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石(2005年07月10日)

2005年07月10日 記

 昨日、眼医者の帰りに子どもがきれいな石のかけらを拾った。通学路になっている小道である。宅配業者の敷地の隅に転がっていたようだ。敷地はフェンスで囲われているが、子どもの手ならなんなく素通りしてしまう。先を歩いていた僕を大きな声で呼び止めると、手のひらの中のそれをそっと見せてくれた。たしかにあまり見かけない石だ。黒と白が混じっていて、白い部分は水晶のようにきらきらと輝いている。雨降りにもかかわらず、よく見つけたものだ。鉱石にまったく疎い僕は「大理石かなぁ?」などと適当なことを言う。「珍しそうな石だから、大事に取っときな」と言いつけて、帰り道を急いだ。

 家に帰ると、子どもはさっそくその石をきれいに洗って、自分のコレクションに加えた。子どもはアンモナイトや三葉虫の化石やら、きれいな石なんかのコレクターなのだ。といっても、そんな大層なものではないが。だいたい石の名前すらよくわかっていないし、自分で調べようともしない。ただ箱に並べて眺めているだけだ。そんなところは「おじゃる丸」に出てくるカズマくんにそっくりである。僕では話し相手にならないことは子ども承知しているので、今日拾った石を奥さんのところに持っていく。彼女は植物の名前などにすごく明るい。なんたって軍曹だから。これは食べられるとか、それは毒キノコだとか。すいません。半分ウソです。

 それはともかく、奥さんはその石を一目見るなり、「これは墓石のかけらではないか?」とつぶやいた。「え?」と思ったけど、言われてみればたしかにそうだ。拾った場所が宅配業者の敷地だったのでうっかりしていたが、じつは幅2メートルほどの小道を挟んだ向かい側は墓地なのである。なにかの拍子にかけらが転がり込んだとしてもなんら不思議ではない。3人で相談して「明日返しに行こう」ということになった。

 そして今日を迎えたわけだが、朝起きるなり、子どもが眼が痛いと言う。どうやら「ものもらい」になりかけているようだ。僕はとくに信心深いというわけでもないけれど、ちょっと気になったので、朝一番で例の石を返しに行こうと提案した。手ぶらで謝りに行くのもどうかと思われたので、ベランダで育てている花を摘んで、小さな花束を作った。お墓に着くと、入り口近くに石と花を置いて、二人で手を合わせた。子どもは声に出して一生懸命に謝っていた。僕も一生懸命お祈りした。家に帰ると、眼の痛みが治まったと子どもが言った。

2024年03月26日 付記

 子どもと一緒に生活していると、こうした不思議なことというのがけっこうある。子どもというのは、おとなが見過ごしてしまうようなところに目を向けることが多いからかもしれない。この石が墓石だったのかどうかは、いまだによくわからない。そうした事実はともかくとして、この経験は僕ら家族に何らかの「教訓」というか、家族として生活するということの「ルール」のようなものを与えてくれたように思う。とてもささいなエピソードではあるけれども。

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