、と言いたいわけではないです。
むしろ、チャンスだと思います。
自分は自分のフィルターを持って世界を見ているから価値観が固定化されてしまっていること、
さらには全ての人はそういう考え、固定された価値観を必ず持っているということも、
合わせて認識した上で、様々な人間関係や仕事や世界や国の情勢を考えることが、出来るようになる、きっかけをくれるのです。
それは時に自分の価値観を疑うこと、世の中には本当に様々に多様な考え方があることにも、気づかせてくれるのかもしれません。
だからこれから、『あ、意外だな』と思ったら、あ、私価値観固まってるって気づくことができるな、と思った、些細な発見のお話でした。
では、今日はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました!
hona
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