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娘のキツい言葉遣いに、『大好きだよってもっと伝えます』と言ってくれた先生に、感動。幼稚園の面談が、小学校の面談と違いすぎました。

個人面談ウィークでした。
この時期、日本中どこでもそうなのかな?

私のほうも先日、年中の娘の幼稚園で、担任の先生と個人面談があった。

そのお話のなかで、大変感動したことがあったので残そうと思う。


順調に育っている娘の、私が気になるところ


まず、娘の人となりについて、少し触れておこう。

娘は、年中という年齢の割に背が高く、かと言って太っているわけでもなく、体がしっかりしていると思うし、その分体もよく動く。

指先も割と器用で、折り紙や指編みもまあまあできるし、会話や物事の理解力もある方だと思う。

性格は社交的、お友達を自分から作っていくことも厭わない明るい性格。
陰キャの親の私から見ていても羨ましいくらい。

そんな子なので、幼稚園での生活について心配していることは、実はほとんどない。

しかし、唯一気になっているのが、お友達への言葉遣いや関わり方が、ちょっと強すぎるというところ。

3つ上のお兄ちゃんがいることで、兄弟喧嘩は日常茶飯事。
その中で、どうしても言葉が汚くなったり、強くなったりしてしまうことが日々ある。

さらには激昂する2人を制するために、私や夫がやや強め(いや、けっこう強め)の口調で関わってしまうことも少なくない。これには、ただただ反省なのだが。

そうした家庭での関わりの影響が強いと思うのだが、お友達に対しても、時折強い口調で接する娘を、何度も見たことがある。

相手のお友達で本当に心優しい子は、娘のそうした口調に驚いて、引いて、ひどい時には泣いてしまうことさえある。


先生から返ってきた、想定外の言葉。なんて温かいの

すでに、幼稚園のお友達にご迷惑をおかけしてしまっていることが、あるかもしれない懸念。
さらには、娘の言動に対して私はどう関わり、これからどう対処していけばいいのか?全く見当がつかない、迷い。
これらを、この面談の時に、伝えさせてもらった。

すると先生から、思いもよらない言葉が返って来た。

娘さんとは、例えばもっとお膝に乗せてあげたり、名前をたくさん呼んだりして、関わったりしていこうと思っています。

先生曰く、確かに幼稚園でも、娘にはそうした様子が見られるという。

ただ、先生方は、その口調のキツさだけで娘を捉えらっしゃらないようだった。
上述した娘の心身の状態、発達具合などを考慮した上で、娘との関わり方を考えてくださった。

娘は、自分の身の回りのことが、すでに1から10まで全部できる。
その上、幼稚園では、同じクラスの年下のお友達に対して、お弁当やお着替えの支度を手伝うことを、自ら進んで、とても自然に行うのだそう。

一方で、時折、互いに心の距離が近いお友達に対して、感情に任せた強い言葉が出てしまう。

先生は具体的に言及はされなかったけれども、娘はもっと甘えたい、愛情を与えてほしい状況なのかもしれない、と推察した。
娘は、何でも自分でできてしまうがゆえに、彼女の「もっと甘えたい」という欲求を周囲が少し見逃してしまうことがあり、もしかしたら娘自身も甘えるような行動をとることが少ない、のかもしれない。

その、いわば愛情が少し満ち足りない状態が、彼女の中でしんしんと積もっていき、トゲトゲして、心が揺らぎ、不安定になる。
その状態で、感情に触れるきっかけがあると、爆発するようにその不安な思いが、飛び出してしまうのではないか。

そう考えた先生方は、娘に対して、直接的に「その言葉遣いはだめだよ」と伝えるのではなく、スキンシップや関わり方で愛情をもっと伝えよう、「あなたのことが大好きだよ」と伝えようとしてくれている。
言葉遣いが出てしまう根本の原因にアプローチしよう、と考えてくれたのだろうと思った。

先生のお話を聞きながら、私はもう、泣きそうだった。

こんな風に娘のことを受け入れて認めて肯定してくれて、その上で、さらにもっと愛情をかけようとしてくれている。
私たち親のことも否定することなく、一緒に関わっていきましょうと、言ってくれる。

先生に言われて気がついたけれども、確かに歳の割に何でもできる娘に、私が甘えていたようなことが、多かったかもしれない。
先生の話を聞いて、私ももっと抱っこして、手をつなごうと話しかけ、それから娘のお話をたくさん聞きたいと感じた。
ただ、娘といる時間を純粋に愛しみ、楽しみ、娘に『私はあなたが大好きだよ』って伝えよう、と思った。


幼稚園と小学校で、子どもへの関わり方が大きく違う

数日前に、小学2年生の息子の担任の先生と、個人面談した話も、記事にした。

幼稚園の先生との面談と、小学校の先生との面談と立て続けに行って、こんなにも中身が違うものかと、驚いてしまう。

幼稚園では、子ども自身の良いところを前面に伝えてくれて、これからの関わり方も、ただ言葉だけで伝えるのではなく、愛情やぬくもりを通して、子どもに伝えようとしてくれている。

それが小学校は、子供の良いところを伝えてくれないばかりか、『このまま何とかやってくれればいいです』と言われる始末。

もちろん、小学校と幼稚園は、そもそも違い場所だろってことも分かる。
ただ、子どもは決して枠にハマりたいより、自分が好きなことを好きなだけやりたいのは、変わらないんじゃないかと思う。
その中で、年齢なりに社会関係や、社会での立ち振舞いを知り、他人に迷惑をかけず社会に貢献しながらも自分の好きなことをやる、というバランスを少しずつ学んでいけばいい、くらいに私は考えている。極端かもしれないけど。

そういう考え方でいけば、小学校も幼稚園も、子どもへの関わり方は、ただひとつ。
好きなことを好きなだけできるように、子どもそれぞれの特性を活かす、伸ばす」こと。
決して、『みんなおんなじ』、平均的な子どもたちを量産することではないはずだ。とくに、令和の時代においては。

思い起こせば、小2息子が保育園にいたころ、
「息子くんは、いつも保育士の手伝いを自然にしてくれて、何でもできて本当に助かってるんです!」
と、何度も先生から伝えてもらっていた。

その彼の良さは今も、家で発揮されていると感じる。
では、学校では?
…あの力は、どこに行ってしまったんだろう?
そう思うと、彼の自発性や主体性が、小学校に入ってから失われているのではないかと、悲しくなる。

私の気のせいかもしれないけどね。



明日は、横浜シュタイナー学園へ!

そんな思いを抱えながら、明日はついに横浜シュタイナー学園に、初めて足を踏み入れる予定です。
と言ってもクリスマスのイベントみたいな感じ、子供たちはろうそくを作ったりお話を聞いたりできるみたい。
私も子どもたちも、楽しみにしています^^


では、今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました!


hona



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