『先生の想い』と『親の想い』が重なった、嬉しさ。
今日は娘の幼稚園で、クラス懇談会がありました。
内容は、前半はクラスの担任の先生からクラスの様子を聞き、後半は保護者同士でグループに分かれて子供の成長について話し合う、というもの。
その前半の先生のお話の中で、非常に嬉しかったことがありました。
それは、
先生の気持ちが、私の気持ちと同じだったこと。
娘の通う幼稚園では、クラスの担任の先生は、良い意味で子供との関わりに注力されているため、送迎の時もなかなかお話することができません。
なので、このような懇談会を設けてもらうことは、子供たちの普段の様子や保育内容を知る、とても良い機会になっています。
ちなみに、娘は2歳児まで保育園に通っていて、そのときは先生とのコミュニケーションは毎日行われていたので、最初は幼稚園に違和感を感じていました。
しかし、今は先生方がどれだけ保育の質を高めようと考えられているかを理解しているので、不満には全く感じでいないことを、申し添えておきます。
今年娘のクラスを担任していただいているA先生は、昨年も担任でお世話になった先生。
ただ、昨年はメインの担任はもう一人のB先生という印象があり、正直B先生を娘も慕っているようでしたので、私も頼りにしていました。
それが今年になって、A 先生の印象がガラリと変わりました。
おそらく、今年 は A 先生がメインの担任だから、ということもあると思います。
A 先生は、すごく子供達が大好きで、保育の大切さを理解され、さらに保育の中で試行錯誤しながら実践されて、加えてたくさんの研修に参加されて勉強熱心だということを、お話している中で知ったのです。
懇談会では、A先生が主に話してくださり、その中で幼稚園の活動で大切にしていることのひとつ、『模倣』についてお話がありました。
娘たちのクラスは、模倣が大好きだと。
模倣することは学ぶことと同じで、先生や年上のお友達がやっていることをよく観察して、上手に模倣している姿がよく見られる、という話でした。
そしてその流れで先生が、「私たちは模倣される立場で…」と切り出して、こう話されました。
「子供達に模倣される立場であるので、立ち振る舞いや言葉にはすごく気をつけています。
それでもやっぱり、あの時はもっとこうやって関わればよかったなとか、このくらい少ない声掛けで、一言で良かったかもしれないなと、日々、後から振り返って感じています。」
これを聞いて、保護者としてすごく嬉しくなりました。
だってその感情って、親の私たちの気持ちと全く一緒だったから。
つまりそれは、A先生も、私たち親と同じくらい、子どものことを想ってくれている証拠って言えるくらいのこと。
子供は親の背中を見て育つとか言うけど、背中どころか毎日全身舐め回して一言一句全て観察されている、と痛感します。
例えば息子が娘に対して怒る時の言い回しやイントネーションは、本当に私そっくりだし(反省)、顔立ちが似るのは当然だけど、それだけじゃなくいつの間にか表情や姿勢や仕草も、私や夫に似てきている気がする。
いつでも真似されてもいいような立ち振る舞いを、声掛けを心がけようと思いながら、勇み足で奮い立って実践できる時もあれば、疲弊しまくって全くできない時もある。
そして反省する、その繰り返し。
親ならきっと一度は体験したことがあることだと思いますが、お子さんをお持ちでないA 先生がそう感じてくれるのは、本当に子供たちのことを我が子のように思って接してくれているからこそだなあ、とつくづく思いました。
保育を少しだけどカジってその大切さを理解している身として、そして一人の親として、こんな保育をしてくれる先生、そして幼稚園に娘を預けられていることが、本当にありがたく喜ばしいと、改めて感じました。
では、今日はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました!
hona
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