正岡子規

松山藩の武士の子として生まれ、
日本国の未来を慮って政治家を志し、
上京してからは俳人歌人となった
愛称のぼさんで親しまれた子規。

ベースボールを「野球」と
名付けるほどの野球好きだったが、
二十歳を超えてから突然、
結核菌に蝕まれて喀血を繰り返す。

鳴いて血を吐くとされる
ホトトギスに自分を投影した。
ホトトギスの漢字表記である
子規を自分の俳号としたのだ。

山々は萌黄浅黄やほととぎす 

子規の弟子である高浜虚子が
選句した子規のホトトギスの句。
三十歳から寝たきりとなるものの
明るく爽快な句をつくり続けた。

俳句にも短歌にも生を与えた
子規は35歳の若さで夭折した。
夏目漱石など多くの友人や
たくさんの弟子に愛された子規。

自然のあるがままをよく見て
自分の気持ちは表に出さず、
そっと内側ににじみ出す作風は
味わえば味わうほどに奥が深い。