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網戸越しの恋だった。~創作の種をいただいて~

お題をいただいた。物書き気取りにも精が出る


友人に教師をしているKという人がいる。
僕のことを応援してくれる、大層物好きでありがたい人物である。
そして、輪をかけてありがたいことに、会話の中で僕に、お題をお授けくださったのだ。

それがこちら。

フジカワさんは、虫が網戸に止まった時とか、ベッドに蟻が歩いてる時とか、何か考えるものあります?

私の教室、最近やったらに虫が入ってくるんですよ。蝶々やら蜂やら。授業止まるし、子ども騒ぐし、まじいい加減してくれ昆虫類って感じなんです。でも、すごくその昆虫が何かを伝えに来てる気がして、その昆虫が誰に化けたのか、何なのかはわかんないんですけど、偶然じゃないのかなぁとか思ったり。

だから、勉強してる時、机横の網戸にカナブンが飛んできたら、ちょっとだけ耳を大きくして、「何を伝えに来たの?」って勝手に問いかけてたりします。
仏教だったか、何だったか忘れましたけど、そういう思想もあるみたいですね、世の中。あんま詳しくないけど。

偶然じゃなくて、タイミングとか意味とかって絶対あるよね』っていう、非常にスピリチュアルな話です。これでK先生の話を終わります。



——難しいな。

心の声が漏れてしまった。
とはいえ、せっかくいただいたお題に対し、そのような一言で済ませるのは、無礼に値する。
小さな脳みそを揺り動かし、創作の花を咲かせんと、有象無象の文の中を彷徨い歩いた。

しかし、歩いていくうちに、いよいよ方向は分からなくなる。流れ行く文の大河の側に腰を下ろし、そこで文明を築き上げて、のうのうと隠遁生活でも送ろうとした矢先であった。

対岸に一人の少女が見えた。
対岸の彼女には、見覚えがある。


時は古く、幼少期にまで遡る。


今だから話せるのだが、幼稚園の時分、僕は園内イチのプレイボーイだったという。

僕の通っていた幼稚園は、その日のカリキュラム(と言うのが正しいかは分からないが)を終えると、集会室に集められ、そこでビデオを見せられる。
さながら、刑務所で月に一度開催される、映画観賞会のようであった。

園児たちが、ビデオに夢中になっている間に、仕事終わりの父母が押しかけ、一人ずつ園児をシャバへ送り返すのである。

そして、あろうことか僕は、そのビデオ鑑賞会を共に過ごす相手を、毎日取っ替え引っ替えしていたのである。

「今日はあっちゃんね。だめだよ、みっちゃんは昨日一緒に観たでしょう」
「明日はふーちゃんと観るからね、よろしく」

当時の記憶はないが、大方こんなところであろう。
僕は己の心の欲するまま、毎日数多のうら若き乙女をたぶらかした。
そして彼女らを隣に置き、トムとジェリーやら、アンパンマンに興じていたのである。

今考えると、なんと不埒な男であったことか。

だが安心して欲しい。鉄槌は下った。たけき者もついには滅びんのだ。
幼少期の貞操を、散々に踏み散らかした僕も、盛者必衰の理をあらわし、今や見るに見かねる体たらく。
要は、人生のモテ期とやらは、ここで幕を閉じたのである。あとは、とっ散らかった焼け野原が残るばかりであった。


その少女は、僕にとって遊び相手の一人に過ぎなかった。はずだった。
当時の記憶はさすがに曖昧で、彼女の名はここではつばさちゃんと称しておく。

本田翼ちゃんが好きだからである。それは今どうでもよいことだ。

つばさちゃんは、同じ組の女の子だった。日に焼けていつでも黒く、綺麗な二重瞼と高い鼻を持っていた。おままごとには目もくれず、いつでも外の遊具やボールを使って遊ぶような子だった。


つばさちゃんは、僕の家から300メートルほどの距離にある、青い壁のアパートに住んでいた。
親同士も仲が良く、よくお互いの家に行っては、サッカーや、鬼ごっこをして遊んだ。

二人で鬼ごっこをするのである。僕らは延々と家の前を二人でぐるぐる追いかけ回り、決して止まらない永久機関と化していた。
きっと然るべき装置をつければ、一日分を賄える電力でも生まれたことだろう。

そのように、親交を深めていたつばさちゃんだったが、頑なに僕の誘いは断り続けた。
あろうことか彼女はビデオも見ずに、歳上の男たちと一緒に、サッカーで汗を流していたのである。
彼女はとことんアグレッシブだった。

そして、彼女は虫をいたく好んだ。網戸に張り付いた虫を素手で捉えては、乳歯もまばらな笑顔を見せた。

僕はほぼ毎日、つばさちゃんを隣に誘ったが、その度に断られた。
「フン、おもしれー女」なんてクールに凌げる僕ではなく、片手で振られた直後に、先生の胸に飛び込み泣いていた。

今思えば、あの時付き合ってくれていた女性たちはみな、僕のことを憐んでいたのではないかとすら思えてくる。
そして、こういう勘は大体当たっている。

さて、はた言ふべきにもあらずだが、僕はつばさちゃんのことが好きだったのである。

文字通りの初恋であった。当時の僕は知る由もない。
だから当然何がきっかけか、というものも一切覚えていない。しかし、"好きだった"ということは、紛れもない事実だった。


そんなある日、帰りの会でお歌を皆で熱唱した後、先生がつばさちゃんを連れて前に立った。

つばさちゃんは、泣き出した。

何が起こったのか分からなかった。
「お引越し」という言葉は、幼稚園児には現実味がなかった。

後に知ったことだが、お引越しといっても、今いるアパートから新築へ移り住む程度の話であった。距離にしても、数キロ先の隣の地区へ移動する程度。
だがしかし、校区を越えるには簡単な距離だった。

つまるところ、僕とつばさちゃんは、小学校で離れ離れになる。


その事実が、幼稚園児の僕らにとって、ほぼ今生の別れを指していたことくらい、想像に容易い。


お休みの日、僕は当時の愛車に跨り、遥か遠く300メートル先のつばさちゃんのアパートへ向かった。

地面をじゃこじゃこと鳴らす三輪の音が、やけに大きく響いていた。
黄色い電気ネズミのリュックを背負い、えっちらおっちらペダルを漕ぐ僕は、既に泣きかけていた。
リュックの中には、一通の手紙が入っていた。後は、ウルトラマンティガの人形が一つ。それは僕の勇気印だった。

やがて、つばさちゃんの住む、青い壁のアパートが見えてきた。

ところが僕は、アパートまでもう数寸というところで、足がすくんでしまった。

いつもなら、つばさちゃんの住む二階へ登る急な階段など、怖くもない。
だがしかし、その日ばかりは、階段はおろか、階下のポストに行くまでの勇気も湧かなかったのである。

やがて、僕の親からの電話で、事前に来ることを知っていたつばさちゃんが、二階のベランダから顔を出した。

「何してるの?」
……。僕は何も答えられなかった。

「何しに来たの?」
……。

「上がっておいでよ」
……。

やがて網戸に張り付いた虫のように動こうとしない僕に、業を煮やしたのか、つばさちゃんは音高く階段を降り、僕の方までやって来た。

「言わないと分からないよ」
それでも僕は頑なに黙っていた。

「もう知らん」
つばさちゃんはとうとう後ろを向いて、階段を駆け上がり、自分の家へ帰っていった。

あとは、風が吹くばかりである。
僕は結局、言い出せず仕舞いで、タイミングを逃した。

僕はしたためていた手紙を、つばさちゃんの家のポストへ入れた。奇跡的に部屋番号を覚えていたので、入れることができた。

そして再び愛車に跨り、物言わぬアスファルトの上を三輪で鳴らしながら、家路に着いたのである。

手紙の内容は詳しくは覚えていない。しかし当時の僕は、彼女に「好き」と言っていない。それだけは覚えている。素直になれなかったのである。

だからこそ、今も記憶に甦るほどの心残りなのだろう。

その数日後、つばさちゃんのお引越しの日が到来した。
僕の両親は見送りに行くと言う。しかし、僕は両親の誘いを断り、家のソファに顔を埋めて不貞腐れていた。

「あーあー、つばさちゃんかわいそう」
という両親の嫌味が、僕の心をいたく揺さぶった。
かわいそうなのは、僕だって。

とうとう両親は僕を置いて行った。僕は一人、ソファに埋めた顔を上げられずにいた。人生であれほど、塩辛いソファを舐めた日はなかった。

両親が帰ってきて、いつの間にか寝ていた僕を叩き起こした。両親は一通の手紙を手渡してきた。

つばさちゃんからの返信だった。

僕はそれを読んだ。これまた内容は覚えていない。しかし、その後人知れず泣いたことだけは、これまた鮮明に覚えている。


そして、あの日、気持ちを伝えられないまま、青い壁の中へ入っていったつばさちゃんを最後に、僕らは二度と会うことはなかった。


親は時々会っていたらしいが、学年が上がるにつれ、それぞれ交友関係は変わっていく。やがて親の方も、知らず知らずのうちに、疎遠になっていったようだ。

これが僕の初恋だった。
網戸越しの虫のような恋だった。


あれから十数年が経ち、一人で街を歩くようにもなった。三輪車は、二輪に、原付にと紆余曲折を得て、最終的に一つ増やして四輪に落ち着いた。

数キロ先の地区など、いつでも行ける距離になった。


ある日、カフェのウィンドウ越しに、つばさちゃんによく似た女性を見つけたことがある。
僕は一瞬足を止めて、その女性を見た。

しかし、目を合わせることなく、その場を通り過ぎた。

考えてみれば、県内から出ているわけではなかったので、もしかしたら彼女だったのかもしれない。

しかし、仮に彼女だったとしても、「覚えていますか? あの日何も言えなかったヘタレです」などと話しかけるほどの勇気は、依然としてない。

相変わらず網戸越しの虫だった。
きっとこれからもずっと、網目の間から彼女を覗くことになるだろう。


もう伝えられない思いは、一生成仏することなく、胸の中、虫に化けて飛び回り続ける。

ぶんぶーんと羽音を鳴らし、網戸にぴたりと止まる。その先には彼女がこちらを見ている。

あの日、君の家を訪れたのは、理由があったからということ。
上級生に手を引かれる君を見て、どれだけ胸が動いていたかということ。
どれだけ好きだったのかということ。

もどかしく網を剥がそうと、爪を立てて音が鳴る。気づいて欲しいのかもしれない。


しかし、「何を伝えに来たの?」と網戸越しに尋ねられるほど、人生というのは甘くないのである。


🐞🐞🐞


今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

さて、無理くり繋げたような気しかしません。しかし、恥を忍んで、初恋についてを赤裸々に語ったのです。どうぞお許しください。
寂しい終わり方になりましたが、いい経験だったと思います。相変わらず、誰かに想いを伝える時は、網戸越しの虫になりがちですが。

デコピンで弾かれるか、中に入れられるかは、伝えられるかどうかにかかっているのかもしれません。
ただ、何も伝えられないままでは、気味悪がられて弾かれるのが、関の山でしょう。
思い切って、想いを伝えてみてもいいのかもしれません。網をすり抜けられるかどうか、責任は一切とりません。悪しからず。

Kさん、創作の種を本当にありがとうございました。

これで、当時の僕も安らかに眠れそうです。


#あの会話をきっかけに

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